2007.1.28 アメリカのロサンゼルス・タイムズ紙に映画「硫黄島からの手紙」でハリウッドデビューした二宮くんの特集記事が組まれ、ジャニーズ事務所や嵐の紹介を交えつつ、二宮くんや関係者のインタビュー等が掲載されたことをご存知の方
は多いと思います。

                 @DVD硫黄島からの手紙

この記事の二宮くんのインタビューの一部を以前読んだことはあったのですが、全てを読んでみたくてずっと原文を探していました。が見つからない!

たまたま嵐友さんから全文を和訳したものを先日頂いたのですが、肝心の原文が見つからず、以前読んだ一部と重なる内容が記載されているものの、これがそのインタビューか確証が持てずじまい。ただ、とても良いインタビューなので今夜の放送前にご紹介します。(違っていたら、ごめんなさい)


─まずは、『硫黄島からの手紙』について伺いたいんですけど、撮影のためにアメリカに行ったり、公開後は世界中に絶賛されたり大騒動でしたね?
あれはすごくいい経験でした、ほんとに。でも海外の作品に出ることや、ベルリン、カンヌとかっていうのは1回でいいかなって思いました。嫌だったとか、よくなかったっていうことではなくて、まだ自分は日本でやっていたいって思って。

─ちょっと遡って、オーディションに受かった時は嬉しかったですか?
それは受かんなきゃまずいなって思ってたんです、オーディションの日が『少しは、恩返しができたかな』っていうドラマの撮影初日だったので。監督からすれば初日っていろいろ試したいのに無理を聞いてもらって、現場を出る時間を決めさせて頂いたんですよ。他の仕事があるならしょうがないかなと思うけど、オーディションって、仕事になるかどうかもわからないものじゃないですか?でも、ドラマのスタッフが快く「行ってこい」って言ってくれて。「お陰様で受かりましたよ」って言いたかったから、よかったなと思いましたよ。これで落ちちゃったら微妙だと思ってたから。

─あははは。では、そもそも「ハリウッド映画のオーディション」っていう気概があったわけではないんですね。
うん。そうですね。

─でも「ハリウッド行きます」って言った時の周りの反響は凄かったんじゃないですか?
う~ん、リーダーがずっと、俺がハリソン・フォードと仕事するって勘違いしてて(笑)。クリント・イーストウッドが、どうも彼の中ではハリソン・フォードらしくてだんだんハリソン・フォードって言われ方が面白くなってきちゃって、そのままにしてましたけど。ま、所詮そんなような周りですから。

─あははは。ご両親の反応はいかがでした?
どうだったかなあ?「あ、そう」みたいな感じでしたよ。

─親子で冷めてますね(笑)。
まあね(笑)。俺が昔からずっとハリウッドに行きたくて、家帰ってもハリウッドの映画ばかり観たりしていたら「よかったわね」とか言ってくれたと思うけど。映画自体あんまり観たことないし、監督が誰かとか、行くまで言わなかったので。

─どうして言わなかったんですか?
だって訊かないから。

─じゃあ、それが判明した時はびっくりしてました?
「すごいね」みたいなこと言ってました。言葉にものすごい反比例した低いテンションでしたけど(笑)。

─1ヶ月半アメリカにいたわけですけど、アメリカでの毎日はいかがでした?
う~ん、早く帰りたいと思ってました(笑)。このスケジュールだったら休みなんか要らないなと思って。撮影時間が決められているから、日本より実質的に働く時間が短いんですよね。そうかと思えば、スタンバイしているのに3日間ずっと「今日もなしです」って言われたり、一日中トレーラーの中で待ってる日もあって。

─それは日本ではできない体験ですけど、面白かったですか?
(終始笑いながら)そこに関しては全然面白くなかったです。「なんだよ!また中止かよ!」という感じで。ゲーム3~4本ぐらいクリアしたなあ、あの3日間で。最後の方なんて、もう全然達成感とかないから。

