



スーパーやコンビニなどで買い物をした時、買った商品を持ち帰るために「レジ袋」を使う。そんなレジ袋の誕生の物語である。
「レジ袋」を開発したのは、広島県大竹市に本社を置く袋メーカーの中川製袋化工株式会社である。レジ袋が生まれたのは、足を美しく見せ、肌を守る「女性のストッキング」がきっかけだった。
1967年(昭和42年)にイギリスの女優・モデルのツイッギー(Twiggy)がミニスカートで来日した。これをきっかけとして、日本では空前のミニスカートブームが起こり、そのブームとともにストッキングは女性にとって欠かせないアイテムとなった。
一方、この時代はまだスーパーが普及する前であり、買い物をする時、野菜を買うなら八百屋に、豆腐を買うなら豆腐屋に、魚を買うなら魚屋に行っていた。レジ袋もまだ存在しておらず、買い物カゴを持って商店を回った。
レジ袋の原型が生まれたのは、意外にも多摩川のナシ園でのことである。古くから東京と神奈川の間を流れる多摩川周辺は、「多摩川梨」のブランドで知られるナシの産地だった。ミニスカートブーム全盛の1960年代、ミニスカートにストッキング姿でナシ狩りを楽しむ女性も多かった。
その姿でナシを取って竹カゴに入れていた。しかし、その竹カゴがストッキングに引っ掛かり、ストッキングが伝線してしまった。うどんが1杯約30円の時代に、ストッキングは1足約400円もする高級品だった。そんな事情もあり、竹カゴのせいでストッキングが伝線したとのクレームが多発した。
そこで、竹カゴに代わる袋を作ってほしいと、多摩川のナシ園が中川製袋化工に依頼した。その時、同社はストッキングを傷付ける心配のないポリエチレン製の袋に注目した。そして、開発に7年もの歳月を費やし、ついに現在のレジ袋のような形をした袋が作られた。
最初はナシを入れるために使われたこの袋は、丈夫で強い・水に濡れても問題ない・かさばらない、これらの特長からスーパーのレジ袋として採用された。このように、買い物に使うレジ袋は、もともと「女性のストッキングの伝線を防止するため」に開発されたものだった。
🚃今日の感動するNEWS
電車の走行中に流れる車掌からのアナウンス。
「次は○○駅です」「お忘れ物にご注意ください」など、乗客のための情報が大半でしょう。
しかし、宮崎県に住む投稿者さんは、珍しい車内放送の場に居合わせたといいます。

車掌「私ごとですが…」
投稿者さんが耳にしたアナウンスは、車掌の個人的なこと。
しかし、外を眺めていた投稿者さんは、流れてきたアナウンスに心を打たれたといいます。
私ごとですが、この電車を持ちまして私の41年の勤務を終えます。
本日のご乗車、誠にありがとうございました。
電車内に流れて来たのは、本日が車掌の最終出勤日であることを知らせるアナウンス。
終点に到着すると、車掌の家族とみられる人たちが、花束を渡してねぎらっていたといいます。
車内放送だけでなく、運転士に出発の合図を送ったり、安全確認を行ったりなど、41年間、車掌として働き続けるのは大変なことです。
日頃から、電車がスムースに運行できるよう、さまざまなシーンで支えてくれている車掌。
これからも感謝の気持ちを持って、電車を利用していきたいですね。
