少々重たいテーマの話になってしまったことをお許しいただきたい。

 

それからの私は随分と強くたくましくなったと思う。

 

どんな遠い場所でも長女一人ぐらい連れて行くし、重たい荷物も抱えられるようになった。

 

肩車のパパと子供を見てももう泣かない。

 

これなら独りで充分やっていけるではないか。

 

と思い、マイペースに暮らしていた。

 

長女が4歳になったあたりで、長女はパパを欲しがるようになった。

 

はぁ・・・・

 

人生ってこうも思い通りに行かないものなのか・・・

 

と、うなだれた。

 

うなだれたまま、長女を抱き、

 

「パパって何円するんだろうね~」

 

などと冗談を言って二人で笑った。

 

その時長女は

 

「しゃくえん」(100円)

 

と言っていた。w あまりにも面白かったので今でもよく覚えている。

 

パパ100円とかwww

 

4歳児の感覚の何とも可愛らしいことか。

 

1年に二度は前夫の実家に足を運び、折に触れては手紙を書き孫の写真を送り、

 

そんなことをしていたが、ある時、義父が

 

「エマちゃんを見ると兄ちゃんを思い出す、抱いてやれない」

 

とうなだれたのを見た。

 

泣きたい気持ちを必死でこらえて、「ごめんなさい」とだけ言って、簡単に挨拶を済ませて帰った。

 

もう連れて行くべきじゃないのかな。

 

悩んだ。

 

悩み、友人に相談をすると、それでも会いに行く方がいいと前向きなアドバイスをもらったので、

 

その後も折に触れて義父母の家にエマを連れて成長を見せた。

 

そんなことを繰り返したある日、

 

足を運んだ先の前夫の実家にて、義父母が封筒に現金をびっしりと詰めた封筒を渡してこう言った。

 

「兄ちゃんが死んで、エマにもろくに何もしてやれなくてすまなかった。酷い言葉を掛けたこともあったのに、

 

よく何年もこうして通ってくれたね、はるちゃんはもう立派にタカの奥さんとしてのお役目を全うしてくれたよ。

 

タカの結婚相手がはるちゃんで本当に良かった、ありがとう。5年経ったでしょう。気を遣わなくていいよ。これ貰ってくれるか?」

 

と万札がびっしり入った茶封筒を手渡された。

 

私はいざとなれば、合法な手段でお金をザザっと稼ぐ。

 

お金を稼ぐ術を知っている。

 

死ぬほどお金が必要になれば、どう身を振るかは考えてあった。

 

が、私にもプライドがあり、それをすることを許さなかった。(夜のお仕事ではない)

 

義父母からのお金も受け取るまいかと思ったが、有難く頂くことにした。

 

今も長女の通帳に眠ったままとってある。

 

そして、私は義父母の家に行くのをやめた。お墓参りだけになっていった。

 

そんな矢先、今の夫を紹介されるのである。

 

人生とは何と奇天烈なものか。

 

私は今人生半ばの41にして、自分の人生を振り返るたびにそう思わされる。

 

そして、大きく傷つくような出来事に遭遇すると毎回思う。

 

 

 

 

 

 

生きてるだけで充分じゃん

 

と。

 

そう思いながら、かつて旅したスイスの村々の壮大で長閑な景色を思い出す。

 

今もちゃんと、

 

前夫に手を合わせることはしている。