私の書く物語が、生や死に関わるものが多いからないのか、
私の元に届くメッセージや、コメントには、
それに関わるものが多いのです。
生きてる事がとても辛いです。
生きる意味がわからない。
本当は死にたい。
それを見て、
胸が締め付けられるのと同時に、
共感したりもするのです。
前にも言ったような気がするけれど、
私たちは、
生まれたくて生まれた訳じゃない。
気づいたら、ここにいた。
それは自分達の親の都合。
ちょっと言い方が
よくないかもしれないけど、
それが事実なんだよね。
だから
ふと、「どうして私は生きてるの?」
なんて疑問を抱いたり。
私はとくに、
誰かのためになるような
すごい事はしてないし、
もちろん、
今死んだってニュースになるわけじゃない。
きっと死んだ後も、
ほとんどの人達がそんな事にも気づかずに、
普通の毎日を送るんだろう。
「どうして私は生きてるの?」
それはとっても素朴で、
人間らしくて、
当たり前の疑問なんだけど、
その時が、
とても苦しい時だったり、
辛い時だったりすると、
「死」っていうものが、
とても楽なものに見えたりして。
死、の先にあるものを
誰も知らないから、
ある人にはそれが、
とても飛び込みやすいものだったりも
するのかもしれない。
「生きる意味」
「生きてる意味」
「生きていく意味」
そんなものは、
ないのかもしれない。
人は生まれながらにして、
死に向かって歩いてる。
そういう言葉を良く聞くけれど、
全くその通りで、
なんだかとても嫌な感じだけど、
反論できなくて。
だからね、
そういう疑問を投げかけられると、
正直、言葉に詰まってしまうんだ。
それは、
私自身、よくわかっていないから。
答えを出せるような立場では、まだないから。
でも、それだと彼女達は、
もっと追いつめられてしまうのかな、
と思うと、とても苦しい。
だから、ひとつ
言える事があるとすれば、
生まれた事に意味はない、
としても、
私たちが生まれた事、
それは紛れもなく
“奇跡”であるという事。
ひとり、ひとりが
奇跡のような、
とても、とても、
貴重で、大切な存在であるという事。
たったひとりとして、
いらない人間なんていないという事。
生きる意味なんて、
そんなの考えなくたっていいんだと思う。
今、あなたの手が温かくて、
胸に手をあてれば、
生まれた瞬間から、
今日までずっと動き続けてくれてる
心臓の鼓動を感じる。
それに加えて、
目の前の色や、人や、風景を見れたら
もっとラッキー!
耳を傾ければ、
音楽や、大切な人達の声を聞く事が出来たら、
もっと、もっとラッキー!
ものはとらえよう。
当たり前だと思ってるから、
辛いと感じてしまう。
だけど、
本当は全部が奇跡。
当たり前なんてひとつもない。
死を考える前に、
そうやって考えてみたらどうだろう?
