まだまだ書かなければならない事が沢山ある。
でも生きている限りは3人を失った苦しみがつきまとう。
厳選して書くがすべては他人にとってとるに足らない出来事なんだろう。
でも自分の中では誰に向けてでもなく書き残さねばと思う。
次男が生後2日で心臓の手術、数ヶ月で再手術。
1年間のICU生活ののちに相当なリスクを乗り換え生き延びた話。
これは私と妻の家での1番大きな出来事だったと思う。
場所は目白にある産科で有名な?病院。
無事産まれるもか細いオギャア、とアの字まで届かずその次もない。
これはおかしいと思っているとみるみる青白く。
そこの病院の手に負えないという迅速な判断のもと即転院、新宿の医科大病院へ転院。
ここでも迅速な診断と、たまたま日本に3人?しかいない手術をできる医者のいる日赤広尾へ転院。
もちろん空きのない手術スケジュールに無理やり割り込ませてもらえ、生まれた2日後に緊急手術。リスクとしては30%以上死ぬ。
病名は総肺静脈還流異常症Ⅲ型。心臓の血管のつけ間違えで全身に血液がうまく回って行かないという私達親のミス。
この赤ちゃんの拳ほどしかない心臓を開いて血管を付け替えるという大手術。
しかもこの手術にはもう一つ重大なリスクがある。
かりに手術が成功しても、繋いだ血管が塞がってしまう体質の人がいる。例えば火傷したり体に傷を作った時に治るけど傷跡が盛り上がる体質の人。あれが繋いだ血管にも起こって塞がってしまうと再手術になる。体質なのでそれを繰り返す。そして成人まで生きられない。
私の一族は医者の一族だ。遡れば将軍様の御典医だったりする。また直轄地であった倉敷には代々の薬屋もあり、今は博物館?にもなっている。
そんな感じで、母は薬剤師だった。だからと言って活躍する場はないが気休めに手術には一緒に立ち会ってもらった。もちろん私と妻も。ダメだった時の妻を考え妻母も妻のために立ち会ってもらう。
幼稚園児の長男はそんなところに立ち会わせたくなく、当然妻父が、と思ったら事件です。
当日宗教行事で旗を振る役を仰せつかっていたと。だからそっちに行くから長男の面倒は見られないと断られる。
腹が立つでもない。力が抜けるでもない。絶望感を持っ予約さえない。次男の事で頭がいっぱいでもいられない。こんな時にまでずっと対峙していたこの家の宗教問題に今立ち向かう力はない。
だから弟に頼んだ。弟に豊島園に連れて行ってもらった。覚悟を決めて家を出たと言うのに結局いつも助けてくれるのは自分の実家。足を引っ張るのは妻の家。情けなくて終わってから、ずっと耐えていた涙がとうとう出た。
手術を待つ間、次男の名前を考えた。私は画数というものが馬鹿馬鹿しいので嫌いだ。なぜなら同じ画数を良いと言う流派もあれば悪いと言う流派もある。
結婚前にデートでサンシャインにある占いに立ち寄った。私の名前は画数が悪いから改名しろと変な名前を教わった。
あなたの名前はこう言うところが弱いから気をつけなさい、とか頑張りなさい、ならわかる。両親が想いを込めてつけてくれた名前を変えなさいとは何事か。お前は何様だ!と腹を立てた。私はそんな人間である。
今回産後で満足に動く事もできない中転院にも付き添えず産後面会さえ出来ず、一番辛いのは妻であると思った。だから妻が気にいる名前をつけようと言った。
しかし妻母がしゃしゃりでた。画数や方位がどうの、と宗教的なことをぎゃーぎゃーとうるさい。
妻は妻母の支配下なのでほとんど妻母の思う名前になる。大切な次男が今もその名前を看板に生きているから、その名前についてどうこうは言えない。ただ無念である。
そして手術はなんと無事成功する。
妻もすぐには動けないので私が毎日ICUへ。
もちろん意識はなく何十本のチューブに繋がれたまま。しかしである。次男は意識がない中でもなぜかよく微笑んでくれる。どうやらこれが看護師さんの中でも評判であったらしい。痛い苦しいはずなのに、と。熱は常に38度39度。心拍も常に200前後。神様がいるとしたら彼の中にいると思った。
やがて少しずつチューブが減り、1ヶ月ほどでICUからNICUへ。そして一般病棟へ。
こうなると今度は朝から晩まで世話が必要となるので妻母と妻と私が交代で世話をする。
抱っこをして寝つかせながら映画版ドラえもんを歌って聞かせ食事をさせながら、絶対幸せな人生にしてやるからな、と語りかけた。
みるみる回復、そして退院。なんと幸せなことか。そしてなんと3ヶ月目にしてぺちゃくちゃと言葉のようなものを話し始める。やはりこの子は神様だ。一生分の不運を最初に終わらせたのだ、これからは良いことが待っている。
と思った。
検査の日。
繋げた血管が狭窄。
一番恐れていた事態。
こうなるとリスクのある手術を何回でも繰り返し、長くは生きられない。
再手術は10時間近い手術となった。
一度閉じた心臓が出血が止まらず開いて縫い直したらしい。
この手術は成功こそしたものの、ダメージは大きかったらしく初回より回復には時間がかかった。
一歳を目前にしてようやく退院。
しかしこれは地獄の入り口だった。
続く