私は以前、ある製造業の会社で社内通訳として英語を訳す仕事をしていました。 私は帰国子女でもハーフでもなく英語は自学で勉強しただけです。また外国の大学卒でもないので、同僚に比べると英語力に自信がありませんでした。 

 

それでも相当努力して長年勉強していたので、何とか仕事が出来るレベルにはなっていました。 とは言え、毎日大変でした。いつも「今日はうまく訳せるだろうか?英語が聞き取れなかったらどうしよう?」という不安と精神的プレッシャーにさいなまれる日々でした。

 

 

出張の前や大きな会議の前の晩は緊張し過ぎて眠りが浅く、頭がもうろうとしながら出社していました。また子供が小さい頃は夜泣きされてロクに眠れないまま、仕事に向かう日もしょっちゅうで、今思えばあんなに寝ていないのに仕事中によく集中力を保てたな、と我ながら驚きます。気力と根性だけで過ごしていました(まあ体力もあるんですけどね)。

 

毎日毎日綱渡りで、「今日もやっと終わった・・・。」という感じでした。例え仕事が終わっても、うまく出来なくて周りに迷惑をかけたり失敗も結構しました。

 

それでも毎日一歩一歩進んで来たと思います。 通訳をしていた年月は私を確実に成長させてくれました。スキルがかなり身に付きました。ですから会社には感謝しています。またその間に関わった上司、先輩、同僚などにも感謝・感謝です。良い経験をさせてもらいました。これは間違いないです。

 

でも今思えば相当無理があったんですよね。通訳をしていた時は常に気を張っていたので、肩コリと頭痛がすごくて毎週月曜日はほぼ頭痛でした。吐き気もしました。 

 

また仕事が大変過ぎて、家に帰って来てからもイライラして疲れが取れずに心の中に暴風雨が吹いていました。家族に優しく出来ませんでした。疲れ切っているから家事以外何もする気が起きませんでした。心の余裕が全くありませんでした。生きていくのが辛かったですが、そこから目をそむけて「頑張るしかないんだ。」と自分に言い聞かせていました。

 

 しかし通訳を辞めてからは、精神的にとてもラクになりました。精神的プレッシャーから解放されたので、自分にも周りにも優しくなれました。そしてつくづく感じるのです。「今まで相当無理していたんだ。」と。 

 

世の中には私のように無理をして働いている方が多いかもしれません。それでも生活のために毎日頑張っているんだと思います。そういう方はとても疲れていますよね。 

 

私は今だからこそ思います。努力するのも大切だけど、努力ばかりし続けて自分を消耗し尽くしたら意味がない。本末転倒だと。 努力は良いことですが、無理がある努力、背伸びのし過ぎ、努力しないとスタート地点すら立てないのは、多分環境の選択が間違っています。そこまで無理しなくても人間は生きていけるはずだし、生かされるべきです。

 

もっと世の中は働く人に優しくあって欲しいと思います。働くだけが人生じゃないのに、長時間働いて相当労力をかけないと最低限のお金すら稼げない、そんな世の中になったのは日本の政治家の責任だと思います。政治家が私達の給料を不当に吸い取って、自分たちの利益にしているからです。

 

それはさておき、私は以前「努力して夢を叶えたり、目標を達成してこそ人生。」と思っていました。それ以外の選択肢は無い、くらいに思っていました。もちろん夢を叶えるのは素晴らしいことですが、それだけが人生ではありません。そこにこだわり過ぎると自分のクビをしめます。(以前の私のように)。

 

私は通訳をあのまま続けていたら体を壊したと思います。そしてイライラして周りに当たって人間関係も悪くなっていたと思います。無理がある事をずっとしていて「このまま進んだら破滅する。」という方向に進んでいたから、天から強制終了させられたのでは?と勝手に思っています。 

 

ある意味大きな存在から守ってもらえた、と信じています。とにかくコロナで社会が一変しました。私はこれをきっかけに成果主義(成果を上げるのが最優先)にこだわるのではなく、人生を楽しむ機会を与えられたと思って日々生活していこうと思いました。

 

 

ドキドキ仕事を辞めたら、英語を読むのも聞くのもイヤになって今は全然英語に接していません。きっとそのうちまた英語に触れたくなる日が来るでしょうから、その時は楽しみたいと思います。今は占い師として活動中です☟