法成寺(ほうじょうじ)
法勝寺(ほっしょうじ)
法住寺(ほうじゅうじ)
なんて覚えにくいんだろ。。
成り立ちや縁の人物
歴史的な背景、役割など
学習のポイントは抑えても
どーしても混同しちゃう😭
もう、読み方を変えて覚えるしかない!
法成寺▶︎ほうなりじ
法勝寺▶︎ほうかつじ
法住寺▶︎ほうすみじ
これです😅
それと記憶するのに大切なのはビジュアル
まず法成寺
法成寺は藤原道長が無量寿院として造立後
次々と堂塔が建て増しされ完成した
壮大な寺院でした
しかし、いまは寂しい感じ🥺
みちなが ほうなり ゆめのあと
って感じで覚えます😁
そして法勝寺
法勝寺は白河天皇の
発願により建立(六勝寺のはじめ)
八角九重塔があったことが知られています
当時としては超高層ビルだったんですね〜
今はもうありませんが。。
いまはしっぽりしてます
正式には白河院並びに法勝寺跡だそうです
ほうかつ(法勝/包括)的超高層白河院
って覚えます
そして法住寺(Wikipediaより)
平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河法皇の御所「法住寺殿」がいとなまれた。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河法皇も崩御すると、法住寺は後白河法皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治時代に御陵と寺が分離され現在にいたる。
当時の法住寺殿の敷地に
後白河法皇を願主に平清盛が造営したのが
蓮華王院(三十三間堂)です
ビジュアルが派手な
千手観音坐像
や千体千手観音立像
後白河の隣に千手観音住む
と覚えます
外国人旅行者目線だと
蓮華王院しか関心ないでしょうね😝
ま、それは仕方ないか。。
摂関政治最盛期の道長時代から院政期に
重要な役割を果たした名前が似てる寺院の
整理をしました
出願されればラッキー!くらい
ちっぽけな知識ですが
モヤモヤは😶🌫️晴れました☀️