─惰性ですよね(笑)。
完全。電源差しっぱなしで、いつか発火するんじゃないかと思ってひやひやした。ほんとあれは、もうどんな時間でも待てると思いました。

でも、日本に帰ってすぐに『黄色い涙』の撮影に入って、そっちの方がもっと大変だって気づいて「アメリカ帰りたいな」と思っちゃいました。

─あははは。アメリカの方がまだ楽だったから?
そうそう。結局、楽な方に逃げたがるんですよ(笑)。

─撮影でアメリカならではの体験はありましたか?
う~ん、自分のやりたいように西郷という役をやらせてもらえたから、ある種ご褒美みたいなものでした。撮影前のテストもないし、本番だけだし、別に特別なことやってないですしね。

─「できることをやりに行っただけ」って前も言ってましたが、ハリウッドで特別じゃないことをやること自体、難しいことだと思うんですけど。
ま、英語をしゃべるとかね、そういう話になってきたら変わってきますけど、日本語でしたし。

─だけど場所や環境が違うじゃないですか。
それはなんだって一緒です。ドラマだって映画だって、舞台だって、ラジオだってバラエティだって全部違うし、プロモーションビデオを撮りにアメリカに行ったり
します。それと一緒です。

─すごいフラットですよね。
いや、ほんとにそんな感じだったんです(笑)。アメリカに行ったからって何も変わらないですよ。でも、アメリカに行ってよかったなって思ったことが2つあって、エキストラ的な動きを経験できたことと、名前を間違えられなかったっていうこと。この2つはすごく大きいな。

─アルファベットだと「カズヤ」って読めないですもんね。
そうそう。もう「カズナリ」としか読めないから。

─エキストラ的な動きっていうのは?
1日だけエキストラの人たちと同じ動きをした日があったんですけど、すっごく大変でした。何が凄いって、あの人たち台本もらってないですからね。どういう状況なのかも大声で一回言われるだけだし、もらえる情報も中途半端で、ずっとほっとかれてて。
それでやれって言われても、そうできるもんじゃないと思うし、ほんとにエキストラの人たちって凄いなって思いました。ひとりで何役も演じてるから、死んだと思ったら、次のシーンでもう生き返ったりするし。あれは貴重な体験でした。

─二宮さんはデビューする前、舞台の勉強をしにアメリカに行こうと思ってたんですよね。
うん。

─なんでアメリカだったんですか?
名前がちょろちょろ売れてて。

─そうか。海外で勉強したかった訳じゃなくて、自分のことを誰も知らない場所で勉強したかったっていうことなんですね。
そう。なんか、名前が少しずつ売れてて、学校に入るにも微妙な空気だったから。それなら、もう全然知らないとこに行って、最初の2年ぐらいは表の勉強して、18歳ぐらいから裏のこと学んでも、おつりが返ってくるぐらい早いなと思ってたんです。

─極端な話、アメリカじゃなくても海外ならどこでもよかった?
うん。でも圧倒的に数が違いますからね。ストリートプレイもミュージカルも、圧倒的にあの国の方が多いんじゃないかなぁ。

─そういう意味では、アメリカは映画も本場じゃないですか。
本場ですよ。すごく本場でした。

─本場ならではの現場体験って何かありました?
う~ん、俺が出たことある映画って『青の炎』ぐらいだから、日本の映画というものがどういうものかよくわからないんですけど…アメリカの方がより映画と日常が密接だった気がしますね。ごはん食べに行って「今日の撮影のあそこは、凄かったね!」みたいな話をしていると、帰りに店員がレシートと一緒に履歴書を置いてきたり。「自分を使ってください」ってことだと思うんだけど、そういうことがあったりとか。映画に対して貪欲というか、自分で可能性を広げてる感じがすごいあったかな。熱意っていうか、密度感が凄く強かったです。

─映画がメインカルチャーとしてちゃんと根付いてるんですね。
うん。あそこは映画産業国ですから。だからこそ、ないものねだりかもしれないけど、あの国ではできないことが日本でできたりするんじゃないかなって思ったりしますけど。だから「俺はアメリカで勝負したい!行きたい!」っていう俳優がいるんだったら、それはぜひ頑張ってほしいです。

