4月13日は、人生初の手術を経験した日
当時22歳でした。
16年後に再発し、その2年後、再手術をしました。良性の脳腫瘍です。
同じ手術を二回経験し、昭和と平成の医療の違いを比較してみました。


手術した大学病院の手術室

脳外科の手術室はここではありませんが

このドアの向こうに2度行ったことがあります。



人生初の手術をしたのは、昭和61年。
私は22歳なのに、病気の説明は一切なく、両親にだけでした。
検査も、当時は日本に数台しかなかったMRIの説明もなく、いきなり薄暗く狭いカプセルみたいな中に入れられて怖かった😱



手術当日の朝、床屋さんに頭を丸坊主にされて😭手術室へ。
みんな無言で、手術台でいきなり手術着を脱がされ素っ裸にされ😣麻酔をかけられました😪
術後は1週間ICUのベッド上から降りられず、トイレもベッド上でした。(導尿はされず)
1ヶ月して退院と思ったら高熱が出て髄膜炎になり退院が1ヶ月延期されました。
私が退院時に知ったのは、腫瘍は3%取り残されたというだけ。
母は「医者は100%って言わないのよ」といいました。



それから16年後の平成12年。
だるくて疲れが取れず、内科を受診したら「異常なし」
ずいぶん頭の検査をしてないから、これを機会にMRI検査しようと、手術した大学病院で検査したら「再発ですね。ほら、ここ白く写ってるでしょう」😱😨😰😥😓
泣いて帰ったのを覚えています。
後日、再受診して、お蔵入りしてセピア色になったカルテを見て、腫瘍の種類、大きさ、できた場所を説明されました。
その時、取り残しは徐々に大きくなると知りました😱
半年に一度MRI検査をし、再発してから2年後、自分から「いずれ手術するなら今でしょ!」と手術することに。



前回の手術から18年後は、患者の私に、執刀医から術前説明されました。(当時、脳腫瘍手術件数日本一の医師で、テレビで何度か拝見した事のある有名な医師でした)
腫瘍は脳幹を触っており、「これは今手術しないとダメでしょ。これを様子見だなんて、取る自信がないからなのかな」
さすが日本一の脳外科医。自信たっぷりな😅
自分から手術お願いして良かった😃


手術室へはストレッチャーではなく、病室から歩いて行きました。
丸坊主にはされず、麻酔してからメスを入れる所だけヘアカットされました。
麻酔をかけられるまでも、何をするか逐一説明してしてくれました。
10時間の術後、ICUは一泊だけで病室(個室)へ。
翌日、看護師の介助でトイレへ歩いて行きました。
1週間後の抜糸の翌日退院しました。まだ目が回るし😵‍💫見る物全て二つに見えるのに😵


術後20年経ち、手術痕は綺麗になりました。



というように、昭和時代と平成時代の患者に対する扱いは、えらく違いました。
今も通院していますが(他の病気で)医師も看護師も、患者に丁寧に対応してくれます。たまに??な人もいますけどね。


平成になり、手術時に外した頭蓋骨💀を元に戻せる場合もあると知りました。
私の頭蓋骨は捨てられました😭



再手術で、目で見える腫瘍は全て摘出したが、病気と一生付き合うと思いなさいと、年に一度検査しましたが、7年後、再発の兆候はないので終了。
初めての手術から27年、脳外科を卒業しました👩‍🎓👏


夫は、最初に手術した時は彼氏でした。
2度も心配をかけてしまいました。ごめんなさい🙇‍♀️
ですが…その後、他の病気で4回してます。
重ね重ねごめんなさい🙇‍♀️🙇‍♀️


昭和時代は、治療は医師任せでした。
主治医は横柄で、近寄りがたい人でした。
担当のインターンとは、冗談をいう仲でしたが😁
手術台で無言で手術着を脱がすなんて、患者を物扱いしてますよね😡

今は、患者が治療の選択をします。
自己責任なのです。
なので、患者も病気の勉強をしなければなりません。
30代の頃は、それができましたが、60代になり、頭の回転が悪くなったので、難しくなりました。
頭の回転がよかった頃のことを、AmazonKindleから電子書籍にて出版しました。
脳腫瘍のわたしが、同時期に入院した父と息子の介護をした奮闘記です。