1 俺の休日


「ピンポ~ン♪」チャイムの音で起こされた。
「うっ!頭痛ぇ」
「ピンポ~ン♪ピンポ~ン♪」
慌ててインターフォンの受話器を取り無愛想に応対した。
「はい。何でしょう?」
「宅配です。枕をお届けに参りました。」
「うちじゃありませんよ。枕なんか・・・」
と言ったところで思い出した。
「すみません。おいくらですか?」
俺は言われた金額を支払い、受け取った箱をさっきまで寝ていたベッドへ運んだ。
「あれは夢じゃなかったんだ・・・」
二日酔いでボーとしていた頭の中がすっきりと晴れた。

あの日も忘年会で飲み過ぎて、部屋に帰るとテレビをつけたものの、シャワーも浴びずベッドに潜り込んで眠ってしまった。そして、テレビの通販の音声が聞こえてきて・・・

「これが『夢見る枕』です。このポケットにあなたが見たい夢の種。例えば写真などを入れて寝れば見たい夢が見られるのです。数に限りがあるのでお早めに・・・」

次の朝、テレビの事も注文の電話をした事も夢だったような気がして、そんな事があった事さえもさっき荷物が届くまで忘れていた。
しかし、荷物があるという事実があの夜の出来事が現実だった証なのだ。
俺は箱から『夢見る枕』を取り出すと「ここに何を入れようか」とワクワクしながら枕のポケットに手を差し込んだ。

枕のポケットにはサンプルソフトなのだろうか『宝船』の絵が一枚。それと説明書が入っていた。
『注意!ポケットに入れた夢の種に関係がある夢は必ずしも良い夢とは限りません』
っか・・・嫌な夢は見たくないけれど所詮『夢』だし・・・とは言うものの、なるべくなら良い夢を早く見たくなったので説明書の続きも読まずにサイドテーブルに置かれたフォトスタンドから取り出した写真を枕のポケットに入れて寝る事にした。
 そう今日は日曜日。一ヶ月前なら彼女とデートの約束でもしていたのだろうが、彼女とはクリスマスに別れたきりだった。予約したレストランでのディナーの途中、彼女が言った言葉に怒った俺はメインディッシュがテーブルに並ぶ前に店を飛び出したのだった。
















     2 俺の彼女


日曜日の昼前。何の予定も無い俺には外の天気などどうでもよかった。
 今日はこの『夢見る枕』で良い夢を見るのだ。昨年の秋に行った沖縄旅行の時に撮った『例の彼女』の写真が枕のポケットに入れてある。
 俺はゆっくりと夢の始まりを待った。
「ピンポ~ン♪」しばらくするとチャイムが鳴った。俺は無視をした。どうせ何かのセールスだろう。
「ピンポ~ン♪」チャイムの主は諦めないようだ。俺は無視するよりも怒鳴り返す手段を選択した。
「セールスはお断り!」
「わ・た・し。相変わらずね。」
チャイムの主は『例の彼女』だった。

彼女の突然の訪問に驚いた俺はインターフォンの受話器を持ったまま硬直してしまった。
「部屋に入れてくれないの?合鍵で入ってもいいんだけど・・・」
彼女のいたずらっぽい言葉に慌ててドアを開けた。
彼女の髪とコートの肩には薄っすらと雪が積もっていた。
「雪だったんだ。あっ、中に入って。」
コートの雪をはらった彼女を部屋に招き入れた。
「これ キッチンにお願い。」
彼女は微笑みながらスーパーの買い物袋を俺に押し付けた。
彼女がブーツを脱いでいる間にハンガーを取りにいった。
「彼女は何をしにきたんだろう・・・」
俺は困惑しつつも嬉しかった。あの晩あんなに怒った相手なのに。

「駅前のスーパーで買い物をしている間に降り出したのよ。食事まだなんでしょう?」
ハンガーにコートを掛けると買い物袋から中身を出し始めた。
彼女の行動が理解できない俺は思い切って聞いてみる事にした。
「この前の話なんだけど・・・」
彼女は俺の言葉を制して言った。
「話は食事をしながらにしましょう。支度ができるまでシャワーでも浴びてきて」
俺は言われるままにバスルームへ向かった。
寒々としたバスルームに白い湯気が立ち込める頃、シャワーのお湯があたる頭の中で、この後どういう話するのだろうと想像したがまとまらなかった。ただ彼女も一緒にシャワーを浴びる気にはならないかなぁとぼんやり考えた。

     3 俺の判断
「ピー!」
バスルームから出るとキッチンでヤカンが沸騰を知らせる音がしていた。
「おい。お湯が沸いているよ」
どこからも返事はなかった。
俺はキッチンのコンロの火を止めた。
ヤカンから出ていた音は弱々しく止み静寂が俺を包んだ。
テーブルの上にはサンドウィッチが並べられた皿にラップがかけられて置かれていた。
ベッドルームに着がえを取りに行くとベッドの上に四つにたたまれたままのバスオルが乗っている。
雪で濡れた髪を拭こうとしたのか。
それとも一緒にシャワーを浴びようとしたのだろうか・・・。
サイドテーブルに目を移すと何も飾られていないフォトスタンドが目に付いた。
俺は玄関に向かった。
やはり彼女のコートと俺の靴の隣に脱ぎ揃えられていたはずのブーツも無かった。
急いでドアを開けると冷たい風が部屋に流れ込んで来た。
早くドアを閉めなければ・・・
俺は腰にバスタオルを巻いただけの姿だった。

