「一緒にいても幸せを感じない」
42歳の春 食卓テーブルに向かい合っての私の言葉

鬼嫁は旦那さんの衣類だけを渡して家を出てもらいました。

離婚は結婚の何倍も大変です。
決心するまで悩み続けました。
一人夜の1号線を京都に向けて運転しながら大声あげて泣きまくりましたタラータラータラー
子供には見せたくなかった。
子供達には愚痴も悪口も言わなかった。
子供達には父親だもの。

性格の不一致?
暴力亭主でもなく。酒乱でもグウタラ亭主でもない。人が良すぎる故に金銭問題に「もう無理」
そして、これからの人生  私でなかったらこの人はこんなにはならなかったのかも  私じゃない奥さんだったら良かったかも!?

私は私で
この人の下の世話は私にはできない。。。

離婚して26年
元旦那さんには新しく一緒に暮らす人がいて
私は心から「良かった」と思ってます。

私の26年は好きが仕事になって子供達は成長し楽しい人生してくれてるし
旅好きが自由に旅したり、私を大切にしてくれる兄姉、可愛い孫、仲間がいる。
『離婚』はしない方がいいに決まってる。
母の思いを裏切ったから
相談もせず事後報告した私に
「親戚、ご近所には言わないで」大正生まれの母の本心でした。
そして86歳で亡くなるまで「大丈夫か?」心配し続けてました。
35歳で未亡人になり3人の子供を育てる苦労を知ってたからでしょう。
だから月命日に手を合わせ
「大丈夫だよ」
「健康をありがとう  マチコも和也も頑張ってるよ」
「私達は大丈夫。今月も皆んなを見守ってね」