職員室から、教室に向かうとき、教師の傍観者はもういない。
だが、廊下を通り過ぎるとき、教室に入ってくるときは、教師の傍観者は存在する。
そんな教師の傍観者たちは、その存在があるだけで授業者にとっては何なのか。
授業の開始とともに、教師の言葉はいらない。解説も説明も必要はない。
だが、これまで教師たちが、教科書に書いてあることを、黒板に書いているだけで、
意味を持たせてきた。しかも、それが真実であるかのように風潮している。
それをノートに書き写している生徒は、暗記に意味を持つ使徒なのだろうか。
例えば、社会科における、歴史の出来事を文字の羅列にしながら、年表を書き写す姿は、
教師の傍観者にとって、どのように映っているのだろうか。
私の目には思考が止まり、脳裏に文字を書き写している使徒の姿が、感染っている。