借金が発覚してから夫は比較的早くに帰ってくるようになった。
とはいえ、残業は実際にしていたので21時は回っていた。
そんなある日の事。
居間についていたテレビから、消費者金融のCMが流れてきた。
私はそのテレビCMを見て前夫に言った。
「タカはすごいよね、あれから暫く経ったもんね。やめられたんだもの。ほんとに凄いと思う!」
ものすごい喜びながら言った記憶がある。
その時、夫は実はやめられてなかったのだから、
心底喜ぶ私を見て死を決意したのかもしれない。
*
「ごめん、はる。全てやめることが出来なかった。恐らく自分はギャンブル依存症だ。これ以上家族に、はるに迷惑を掛けるわけにはいかない。本当にすまない」
というメールを受信して、それが最後のメールのやりとりだった。
その後私は何度もメールを送ったが、返事はなく、電源も切られていたようだった。
また、義父母にも同様のメールが届いており、大騒動になった。
警察に連絡し、捜索願を出したがこんなことに勢力をあげて捜査してもらえるわけもなく、
当然見つからなかった。
義父は興信所に依頼すると言って100万を握りしめて産後間もない私を車に乗せ、一緒に興信所に行ったりもした。
警察よりは念入りに丁寧に調べてくださったが、見つかることはなく、
最後に来たメールの翌日に、義父母の家に茶封筒が一通届いた。
差出人の名前も何もないが、その字で前夫のものとわかった。
両家の家族が息を飲む中、義父がその手紙の封を開け、文面を黙読した。
読み終えて義父は肩を落としてこういった。
「兄ちゃんもうダメだ・・・●●にいるから後のことを頼むと書いてある」
という。
手紙を見ると、謝罪の言葉と、自分が最後に選んだ死に場所が書かれてあった。
自分の身に降りかかった事であるのに、まるでもう一人の自分が傍観しているような感覚である。
当事者というのは、実感が湧くまで実際のところこんな感覚なのだ。
手紙に記された場所は車で2時間は走る場所だった。
「お義父さん、私も連れて行って」
と頼んだが、断られた。
それを見たうちの父親が、
「娘の後悔が残らないようにしてやってください」
と言い、私も同行することになった。
手紙に記された場所に、レンタカーが一台あり、その中で前夫は文字通り眠るように亡くなっていた。
車内には手紙が残されており、私に宛てた手紙には愛していたと書かれてあった。
ずるい。
こんな愛の告げられ方をしたのは、最初で最後だろう。
随分と卑怯な愛の告げ方だ。
悲しみと、少しの憎しみと、受け入れられない自分と、ありとあらゆる感情が頭を渦巻いた。
地位も名誉も要らない。
お金ならなんとかなる。
そう言い続けてきたのに、前夫の心には届かなかったようだ。
いや、届いてしまったからこそ、死を選んだのかもしれない。
もう14年近くも前の話だ。
自死での保険金を頂くこともなく、私は生後8か月の娘を連れて未亡人になった。
亡くなった前夫を見て、義母は大号泣した。
大の大人がここまで泣けるものなのだなと思うほどに取り乱していた。
当然だろう。自分のお腹を痛めて産んだ子だ。
私は不思議と涙は出なかった。
その光景がいつまでも現実ではない気がしていたからだ。
あぁ私は悪い夢を見ているんだきっと。
そんな風に思っていた。
でもちゃんと夜が来て、朝が来る。
夢などではなかった。
紛れもない現実だった。
妻だった私は役場や色々な場所に手続きをしに足を運んだ。
前夫が亡くなってからの数か月はそんなことに時間を費やした。