─「僕は違う」と?
うん。そういう人がいっぱい出てきてくれたらいいなと思います。

─どうして?
いなくなるでしょ(笑)

─日本から?(笑)
うん。そしたらもう独壇場でしょう?ひっぱりだこですよ(笑)。

─『硫黄島からの手紙』の一連の取材では「自分にとってどういう映画なのかは、公開されるまでわからない」とおっしゃってましたけど、公開してみてどうでした?
自分のやるべきことがよくわかった作品でした。

─「やるべきこと」とは、どういうことですか?
う~ん、対等に喋ることだったりとか、普通のことなんですけど。なんと言ったらいいかわかんないけど、ものの使い方がもっとよくわかった感じ?取り扱い説明書を見た時の「こんな機能があったんだ」「これか、このボタンか!」みたいな(笑)。やるべきことってすごい簡単なことなんだと思ったんですよ。

─仕事を長くやっていると小手先でできることも増えますけど、それに頼らずにやることが大事だと再確認できたってことですか?
いや、まだ上手く使えてなかったってこと。現場に関しても、コミュニケーションに関しても、何に関しても。だから、なんだかんだいってアメリカナイズされたのかな(笑)。

─あははは。されちゃいましたね。
ま、そこはね(笑)。どう考えても、結局なにかを提示する時は主観の塊なわけだからそれをどう客観的に見せるかっていうだけの話でしょ。だから「俺はこう思う」とか「いや、そこはこうじゃないか」みたいなディスカッションはまったくいらないと思うんです。「わかったよ、お前の熱さは伝わった。飲んでこい。」って(笑)。

─あははは。自分の意見を相手に伝えるという作業を除外したら、何が必要になるんですか?
どれだけ作品を好きか、かな?評価のためにやってるんだったら、そういうのも必要だと思うけど、純粋にその作品が好きだから出る作品っていうのも絶対あるわけだから。『鉄コン筋クリート』の時もマイクとよく話してたんだけど、ここをこうするべきとかじゃなくて、普通にあのシーンが好きだったとか「なんで好きだった?」「でも、そこは譲れない」みたいなことをずっと言ってたんですよね。なんだろな…すごく偏った愛っていうか、強すぎる主観が、ディスカッションっていう気もするんだよね。

─この映画が公開されて、二宮さんを取り巻く環境も変化してきたと思うんですけど。
公開されてる時とかは、ほんとにすごい反響があったのがわかりました。街を歩いててもおじさんとかに『硫黄島からの手紙』の人だって言われるし、年上の人がものすごく声をかけてくれました。

─その変化に対してはどんなふうに感じてました?
遂にこの時代がきたなと思いましたね(笑)。「行っちゃうか、アカデミー賞」ってテレビでよく言ってました(笑)。

─言ってましたね(笑)。
楽しかったです。特に大阪とか、関西の番組の人たちがもの凄く応援してくれて「こんな奴がいたのか」ってになってくれたのが、すごく嬉しかったですね。それに、もしそこの入口から入ったら出口に到達するまで、絶対どこかで嵐っていうものがある訳で、好きになる、嫌いになるとかではなく嵐を知るっていう単純なことができる訳でしょ?それなら、よかったなって。

─今年の2月にはベルリン映画祭に行きましたけど、そういう時は「日本代表」という気持ちがあったりするものなんですか?
ううん。だってアメリカ映画だもん。

─じゃあ、その映画の役者として?
その方が強かったかな。会見にも本当は出ない予定だったんですよ。だってあれ、ベルリンに着いて2時間後ぐらいですからね。ほんとに大変だったから(笑)。でもクリントが全部しゃべるから、それ聞いて「へ~」とか思いながら、そこにいただけです。

