何か分かった気がする
忘れたくない感覚
もうこれ以上傷つきたくないって思って、引きこもって、怖がっていた。
心を乱さず、安全に平和に、平穏にこのまま寿命を迎えられたらと思っていた。
現実がつらくて「ずっと寝ていても怒られない赤ちゃんに戻りたいな~」とか思うことが子供の頃からいっぱいあった。
「○○さんは、本が出せそうだね」と職場の人から言われるような、私にとってしんどい生活を送ってきた。
もう疲れ果てて、頑張らない(頑張れない)生活を始めて、しばらく経つ。
それまでの自分では、そんなことは許されないと思っていた、社会生活に参加しない生活。
嬉しい楽しいことに対してはたくさん思い出を集めたいけれど、悲しいことは、傷として残ったまま、その事に対して受け入れられなかった。
悲しいことは、向こうからやってくる避けられなかった流れ弾みたいな、被害者みたいな感じ。
全ては自分が作り出している、とたくさん聞いたし、そうなのかと頭では知っていた。
しかし、実感はなかった。
数日前、本当は自分がたくさんの感情を感じたかったし、色々な経験をしたかったのではないか?と、何となく気が付いた。
確かではないような、簡単には信じられないような。
そんなことが頭に浮かんで、考えていたら、また感じたことがあった。
「私が受け取ったものは、私の器が受け取れたものだった」
「あぁ、私はそんなに弱い存在なんかじゃなかったんだ」
そう思った。
(自分でいうのも、だけれど)
繊細で優しくて打たれ弱い私だと思っていたけれど、とっても好奇心旺盛でパワフルな魂だったかも知れない。
神様はその人が乗り越えられない試練は与えないっていうけれど、「与えられた試練」「乗り越える」って聞くとピンとこない。
向こうから来たもの、乗り越えるべきもの、と感じてしまうから。
今まで私が出会ってきた、色んな感情、経験、どれもこれも、それは自分が乗り越えられるから与えられたのではなく、受け取れるものだから、受け取ったのではないかと。
そして、分かった。
引き寄せの法則を説明されるときに未来にボールを投げて、流れてきた投げたボールを受け取る。
そうすると願望実現するとのこと。
その法則で考えると過去のことは、今まで私は、私が受け取りたいと思ったものを投げてきて、それを受け取りたいから受け取ったし、それを受け取れる私だったから受け取れたのだと。
胸が切り裂かれるような悲しみも、頭が爆発しそうな怒りも、丸ごと、私が私に対して送ってきた感情や経験という贈り物だったのかなと。
罪悪感も後悔も、怒りも憎しみも。
簡単に表現出来ないが、それを叶えてくれる役目を引き受けてくれた人がいたというも頭ではなく心で分かった。
そしたら、感謝の気持ちが溢れた。
この私が珍しくめちゃくちゃワクワクした。
私がずっと手放したいものがそこにある理由を、見つけたくなった。
見つけようとしなくて良いらしいけれど。
この気持ちを忘れないでいたい。
今まで教えてくれる人たちが居たけれど、知識として知っていたかも知れないけれど、初めて自分の感覚で、それが分かった気がした。
腑に落ちた。
そしたら、暑すぎてしんどい日常も、キラキラ輝いて見えた
すれ違っただけの知らない人とも笑っちゃうような話が出来たり、電車で、駐輪場で、優しさを貰ったり、会うのが少し緊張した友達とも温かい時間が過ごせたり。
マジで!
自分が変われば世界が変わる。
本当かも。