母が24歳のとき、私はこの世に生を受けた。
前年に母は流行り風邪にかかり、出産予定だった長男を妊娠8ヶ月で亡くしている。
既に中絶出来ない状態だったようで、薬などを使って自ら体外に出したらしい。(産むのと同じ感じ)
そして翌年に私が産まれた。
両親は私を溺愛したようだ。
当時は携帯電話などないし、今よりずっと女性は育児を一人で抱えていた時代だったことだろうと想像したが、母は言う。
「そんなことないのよ。ご近所さんが皆親代わりだったんだもの。ハルちゃんもしょっちゅうお隣さんに預けたわ。」
と。
ああ~
確かにな。
今はご近所付き合いも希薄だというし、そうかもしれないな。
そんななか、
母の付けていた育児日記を実家で発見したことがあった。
年季の入ったドレッサーの椅子。
その椅子が収納箱の様になっており、座面が蓋になっている。
中にノートや家計簿が入っていた。
白かったであろうノートは長い歳月を重ねながら黄ばみ、いつの間にかセピア色になっている。
セピア色に化したノートを開くと、癖のある母の丸っこい文字が、まるで碁盤の目のように規則正しい間隔で並んでいる。
育児日記だ。
それも私が赤ちゃんだった頃のもの。
〝今日もハルは機嫌よく笑っている。先日1歳健診に行くと、左右の足の長さ、太さの違いを指摘された。大学病院を受診するよう紹介状を貰った。歩くようになったら、片足を引きずりながら歩くようになるかもしれない。小児がんの疑いあり、そんなことを言われた。このままハルと消えてしまいたい。こんな体に産んでしまってごめんね〟
そう綴られていた。
悩んでいた母の生々しい感情に触れ、胸が痛んだ。
ママ、生きて、生かしてくれてありがとう。
幸いにも私は、小児がんではなく、単に左右の足の長さと大きさの違う子だった。
それは今でもそうだが、長さについては自覚はない。
成長につれて目立たなくなったのだろう。
それにしても、
この世に送り出される命とそうならなかった命があることの不思議。
私はその時に思った。
母が死産した兄が生きていたら、私はこの世にはいなかったのだろうな・・・と。
私にも、無事に送り出してやれなかった命があった。
エマにそれを話すと、
「え、でももしそのお兄ちゃんかお姉ちゃんが産まれていたとしても、エマは産まれてくるじゃん・w・」
と当たり前のように言った(笑)
え?
エマの頭の中はどんなふうに生命が循環してる風になっているのだろう。
何度話しても、
エマは私の元に産まれてくる設定になっているのだ。(笑)
面白すぎ!!