─会見の時に外国の記者が二宮さんに質問したら、二宮さんが「え?聞いてなかった」みたいなことを言って、イーストウッドが笑いながら「だから彼を西郷にしたんだよ」って言ってるシーンを見て「ほんとにこの人はどこに行っても変わらないんだなぁ」と思ったんですよね。
あれは同時通訳してる人を探してたの。どこで聞いてるんだ?って。
@情熱大陸

─あははは。そっちに興味があったんですね。
どこだ?と思って、うしろにダーってガラスみたいな壁があって「あ、奥になんかあるな」と思ってよく見たら、いろんな国の人がいて必死になって訳してる。しかも台湾語を英語に通訳するとか、中国語を日本語にするとか、ありとあらゆるパターンの人たちがそこにいて「すっごいな!」と思ってたら、なんか質問されてたみたいで(笑)。

─あははは。そういう場所で緊張しないんですか?
だって、お祭りでしょ。だから、なんか楽しくやっとこうって(笑)。

─あははは。海外だとか、権威ある映画祭だとか、そういうのは関係ないんですね。
うん。だって俺にとってはほんとに『硫黄島の手紙』に付いてきたおまけで、よかったねっていうようなもの。最初から、カンヌ行きたいからこの映画に出るって、さすがにちょっと寒くないですか?(笑)

─確かにね。
俺たちは特別招待作品だったから、コンペでどうこうとかじゃないけど、賞目的や映画祭目的でやってる人とかって時々いるんです。そういう人にはよく言ってる。「いいよ、じゃあ俺がチケット代出すから行ってこいよ」って(笑)。

─でも、バラエティとかだと視聴率取るためにいろいろやったりしなきゃいけない訳じゃないですか。それはやるべきことだと思います?
ま、悪いより良い方がいいですけど。

─じゃあ、テレビのバラエティと作品作りは、二宮さんにとってベクトルが違うものなんですね。
うん。数字がいいとスタッフの手応えも違うし、みんな元気も出るし。それはドラマもそうですけど。

─以前二宮さんからお聞きした「好きと得意は比例しないと思う」という言葉が印象的だったんですけど、ご自身の中でお芝居というのは、「好き」と「得意」のどっちだと思いますか?
う~ん。「苦手」かな。やってる時は、ジャニーズ事務所背負って、嵐を背負って、二宮家を背負ってね、頑張ってるわけですよ、私も。ちゃんとやることはやってんだけど、でもま…苦手だな。私は弱い人間だから、楽な方に逃げたくなるし。

─何度やっても苦手意識があるんですか?
あるよ。うん、あります。

─では自分が苦手だって思うところに才能を授かってしまったというのは、どんな気持ちですか?
え~、そこまで考えたことないかな。ま、ラッキーだ、ぐらいにしかきっと思ってないんでしょうね。

─役者として評価を受けるということに対しては?
気持ち悪いです、自分が女として褒められてるみたいな感じで。まるっきり生きてる世界が違う感じがするっていうか。僕の中では「ほんとに綺麗ですね」って言われてるようなものだから。役者じゃないし、そもそも。

─じゃあ逆に「得意」なのはなんだと思います?
正直に言うと一番やってて楽しいのはバラエティです。

─どんなところが楽しいんですか?
一発勝負。なにもないところからの一発本番じゃない?

─すごく自分を試されますよね。
面白い方に進める日もあれば、進めない日もあったるし、出演者によって変わってきたりもするわけで。
ドラマって、ドライリハーサルがあって、テストがあって、カメリハがあって、本番があって、台本に書いてあることを4回やっていく。コンサートも、自分たちは1ヶ月かけて作って、毎日お稽古してきたものをみんなに見てもらう。

でも、バラエティって特にそういう縛りがない。スタジオに来て、綺麗な服に着替えて、髪の毛直したら、あとは好きなことやっていい。自分のしゃべりでどこまで楽しくさせられるかっていう話なんです。だから人の話をよく聞きますよ。