俺はヤカンのお湯を沸かしなおして彼女が用意したインスタントのカップスープに注ぎダイニングの椅子に腰掛けた。
彼女は俺と仲直りをするつもりで来たのだろうか。
フォトスタンドの写真を捨てたと思っただろうか。
彼女と又会う事はできるのだろうか。
あの夜以来彼女との事を忘れようと努めてきたけれど、それはできなかった。
そして今日、彼女に久しぶりに会えてとても嬉しかった。
カップスープの温かさは冷たく冷えていた俺の体と心に染みていった。
もう彼女を離すわけにはいかない。
俺は急いで着がえを済ますと部屋を飛び出した。
雪はほとんど止んでいたが、歩道には3センチ程積もっていた。
「駅まで行く間に追い付きそうだな。」俺は確信した。
何故ならば、彼女は以前雪が積もった道で転んだ事があり、それ以来雪道を歩く時はとても慎重にゆっくりと歩くのを俺は知っていたからだ。
俺は慎重かつ大胆に駅へと続く雪道を走った。

     










4 私の彼
「ピンポ~ン♪ピンポ~ン♪」
まだシャワーを浴びているのかしら・・・
私はドラッグストアーから戻ると彼の部屋のドアを合鍵で開けた。
勝手に借りた傘を傘立てに戻す時に玄関にあったはずの彼の靴が無くなっているのに気が付いた。
「私を探しに行ったのかしら・・・。」
一瞬、外に出て探そうかという考えが脳裏をよぎったが冷たく冷えた体はドアを開けようとはしなかった。
私はベッドの上に置きっぱなしにしていたバスタオルを持ちバスルームに入った。
「シャワーを浴びている間に彼は帰って来るかしら・・・」
バスルームにある洗面所の鏡はくもり始め、耳からエメラルドのピアスを外した私の姿は透明人間のように段々と見えなくなっていった。
シャワーのお湯の温度は私好みの温度だった。付き合い始めた頃の彼は熱めのお湯を好んでいたが、いつからか私好みの温度に慣れたようだ。
小川の氷が溶けるように私の体内の血液も流れも次第に活気づいていくのを感じた。

     5 俺のミス
俺は彼女に追い付かないまま駅に着いてしまった。
「こうなったら彼女の部屋まで行こう」
電車に乗ろうと思ったが財布も定期券も持ってきていなかった。
俺はしかたなく自分の部屋へ帰る事にした。
今走って来た道を今度は歩いて・・・
歩道には駅へ走った俺の足跡が残っていた。
「あっ!」
俺は彼女の足跡が無かったのに気がついた。
彼女は部屋に帰ろうと駅に向かったのでは無かったのか・・・
ひょっとしたら俺の部屋にいるかもしれない。
俺は再び走り出した。

「ピンポ~ン♪」

チャイムを押してみたが返事は無かった。


気を落としながら部屋のドアを開けると彼女のブーツがあった。
バスルームからシャワーの音が聞こえてくる。
俺は彼女を驚かそうと思い、自分の靴を下駄箱に隠しベッドへ潜り込んだ。
しかし何という事か、彼女を待っている間に不覚にも眠ってしまった。



      6 俺の夢






青い空の青とはこの空の色の事を言うのだろう。
空気は透明なはずなのに何故こんなに濃い青色に見えるのだろう。
砕けたサンゴが敷き詰められたビーチは白く、彼女がしているエメラルドのピアスと同じ色の海には色鮮やかな熱帯魚たちが泳いでいる。
沖縄本島の海洋センターから船で20分ほど沖にある小さな無人島。
俺はこの島が気に入ってしまった。
昨日は彼女と写真を撮り合ったり泳いだり、二人で楽しく過ごしたのだが今日は俺一人。
彼女は「ガラス工芸センターでグラスを作りたい」との事。
夕方、海洋センターで落ち合う事になっている。
島へは朝8時から夕方5時まで1時間に1便、『宝船』という渡し船が出る。
島の中央の山と呼ぶには低過ぎる丘にほとんど使用しない更衣室とトイレがある他には何も無い。監視員の仮設テントも朝に張り夕方たたむという物だ。
水や食料は船に乗る前に用意しなければならない。
開発をしてないからこそ自然の美しさを堪能できるのだ。
島は家族連れやカップル、友達同士などで賑わってはいるが、それでも全体で30人程しかいない。昨日よりも少ないのは季節はずれの台風が接近中で少し波が高いからだろうか。
俺はもっぱらシュノーケリングを楽しんでいた。
すぐ近くに熱帯魚が泳いでいるのだからスキューバーダイビングよりも手軽に南の海を満喫できる。
可愛い熱帯魚たちとたわむれた後、海洋センターで買ってきたジューシーという炊き込みご飯のおにぎりとアンダンスーと呼ばれる肉味噌が入ったおにぎりを食べた。薦められて買った「サンピン茶」も美味かった。
岩陰で寝そべり目を閉じると満腹感と波の音が心地良い眠りへと導いた。

ゴロゴロゴロ・・・
「何の音だろう?」
目を開けるとさっきまでのあの青空が真っ黒の変わっていた。
ピカ!ドドーン! 雷鳴とともに大粒の雨が降ってきた。
俺は急いで船着場へ走った。何かが変だ。しかし走らなければ・・・
「誰もいないぞ!」
何か変だと感じたのは、人影を見なかった事だとわかった。
左手首のダイバースウォッチを見ると最終便の船が出た後だった。
何という事だ。明日の朝まで船は来ない。
食料も昼に食べ尽くしてしまった。

俺は叩きつけるように降る雨に打たれながら呆然と立ち尽くした。


つづく