チャクリー王朝(ラーマ7世) | ◆◆◆今が一番若い時◆◆◆

◆◆◆今が一番若い時◆◆◆

残り少ない人生を「今が私の一番若い時」と言いながら、
一日一日を活き活きと頑張りたいと思います。

1893年11月、ラーマ5世の第76子として誕生。ラーマ6世の弟である。

1906年13歳でイギリスに留学、イートン校で中等教育を終え、その後軍事学を

修め、1915年に帰国。兄王(ラーマ6世)やそのほかの兄の死で予期せぬ国王の

即位になった。

全王治世末からの財政危機に1929年から始まる世界恐慌が輸出(米)を困難にさせ

財政圧迫に拍車をかけた。公務員の減俸と合理化、官庁の整理統合で一旦は乗り切る。

しかし、一連の行政改革は解雇された中下層官吏たち中心に不満がが蓄積。

1932年特権的王族への不満が高まった状況を利用した人民党がクーデターを発生。

立憲革命後は絶対王政を倒した人民党の閥族支配が続く。

ラーマ7世は1934年、眼病治療を名目にイギリスに渡り、退位を声明した。

1941年にイギリスで亡くなった。