WOWOWでやってたので朝起きてから見てたらドはまってしまった。
ここ数年で見た映画で間違いなく一番。
いやーこんなに感動したのは久々だなー。
午後からもこの感情が沈まず、ロケ地の下町に赴くことに。














【以下感想(ネタバレを含む)】
公衆トイレ掃除によって社会を陰で支える平山。
でもその平山もまた、BOSSを定期的に自販機に供給する人、そのBOSSを工場で作っている人、更には異国のコーヒー豆農家等によって支えられている。
趣味の写真の現像をしてくれる写真屋さんにも(ここにコミュニケーションがないのがまたいい)、そのフィルム工場で働く人たちにも、お風呂屋さんやその他数多の人たちによって平山の「日々の幸せ」は支えられている。
それらの人たちにもそれぞれの。
外から見ればささやかだが自身にしてみれば大切な喜怒哀楽が、日々起こっているのだろう。
平山が携わるのは貧富関係なく人間は誰しも不可避な「排泄」。
そしてラスト近くに関わるのも、貧富関係なく人間は誰しも不可避な「死」。
世の中は網の目のように交わる運命や宿命で「既に」構成されていて、皆それに抗うことで少しでも上の幸せを得ようともがきながら生きているのだろう。
でも平山の生き方は違う。
それは裕福な家庭で品行方正に育てられた幼少期からの習慣に基づく、「もがくことに無縁」の「生まれながらの感性」によるものなのか。
或いは父親との確執で、父親のみならず世の中全てと遮断したいとの思いから生まれた「新たな感性」だったのか。
しかし時に襲ってくる予期せぬアクシデントは、平山があの歳まで長い時間を使って淡々と築き上げてた、自分を守る「防波堤」を越えてくる「津波」だった。
最後、車の中で平山が目を真っ赤にして流した涙。
見終わった直後は最初「悲しみの涙」だと思った。
うまく言えないけど諸行無常的な?
でも見終わって数日してから、段々あれはひょっとしたら「嬉し涙」ではなかったか、と思うようになった。
その余韻も含めて、見終わった後からじわじわくる映画であった。
ロケ地巡礼、ほんとは「電気湯」にも行きたかったけど、そこだけ曳舟の方で距離があって断念。
でも例えるとあの電気湯の湯船のような映画だったな。
喜怒哀楽のいろんなエピソードが、次々と泡のように生まれるけれども、それらはどれも繋がらないし膨らみもしない。
ひとつひとつの泡は上ってパチンと弾けて終わり。
その数多の沫の中に、ただ身を委ねる。
平山の人生を表してる気がした。