─どこをどう拾っていくかって感じですもんね。
それを瞬時に何に例えるか、何に置き換えるかとか考えるわけ。それって、俺はお芝居にすごく役立つと思うんだよね。相手の台詞尻で、次俺がしゃべる、とかでもいいんだけど、俺はそれがあんまり好きじゃないから、役に入っててもちゃんと相手の人と話がしたいんです。バラエティで自然と人の話を聞くっていうのが身についてるからこそ、すごく自然だ、みたいなことを言われるんだと思うんですよ。

─芝居において?
そう。それはほんとにバラエティで培ったものだと思います。お芝居に関して言うと、連続ドラマ1本分の価値がバラエティ1回にはあると思ってるんですよ。

─じゃあ、アイドル業をやってなかったら、こんなに芝居がうまくなかったかもしれませんね。
というか、アイドルをやってなかったら、たぶん芝居に出会ってない。ほんとにそれは思うんです。

─最近は芝居のことを訊かれると「いや、僕はアイドルですから」って必ずおっしゃいますけど、それって「芝居を語らない」という強烈な芝居論だと思うんですよ。だから、大切だとは思っているんですよね。
「芝居を語るな」って言われたし。

─いやりや長介さんに言われたんでしたっけ?
うん。

─じゃあ「語りたいこと」や「語るべきこと」はあるけど、敢えて語っていない、と解釈していいんですか?
うん。なんか、冷めない?

─語られてしまうと?
そう。距離感で好きな人って絶対いるから。その距離感を縮めて欲しいって人もいるけど、縮めないで欲しいっていう人もいる。縮めて欲しいって思ってる人は歩み寄ってこれるんだから、その人たちが頑張るしかないんだよね。

─で、俳優業をやってる人の中には「アイドルと呼ばれたくない」という若手の人たちがたくさんいるんじゃないですか?
うん。それはなんか、ごめんなさいって感じ。たぶん僕たちが手を広げ過ぎちゃったんだよね。

─俳優の人たちにとっては、凄くやりにくいと思うんですよ。
でもね、言ってくるから(笑)。

─ははははは。
「だって言ってくるんだもん、みんな!」みたいなさ(笑)。

─ははははは、しょうがないですよね。
それは僕たちだって断んない。なんでもやるからね。

─『硫黄島からの手紙』の二宮さんの演技は、日本だけではなくアメリカやヨーロッパでも注目されたわけですが、海外で自分が評価されるというのは
どんな気持ちでした?
早く誰か出てきてくれないかなと思ってました。だってこんな代表やだもん。

─喜ぶ人も多いと思いますけど。
やだよ!俺よりももっといい人なんてたくさんいるし、そもそも俳優じゃないし。だから、ほんとに誰か代わりで出てきてくれないかなと思ってました(笑)。

─こそばゆい感じだったんですか?

うん。でも、これで日本に少しでも興味を持ち、日本の役者と仕事してみたいと思った海外の人がひとりでもいたなら、自分がやってきた仕事は少しは報われたと思ってますけど。

─ハリウッドに行きたいと思っている俳優さんたちがたくさんいる中で、アイドルとして活躍している二宮さんが行ってさらっと評価を得ちゃうって、エポックメイキングなことだと思うんですよ、
日本人のアイドルへの概念を変えたという意味でも。
そうかな?自分はその渦中に入ってるから、あんまりよくわかってないんだけど。でも、基準になったと思う。22歳くらいの、日本の若手のレベルってこれぐらいなんだなっていう基準になったと思います。

─その基準、高過ぎないですか?(笑)
ふふふふ。そこはね、ちょっと高いかも(笑)。

─あははは。だから、すごい迷惑だと思うんですよね、同世代の俳優にとっては。
そうだよね、死んじゃえって感じだよね(笑)。でも、ひとつの提示にはなったんじゃないのかなと、俺は思ってるんだけど。日本にもこういう人がいるんだな、っていう。ま、それぐらいだと思いますけど。

