私は、自分の意見を絶対視していないところがある。

感情として感じることは自然に起きるものだから、あまりぶれないのかもしれないが。

 

人が話していること、

例えばそれがその道のプロが話していることならば、「へぇ、そうなのか~」と思うし、友だちが話していることならば「自分とは違うけれど、そう考える理由があるんだな」と思う。

 

そうした中で、自分の意見というものが、正しいのか分からなくなることがある。

若いころ、自分の意見がある友だちが自立しているようですごい人なんだと思ったこともあった。

多分、最近まで。

 

ここ最近は、自分の意見を押し通すのが強さなのか、視野の狭さなのか、疑問に思うこともある。

友達関係や家族の場合、相手の意見が自分の考えと一致しないことは無理に受け入れなくていいと思う。

 

 

しかし、先生や医師など、その道のプロから言われると、どこか盲信してしまうものだ。

「〇〇でなければならない」となる。

でも最近、それはとても危険な思考回路なのだと分かった。

 

相手から言われることが、腑に落ちない時、納得がいかない時、理解できない時。

そんな時に、「自分が未熟だから」「自分がその域に達していないから」と自分が分かっていないのだと考え、相手の言っていることを信じる。

 

そして、相手に「劣等生」のレッテルを貼られないように、従順になる。

 

「優等生でいなければ」という心理は何だろう。

切り捨てられたくないから?

怒られたくないから?

無意識に自分がダメな人間と思ってしまうから?

 

優等生を演じるのが苦しくなって、それまで優等生だったのに、私はその相手の視界から突如フレームアウトするのが癖であった。

ギリギリまで優等生で、何も言わずに去る。

 

相手はその道のプロかもしれないけれど、同じ人間だ。

神様じゃない。

(いや、スピ的に言えば、誰もが神様・・・ちょっとうまい例えが見つからなかった)

 

相手を盲目的に信じて、教わることを従順にこなすことは、ある種、早く結果につながるらしいが、でも私は何故かすんなりいったことはない気がする。

素直な人間の顔をした天邪鬼かもしれない。

あるいは出来ない言い訳かもしれないし。

 

優等生になれなくても、基準内にとどまるどころか劣等生でも、教わろうと思ったことをまだ続けていきたいと思うのなら、劣等生でいいから続けていけばいい。

もしくは、納得いかないことはぶつけていけば良いと思った。

その先がどうなるのかは、その時に考える。

 

私に出会った方々、面倒をお掛けしますが、よろしくお願いいたします。

といった心境になった。

 

優しそう、悩みがなさそう、とか言われるけれど。

優しいとは思うけれど、辛辣だし、鋭いところもある。

普段はのんびりボーっとしていたいタイプなのに、怒りスイッチが入ると、もう自分でも、これは一体どこにあったの?というパワーが。

納得いかないことは絶対に謝らない。

 (特に権力的なものを振りかざす人には)


あ、でも、優しい人キャラだと思っているのは自分だけかもしれない・・・

夫は辛辣な私をよく知っていると思うわ💦


昨日は人の冷酷さを感じて、一言では表せない気持ちになり、落ち込んだ。

とはいえ、相手がそうなった理由を全く理解できないわけではないが、思いやりは大事だよなぁ。

 

私は弱くない、大丈夫。

馬鹿にされる、なめられる、トラウマ。

自分がダメなんだと思う癖。

でも、私には底力がある。

いつもは隠れている強さを持っている。

他の人より課題がうまくいかなくても、ダメな人間じゃない。

 

誰もが、対等な、尊重されるべき存在である。

立場的に、自分より上と思う人を盲信しすぎない、自分より下と思う人を下という目で見ない。