ここのところ寝不足だった。

 

それに加えて生理なので眠気が酷くても仕方がない。

 

夫は今日も仕事である。

 

ほんとよく働く。

 

そこは尊敬している。

 

二女サラの発疹は、肌が真っ白なのでよく目立ってはいるが、発疹の先端の水疱部分がほぼかさぶた化しているので、

 

これもまた終息に向かっているのだろう。

 

安堵の想いだ。

 

口内にも発疹が出来ており、みかんを食べても何を食べてもしみて痛むらしい。

 

可哀想に。

 

長女エマの時は軽い症状で済んだが、二女サラのこの度の水疱瘡はなかなかだった。

 

あとはかかりつけの内科で、登校許可を貰えば完了である。

 

一方、私は鼻が詰まってジュルジュルのうえ、

 

幼少時から弱い呼吸器官系をこじらせている。

 

メプチン片手に生活している。

 

とはいえ、きちんと薬を飲み、食事もしっかりとっている。

 

あとはしっかり寝ることぐらいだろうか。

 

普段ならば吐き戻すくらい咳が止まらないのが私の症状なのだが、

 

この度は早めの対処でなんとか持ちこたえている。

 

だからこそ、ヒロシに抱かれている場合ではないのだ。

 

この辺のこともちゃんと夫に説明をしなければならない。

 

 

 

 

 

と言っても、

 

7年一緒におり、私が風邪をひくたびに咳が止まらなくなっていることは知ってるはず。

 

ヒロシという人間は、自分の体に出る症状が全てで、自分の体に出る症状を基準にして相手の体調を慮る。

 

そこが多くの人から「ズレてる」と言われる所以なのに、

 

それを説明すると私のことを「ハルこそ人を決めつけている」と言って退ける。

 

 

 

私はこれを、

 

“ああ言えばこう言う論”と呼んでいる。

 

まるでどこかの国のようで聞いて飽き飽きする。

 

ヒロシには、私にない良いところが多くあるというのに、

 

この了見の狭さというのが酷く残念である。

 

 

 

 

人間としての情愛が深いのは、

 

私よりも夫のほうだと思っている。

 

私は親になったからなのか、もともとの人間性なのか、

 

ヒロシほど生きとし生けるものに愛を持ってはいない。

 

**

 

 

今日は山本周五郎さんの“ちいさこべ”を片手にベッドに入ろう。

 

一度読んだ本を、私は定期的に読み返す。

 

30代の時に読んだ本も、40歳になって読むと感動の仕方が違う。

 

受取り方も変わる。

 

20代の頃に読んで分からなかったことも、今読めば感動は倍になる。

 

そのようなことが多くある。

 

源氏物語も私の愛読書の中の一つである。

 

世の中にはとんでもない女がいるものだな・・・昔も今も、男女間のこじれとは、いくつ時代を跨いでも変わらぬものなのだな・・・

 

と、

 

不出来な自分と比べて少し安心してみたり、

 

生涯光源氏に大事にされた登場人物を想像しては、自分と比べて何が足りないのかと対峙することもある。

 

 

 

 

**

 

今日は長女エマも呑気に過ごしている。

 

久々に部活動が休みなので友達と遊びにでも出るのだろうと思っていたが、

 

その予定はないと言う。

 

放っておけばスマホでずっと友達とやりとりをしている。

 

年頃である・・・

 

まったく。

 

私の母も、私に似た思いを持っていたのだろう。

 

いや、私のようなはねっかえりを育てるのに母は苦労しただろう。

 

それでも母は私にぐちぐち言わず、やりたいことをやりたいだけさせてくれた。

 

私の心帰る場所はいつも此処にある。そう思わせてくれる小柄で上品な母である。

 

実際に帰りはしないが、魂の故郷というか、そんな感じである。

 

 

 

 

母のことを尊敬している。

 

両親が私に与えてくれた無償の愛を、

 

私も見様見真似で娘たちに注いでいる。

 

 

 

 

いつか未だ見ぬお相手にお返しするまでの間、大事に大事にする。