普通の人なのに時々すげえんだよな、と思ってもらえるアイドルが最終目標

─二宮さんは何でそんなに「アイドルの幅を広げること」にこだわるんですか?
なんか、完璧じゃないといけなかったじゃない?アイドルって昔は。でも、そういうことじゃない気がして。一般的な人が、ある時、ある場所になると神格化されるっていうのが、僕はアイドルだと思っていて、その一番わかりやすいのが、スーパーマンとか、スパイダーマン。あれが俺はアイドルの基本理念としてあると思ってるんだけどね。だから、なんて言ったらいいんだろう。すごく難しいんだけど、なんか「やっぱりこの人たち、普通の人だったんだ」っていう与える印象がマイナスではなく、なりたいっていうか、もっとフラットな感じ。「これだけ普通の人たちがこんなことやるなんてすごいな」って思ってもらうのが最終目標だから。

─自分たちと同じなのに、こんなに凄いことやっちゃってって?
うん。まったく普通の人なのに「この人、実はアメリカで映画撮ってたんだよな」とか「時々すげぇんだよな」って感じが最終かなあ。

─なんで、それが最終目標になったんですか?
う~ん。一番簡単に言うと、嵐の人たちがそういう人だからだよね、ただ普通に。

『硫黄島からの手紙』は公開する前から自分の代表作になってて、不思議だった

─『硫黄島からの手紙』で体験した一連を振り返ってみて、二宮さんのパーソナリティになにか影響があったことはありますか?

ないですね。

─何でそんなに変わらずにいられるんですか?
周りが変わってきたからじゃない?反面教師的な感じですよね。

─周りが変わるから、自分は絶対に変わらないっていう?

そうですね。周りがどんどん変わっていく様を見て、怖かった。なにが変わったかって、周りが認めてくれたっていうか、俺みたいな人間が、評価をされるようなことをやるとは思ってなかったから。あの作品に関しては、自分はポッと出感があったし。なんでこんなに「あの子は凄くいいですよ」なんて言ってくれるんだろうと思って、怖かったです。

─それは戸惑いなんですか?
うん。あと、自分のプロフィールに絶対載ってますね。クリント・イーストウッド監督『硫黄島からの手紙』に出演した、って。たぶんあれ、死ぬまで消えないですよ。

─それだけ大きなものとして残ったわけですよね。
でも、残るだろうなと思ってました。だって、クリントが撮って、スピルバーグが製作総指揮で入って、ワーナーとドリームワークスがダブルで撮る映画の片方ですよ。話題になる、ならないとか以前の問題、ほんとに。公開して、みんなに認められて、この人と言ったらこれだよ!っていうのが代表作なわけでしょう
?これはもう最初っからありました、『硫黄島からの手紙』が代表作になるって。

─映画を撮る前からね(笑)。
うん。みんな言ってたから、すごい不思議でした(笑)。「あれ?俺すごい頑張ったのに」みたいな。

─「頑張りを評価してくれ」って感じ?
そうそうそう、この1ヶ月半だよって。でも、みんな映画観たらびっくりするんだろうっていうのはありました。絶対死ぬって思われてんだろうなと思ってたから(笑)。

─あははは、確かに。
衣装合わせの時に、謙さんにも言われたから、「お前、すぐ死にそうだな」って(笑)。みんな「あいつ、すぐ死ぬ」って思ってるんだろうなと思ったから、絶対言うのやめようと思ってて。だから、公開されるまでの期間はすごい楽しかったですね。


いかがでしたか?
嵐に還元できない個人仕事はしないと言う二宮くんらしいインタビューですよね。『硫黄島からの手紙』だけじゃなく、演技仕事や俳優というものとの距離感。嵐を知るためのきっかけであればとか、バラエティーに重きを置いている点、自分たちの考えるアイドル像とか、12年前のインタビューとは思えないほど老成しています。いかりやさんとか大野くんとか、尊敬する人の言葉を信条に天狗になったり、自分を過大評価していないのも、変わっていないなあと思いますね。

こんな気持ちで演じた映画『硫黄島からの手紙』。インタビューを読んでから観るとまた、違う印象になるかもしれません。今夜、またじっくり鑑賞したいと思います。