今、当たり前に自分の周りにいてくれる人達とも、
奇跡のような出逢いを果たして、
今、そばにいるという事。
視野を広げてみれば、
それがどれだけ途方もなく、
あり得ないほど偶然の奇跡なのかわかるはず。
辛い事の裏には、
きっと幸せへのヒントが隠されている。
傷ついた心は、
きっと傷ついた誰かの心をわかり合い、
癒す力を持つ。
その力が優しさに変わる。
優しさが強さになる。
強さは、人を許し、
そして自分自身を許せるようになる。
その先には、
きっと、
自ら選ぶ”死”は
待っていないから。
うまく言えないけどね、
私は今日まで、
何度も、何度も、
“死にたい”と思った分だけ、
生きてきた。
その結果、
今はとても幸せだよ。
“死にたい”と感じる先に、
きっと幸せや喜びが待ってるから。
それがきっと、
自分にとっての
“生きる意味”に繋がるのかもしれない。
”生きる事は辛いけど、
生きてる事はとても幸せな事。”
だから、
今は負けないでね。
きっと大丈夫だから。
きっと全てがうまくいくよ。

私の元に届くメッセージや、コメントには、
それに関わるものが多いのです。
生きてる事がとても辛いです。
生きる意味がわからない。
本当は死にたい。
それを見て、
胸が締め付けられるのと同時に、
共感したりもするのです。
前にも言ったような気がするけれど、
私たちは、
生まれたくて生まれた訳じゃない。
気づいたら、ここにいた。
それは自分達の親の都合。
ちょっと言い方が
よくないかもしれないけど、
それが事実なんだよね。
だから
ふと、「どうして私は生きてるの?」
なんて疑問を抱いたり。
私はとくに、
誰かのためになるような
すごい事はしてないし、
もちろん、
今死んだってニュースになるわけじゃない。
きっと死んだ後も、
ほとんどの人達がそんな事にも気づかずに、
普通の毎日を送るんだろう。
「どうして私は生きてるの?」
それはとっても素朴で、
人間らしくて、
当たり前の疑問なんだけど、
その時が、
とても苦しい時だったり、
辛い時だったりすると、
「死」っていうものが、
とても楽なものに見えたりして。
死、の先にあるものを
誰も知らないから、
ある人にはそれが、
とても飛び込みやすいものだったりも
するのかもしれない。
「生きる意味」
「生きてる意味」
「生きていく意味」
そんなものは、
ないのかもしれない。
人は生まれながらにして、
死に向かって歩いてる。
そういう言葉を良く聞くけれど、
全くその通りで、
なんだかとても嫌な感じだけど、
反論できなくて。
だからね、
そういう疑問を投げかけられると、
正直、言葉に詰まってしまうんだ。
それは、
私自身、よくわかっていないから。
答えを出せるような立場では、まだないから。
でも、それだと彼女達は、
もっと追いつめられてしまうのかな、
と思うと、とても苦しい。
だから、ひとつ
言える事があるとすれば、
生まれた事に意味はない、
としても、
私たちが生まれた事、
それは紛れもなく
“奇跡”であるという事。
ひとり、ひとりが
奇跡のような、
とても、とても、
貴重で、大切な存在であるという事。
たったひとりとして、
いらない人間なんていないという事。
生きる意味なんて、
そんなの考えなくたっていいんだと思う。
今、あなたの手が温かくて、
胸に手をあてれば、
生まれた瞬間から、
今日までずっと動き続けてくれてる
心臓の鼓動を感じる。
それに加えて、
目の前の色や、人や、風景を見れたら
もっとラッキー!
耳を傾ければ、
音楽や、大切な人達の声を聞く事が出来たら、
もっと、もっとラッキー!
ものはとらえよう。
当たり前だと思ってるから、
辛いと感じてしまう。
だけど、
本当は全部が奇跡。
当たり前なんてひとつもない。
死を考える前に、
そうやって考えてみたらどうだろう?
今、当たり前に自分の周りにいてくれる人達とも、
奇跡のような出逢いを果たして、
今、そばにいるという事。
視野を広げてみれば、
それがどれだけ途方もなく、
あり得ないほど偶然の奇跡なのかわかるはず。
辛い事の裏には、
きっと幸せへのヒントが隠されている。
傷ついた心は、
きっと傷ついた誰かの心をわかり合い、
癒す力を持つ。
その力が優しさに変わる。
優しさが強さになる。
強さは、人を許し、
そして自分自身を許せるようになる。
その先には、
きっと、
自ら選ぶ”死”は
待っていないから。
うまく言えないけどね、
私は今日まで、
何度も、何度も、
“死にたい”と思った分だけ、
生きてきた。
その結果、
今はとても幸せだよ。
“死にたい”と感じる先に、
きっと幸せや喜びが待ってるから。
それがきっと、
自分にとっての
“生きる意味”に繋がるのかもしれない。
”生きる事は辛いけど、
生きてる事はとても幸せな事。”
だから、
今は負けないでね。
きっと大丈夫だから。
きっと全てがうまくいくよ。
