祖父の手紙2 | 温暖化で氷河期な気持ち

温暖化で氷河期な気持ち

祖父のノートを書き写す。

毎日返事を待ってゐることを知ってゐるので、早く書かなくちゃいけないと思いながら、日が過ぎてゆき一週間近くになりました、御免なさい。十日から土曜まで○○○○の校正を手傅ひました。(今度もなかなか面白いのがあります。)それから 庄野にたのまれて、新進作家の小説をつぎつぎ讀まされ何とか批評し載せる價値があるか、どうか答へる。小説もさうして讀むと、細かくなるし案外にくたびれるものです。その代り、若い人たちの近代文学なるものの姿が段々はっきりしてきます。庄野誠一にうまくおだてられ、社で小説のわかるのは君だけだ等と云はれ原稿を讀まされてゐるのですから世話はありません。庄野は暮れに旧作をまとめ「肥った紳士」なる短篇集を出しました。

二十二、三の頃、書いた作品が、今、清新なものとして批評されるのですから「怖るべき子」です。僕は、昔 彼の名を新進作家として知ってゐるので、し早四十近い人かと思ってゐたら、若いのに驚きました。一番、僕の気持ちがわかり、僕の欠点なども一番鋭く見抜いてゐます。

土曜の晩は藤沢君の新宅びらきに「部」の連中が集まりました。後から後からと十人前の料理をつくるので、奥さんとその料理友だちと女中の三人は大へんでした。日本間で句会をやりました。「夜寒」「新宅」各三句づつ。時間一時間わいわいして愉快でした。互選も各三句。結果は車谷弘が最高点十二点 この人はなかなか俳句の好きな人。次は僕が十点。みんな素人で「新宅の門を曲がりて立小便」の如き句が現れたり「夜寒に、退学届の墨をする」が同情をしめて四点かせいだり、相当に愉快な句会であるのがおわかりでせう。その中 電話で先生をよびだし選句をねがったら、「僕がえらんだ句には五十銭やる」と云ふので一同期待しました。それで僕も一円かせいで春からえんぎがいいわいと思ひました。先生も俳句はわからないから、たいしたのはありません。僕のは「新しき家居に馴れて春隣」「靴先に見入る駅夫や夜寒し」が先生選に入り、前の句は互選でも高点でした。その他は「新宅のあるじぶりよき切燈哉」「新宅の句会にぎはふ春寒し」「吠えやまぬ捨犬を呼ぶ夜寒哉」「肺炎の子の眼に見入る夜寒かな」。みんな新俳ですが、俳句をやらぬと宴会でわいわいしてる中だから、仕方ありません。この次まで、ひそかに芭蕉でも讀まうと思ったら、みんなもさうらしいので考へてゐます。

今日十六日社員総会がレインボーでありました。ちゃんとサンドイッチ、紅茶、ケーキ、果物が出ます。その席で、貯金帳が渡されました。僕がこの一年間ボーナスの四分の一で、いくらたまったと思ひます。三百六十円也。ボーナスは額面千四百円もらったわけです。自分ではとてもこんなに貯金出来ません。まづは有難し。次に人事異動で、主任が全部かわり、●●永井氏(斉藤氏の次にえらいひと)現地報告、●●君(部で古い人) 小坂君(●●●●での頑張り、押しの強さみとめられて)香西君(オールに十年居つきの主。誠実を買はれたもの)広告部、前沢君(営業方面、お金の方の苦労をさせるためらしい)代理部 立上君(パルプ二割減で雑誌に多用経営の必安上、拡大強化するため)と●陣容たれてました。なかなかよろしいと思いました。僕は○○○○勤務に戻りました。仲間は安藤・小島・庄野に徳田牧夫の子供さんに戓場君といふ「文学界」にゐた人ですから、僕より古い参はなく、気楽です。花房君のあとをついで、進行係をやる事となりませう。ペーヂは厚いし、入る広告は多いし、原稿をよむにも時間がかかるし、急がしくなるでせうが、健康に留意して誠実にやります。但し、○○にうつる事は転勤で栄転ではありません。社の仕事は、どの部に廻されても、その持場をしっかりやればいいのです。どの部でも、ちゃんと勤まらなければ、いい記者といへません。これは今に、オールや●に廻った時、思い違いをしない為に書きそへます。

長岡から帰ってきた夜あへてよかったと思います。何だか、気がおちつかないし、遅くもあったので、駒込までおくって行って、やはり、安心しました。僕の肩に頭をもたれて歩く通ちゃんの、いかにも安心しきった、楽しそうな感じは、始めてで、随分うれしく思いました。

小宮豊隆の「夏目漱石」よんでゐます。全集を読んでゐるので参考になる本です。僕は兄から借りてゐるので、通ちゃんのために買ってあげようと思ってゐます。僕のノートの感想はどうです。あとはなかなか書けず、宗教をおへ、マルキシズムに入ったのですが、その変化は書きにくいので、今は、章をかへて、高等学校生活を外面的に書こうとしてゐます。

洋裁はどうです。料理をうまくなって下さい。体を大事に。それから御両親を(批判を別に)尊敬なさい。自分の親に限らず、子供でもその親を尊敬させるやうにしなければいけません。親を「彼氏」だの「彼女」だのと云ふ口ぐせは、冗談にも云ふものではありません。本当に御両親を愛することは、御両親を仲良くさせようと、細かに気をまわすことではないのです。一寸気がついたので書きそへます。不悪。

ハタチの大人になった通子様。

                             謙三

 

※○○○○は出版物名

※●は読めない字など。旧漢字で書けなかった字は現代の字に。

※かな文字もなるべく書いてあるままにした