4月17日
義母が亡くなりました。享年91歳


義母は2月初めにコロナ感染し、10日間個室で治療後、持病の心臓の様子見をするため入院続行しました。
食欲もあり、歩いて退院を目指してリハビリしていましたが、急にご飯を食べなくなり、91歳の誕生日の3月18日、医師から「いつ亡くなってもおかしくない状態なので、いつでも面会してあげてください」と連絡があり個室に移りました。

病院はまだコロナ禍で、大部屋の面会は、1人週一回10分という決まりがありましたが、毎日誰でも面会できるようになりました。
毎日、誰かが面会したら、こちらのいう事にうなづく事ができるようになり、もう危ないと言われてから10日後、酸素マスクが取れて、大部屋に戻りました。


毎日会いに行くようになったら復活しました。病院が嫌いな義母。ひとりぼっちで寂しいのに、時々しか会いに来てくれないと、鬱になってしまったのかもしれません。


寝てばかりいたけど意識はあるので、話しかければうなずいたり、入れ歯のない口で「水が欲しい」と言うようになりました。


が、尿路感染症になり、血液に菌が入る真菌血症になったと連絡があった翌朝、義母は眠るように息を引き取りました。苦しまず良かったです。合掌






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義母は、次男(夫の弟)と長女(夫の妹・私と同い年)夫婦の4人で暮らしてました。
義母は、家から1キロほどの救急病院に入院して、主治医との連絡は次男がしてました。


家で突然、母親が気を失って白目を向いてしまったのを長女が見て、救急車を呼びました。
長女は、その時の母親の様子を見てショックを受けたのが原因(らしく)気持ち悪いとか、食欲はあるのに体重が落ち、急に気分が鬱っぽくなり、何もできなくなる、けど15分も寝ればサッパリする、という症状になり、母の顔を見るとショックを受けるからと、面会にいけませんでした。


気持ち悪いから、目が痛いから病院に連れてって欲しいと、有給休暇中の私の夫を頼るようになりました。義母の家まで往復50キロ運転して、1キロ先の病院に連れてってなんて…病院行けないなら、市販の薬飲んで寝てれば?なんて、私は言ってしまいました。けど「病院に行って、薬もらうと安心するの」などと言われ、優しい夫は、病院に連れてってあげてました。


15分寝ればスッキリするならいいわよ。私が父の介護した時、毎日朝から晩まで酷い貧血でだるかった。自分の病院へ、途中で倒れないように杖ついて、電車乗り換えて1時間以上かけて行ったのにさー。具合悪いなら、何もしてないんだから、寝てなさいよねー!

と、義母が入院した2ヶ月間、過去の辛かった事を思い出し、憤慨したり、悲しくなったりしたのでした。


義母と長女は、こちらの著書に少し登場します。