『ひとりの人間を理解するには、別の視点と別の時間の流れが必要だ。そのために、時に私たちは、サラのように遠くへ旅立つ必要があるのだろう。』


(浅野素女 あさのもとめ パリ地方在住ライター The Asahi Shimbun GLOBE 2010.10.04発行 Bestseller in Paris にて 『Le coeur regulier』 邦題『一定の鼓動』 を評して)


だから、私は、旅に出る。

私を理解するために。

別の視点と別の時間の流れを得るために。


自分を理解するなんて

どこででも出来そうだけど

旅先での視点を時間の流れは

私を明確にする。


当たり前だったものを削ぎ落とし

見えなかったものに気づき


そう、私を理解する、そのために。

「アメリカって床を使うゲームがないんだって」

「へ~、向こうは土足で床にあがるもんな。正座で畳とは雲泥の差だな」


――で、どっちが雲で、どっちが泥なの?



そうやって小さな棘にひっかかるくらい敏感になってる。

季節の変わり目は敏感になりやすい。

ささいな空気の変化も逃すまいと感覚を研ぎ澄ますうちに

それ以外のことにも向けられてしまうから。



この、過敏とも言える敏感さは

誰かを幸せにするのかな。


鈍感に人を傷つけるくらいなら

自分が傷ついても敏感でいたいって思ってるけど、

これで、誰か救われるのかな。


誰かを幸せに出来るのかな。



家に帰ったら、自分の布団が干されているのを見つけた。


うちのベランダは布団一枚干すのが精一杯の広さだから

天気がいい日に一日一枚しか干せなくて、

平日は忙しい両親がゆっくりしたいたまの休日に

一枚分、私の布団を干してくれる。


そういうことに気づける敏感さを


それを当たり前と思わない敏感さを


誰に望まれなくても、ずっと持っていたいと思う。

今年は、就活・部活・恋活の三本立て。

二兎どころじゃない(笑)。

よくばり~だけど、全部欲しいんだもん。


一度に同時進行で全部はできないけど、

だからって、諦めたくない。

欲しいものは欲しい。したいことはしたい。


全部望んで、一つ一つこなしていって、

一年が終わってみれば、全部できた。

そゆのが理想。


二兎でも三兎でも、仕留めたいウサギは多い方が、生きる気になれる。


欲しがらない人生なんて、私にはまだ早い。

今はまだ、ないものねだりしてこそ。

体が弱ると心も弱る。特に夜は。


ニートみたいに暮らしてる私への報いか、

平日の夕方~深夜に気軽に連絡できる人って

もう周りにそんなにいないことに気づく。

でも、結局思い切って連絡してしまった後に

なんだ、大丈夫じゃん、って気が抜ける。


私が思うより、ずっと強くてやさしい。


あなたが困って私を必要とする時、

私はそんな存在になれるだろうか。


そんな存在になりたいけど、

そんな時がこなければいいと思う。


それはきっととてもとても困った時だから、

その時までは私の方から泣きついておこう。


いつも、今夜も、ありがとう。

考えることが好きで
考えるために考えてきた


真理と呼ぶべきものがあるなら
それを追い求めるかのように


生まれてきた理由とか
生きていく意味とか


正答はないと思いながら
自分なりの回答を探ってきた


でも


真理がわかれば幸せなのか
わからなければ不幸なのか


今の私のものさしは
幸せになれるかどうか


私の幸せは
大切な人たちと笑うこと


考え続けることで
真理を追い求めることで
自分の笑顔を失い

周りの笑顔をを失うなら
真理なんかいらない


幸せになれない真理ならば
わからなくったっていい


幸せになれるのならば
それが私にとっての真理


それだけぶらさずにいきたい


生きたい


生きるために考える