幼い頃から、周りの空気に敏感な子供だった。


子供ながらにどうしたら人が喜ぶか、困るかわかったし、大人のちょっとしたストレスも感じ取っていた。


だからありのままの自分をさらけ出せなくて、いつだって誰かが望む私でいた。あまり他人を信用出来なかった。


大人になってからの方が素直になれた。人の良いところを見られるようになったから信用出来る人も増えたし、出会う人全員に好かれなくてもいいって思えたら、自分らしく居られる場所も増えた。


信じられる人が増えることは幸せなことだと思っていたけれど、たまにそのせいで深い深いキズを負う。信じてしまったが故に、それが間違いだったとわかった時はとても苦しい。結局、あなたも同じですか…と。


「信じていいのかな?」とはじめに躊躇ったのに気づいたらドップリだった時なんて、もう最悪。


自分に失うものがない人程、平気でこういうことをする。


他人を信じるということ。
それは、空に浮かぶ雲がずっとその場所にあると思い込むようなものかもしれない。それでも、この人を信じたいと思ってしまうのは、一体なぜなのか…


裏切られる度にもう誰も信用しないと思うのに、人の温かさに触れるとそんな心の氷も溶けてしまう。溶けた氷と一緒に傷も消えてしまえばいいのに。


信じる気持ちは疑う心よりも前向きで晴れ晴れとしている。何かを探るような目で見るよりもずっとずっと気持ちがいい。


だから、裏切る位ならはじめから放っておいて。これ以上、私の心を乱さないで下さい。


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