毎年気になっている。
15年前に亡くなった前夫のお墓。
かつてこのブログで記事にしたことがあったか、定かではないが、
既に前夫のご両親には久しく会っていないし、連絡も取っていない。
(去年、ほんとに偶然に遊園地でバッタリ会った以来、音沙汰無し)
15年前、夫が亡くなってから、1ヶ月ほど義理両親の家で生活をしました。
長女のエマは生後8ヶ月でした。
私は27歳でした。
今思えば、私はたった27歳で未亡人になったのだなと・・・。
義理両親と暮らすことはとても苦痛でした。
何が苦痛だったかと言いますと、笑顔が無かったことです。
息子を自死で亡くしたご両親には笑顔がありません。そりゃそうですよね。
それでも私は娘を抱えて、
育てていかなければと強く思っています。
庭先に咲いている花を見れば、エマを抱いて笑って見せます。
「綺麗ね~。赤い、お花だよ」
家の中に入ると、義父母に気を遣って笑いません。
笑えるような雰囲気じゃありませんでした。
なおかつ、義母は義父と仲が悪く、夫が亡くなる前から私は義母から義父の愚痴をよく聞かされていました。
義母は言います。
「結婚なんてね、くじ引きみたいなものよ。別に今のお父さんだけじゃなかったのに、あたしはなんでこのお父さんを選んだのかしら」
嫁として、
この言葉を聞いてどう返事をするのが正解だったのでしょうか。
今でも分かりません。この言葉を思い出すと、なんだか切なくなります。
朝早くに起きて、洗濯物を外に干すのは私の役割になりました。
でも、1時間後に見ると、Tシャツ類だけ、干し直されているのです。
ん???
とは思いましたが、それに対して義母に嫌悪感を抱くことはありませんでした。
そもそも前夫の義母はド几帳面で、
古めかしい和風の大きなお家には、塵一つ落ちていない、そんなお家だったからです。
性格的なものが、私の洗濯物の干し方を許容しなかったのだろう・・・と思った程度です。
ただやはり、
笑顔のない生活を一ヶ月続けて、
エマにも私にも変化がありました。
エマは無表情が目立つようになりました。
私は頻繁に体調を崩すようになりました。
気分が悪かろうが、何だろうが、義父母に要らぬ心配を掛けられないので、
夜中にこっそり足音を立てないようにお手洗いに行ったりしていました。
もうそろそろ限界かな・・・