思いは誰にも見えないけれど思いやりは見える。
心は誰にも見えないけれど心づかいはみえる。

あのCMですっかり思えてしまったフレーズだけど、奥深い…

宮沢賢治の言葉だと思っていたけど、Googleで検索したら、「宮澤 章二」という人の「行為の意味」という詩の一部だそうです。
宮沢賢治だと思っている人がまだまだ大勢いるだろうあせる

【行為の意味】

あなたの心はどんな形ですか
と ひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも心は見えない
けれど ほんとうに見えないのであろうか

確かに心はだれにも見えない
けれど心づかいは見えるのだ

それは 人に対する積極的な行為だから

同じように胸の中の思いは見えない
けれど思いやりはだれにでも見える

それも人に対する積極的な行為なのだから

あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
心も思いも初めて美しく生きる
それは 人が人として生きることだ


宮澤 章二





ちなみに、宮沢賢治の有名な詩にも感銘を受けた



雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫な体を持ち

欲はなく 決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かりそして忘れず

野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば行って看病してやり

西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められませず

苦にも去れず

そういうものに

わたしはなりたい


宮沢賢治