Since 9.16.2013
常に修正、追記、下書き保存を繰り返してきた記事。
こういうのは私の中で珍しい…
だって、いつもだったら「すぐにUPできない」とか「こんなこと人に言いたくない」って思ったらすぐに消しちゃうから。
…でも、この記事は消さなかった。
私の友達やBlog読者さんには私が思ってる心理学のイメージを知ってほしかったから。
心理学を、
某大学で、
学科の同級生のよりもほんの少しだけ真面目に、
卒業してからも忘れないように、
継続して…
そうやって勉強してきた私の思う心理学のお話…聞いてください。
心理学。
私が愛してやまないこの学問について臨床心理学者の河合隼雄先生は、こう言う。
一般の人は人の心がすぐわかると思っておられるが、人の心がいかにわからないかということを、確信をもって知っているところが、専門家の特徴である
『こころの処方箋』の「1.人の心などわかるはずがない」に記されている一節である。
私もそう思う。
大学で、心理学を専攻していて、更にそこで「心理学が好き」になった。
大学には、真面目に勉強する人もいれば、大学はただの進学先であって義務教育同様にただ席に座って試験を受けるだけの学生もいる。
私が大学で心理学を専攻していたと知っている友人や知人は、「あんどは、心理学の先生だね」なんて言う。
河合先生が書いているように…なんて言ったらおこがましいけど、私も言われるんだよね。
「心理学を勉強したら人の心が分かるんでしょ?」
…「心理学の先生」とおだてられた後にこう言われてしまうと、ツラいものがある。
私は、河合先生みたいに綺麗な言葉で、みんなのもつ心理学のイメージが違うということはできなかっただろうけど…
学部生の時から、「心なんて読めない」と思ってた。
学部時代は、「心理学を勉強することでむしろ人の心が読めなくなった」と思ってた。
これは、私は専門家なんて立派な人間じゃないけど、心理学をかじった人間として「人の心がいかにわからないか」ということを、なんとなく感じ取っていたんだと思う。
ならば、なぜ心理学という学問があるのだろうか…
心理学を学んでも心がわからないということは、学問として意味がないのではないだろうか…
でも、「心がわからない」というのは、まだ仮説でしかない。…つまり、「わかる可能性もわずかながらある」…のかもしれない。
だから学者は研究する。
「どこかでわかることができるはずだ」と、きっかけを探したりカテゴライズしたり観察したり…
でも、「現段階」では「まだわからない」まま。
人の心ほど不規則なものはない…
誰にだって好みやこだわりはあるから、そこに規則性を求めるけど、誰にだってその時間、ほんの一瞬の気分でその規則がいっぺんに覆されることがある。
だから、「○○な人は△△」なんてステレオタイプは信用ならない。
…というのが、私がまさに気分屋で、大好きなものでも、手をつけたくない時があって拒否する時があるからだ。
…こういう時に効果や影響の名前がスッと出てこないのが私の悪い癖だ。
ネーミングに意味がないと思っているから、理論や理屈だけ身につけて…
「だから暗記が苦手なのだ」…と、自分に言い訳をしてたりする。
ぁ、ちょっと脱線した。言いたいことがあったけど、その言葉を忘れたもんで。
…話を戻す。
「ステレオタイプは信用ならない」と書いてるけど、それは正確に書けば「現代のステレオタイプは信用ならない」となる。
将来には心理学はもっと発展して、「人の心がわかる学問」になっているかもしれない。
そのための段階がいまの心理学研究なのか…なんてことを言って、心理学の意義について自問自答で終わろうとしているのだけれど。
河合先生が生きておられる間には、「人の心がわかる学問」が誕生することはなかった。
でも、その言葉も極論であって…
いまの心理学は、先生が生まれた頃、心理学に興味を抱く前よりはずっと「人の心がわかる学問」になったのではないかと、私は思うのだけれども。
だから、心理学者の皆さんの研究に期待して…正確な「人の心図鑑」を作ってもらいたいと思っております。
結局は人任せ\(^o^)/
私は、気をつけていることがあって…
知識を得て間もない時、そしてその知識に慣れた時が一番危ないと思ってる。
誤った知識を持ってしまったかもしれない、その知識に甘えて知ったかぶってしまうかもしれない、ある限定の知識に偏って物事を考えてしまうかもしれない。
もちろん、河合先生みたいに立派な先生となればいいけど、多くの知識を得ようと探究するあまり、周りが見えなくなる危険性というのもあるけど、そこに至る人は少ないと思うんだよね。
「いや、我こそは!」なんて言ってる人は、まさに知識に甘えてる人だろうよ。…なんて、偏見かな?
そういうわけで、今日は心理学について長々と語ったわけだけど、これはあくまで私の持っているイメージだから。
「いまは人の心がわかる心理学なんて存在しない、けど、それを実現するための研究は続いている」ということ。
私だって、人の気持ちも自分の気持ちも分かんないんだから!
勉強不足なだけかもしれないけどな、というかそれしか考えられないけどな\(^o^)/
…という、一般平均より少しだけ心理学を勉強していて、河合隼雄先生を敬いながらも、先生にははるか及ばないけど心理学を趣味としている人間の戯言ですので。
…「戯言」という表現は少し下げすぎたか?
ん、まぁ~、趣味だからさ。
なんとな~くサラ~ッと読んで、ふ~んって思っても思わなくてもいいんで、ぁ、あと、人に言ったりしなくていいんで!!ぅん、むしろ言うな!!!!!
テキト~に頭の片隅に…頭の中の一番使わないであろう引き出しに…今後開くか開かないかも分かんないような引き出しにグリグリッと押し込んじゃってくださいな。むしろその引き出しに鍵かけてしまえ!
…とかいうような…ホント、そんなレベルの話なんで。
なんで今なのか…
まだ言葉を直せる部分もあるだろうに…
今日を選んだ理由は分からないけど、でも心理学に飢えてるからなのかな…なんて(苦笑
でも、こんな私の小さくて大きな趣味の話を…
こんなに長いのに読んでくれてありがとうございました!
常に修正、追記、下書き保存を繰り返してきた記事。
こういうのは私の中で珍しい…
だって、いつもだったら「すぐにUPできない」とか「こんなこと人に言いたくない」って思ったらすぐに消しちゃうから。
…でも、この記事は消さなかった。
私の友達やBlog読者さんには私が思ってる心理学のイメージを知ってほしかったから。
心理学を、
某大学で、
学科の同級生のよりもほんの少しだけ真面目に、
卒業してからも忘れないように、
継続して…
そうやって勉強してきた私の思う心理学のお話…聞いてください。
心理学。
私が愛してやまないこの学問について臨床心理学者の河合隼雄先生は、こう言う。
一般の人は人の心がすぐわかると思っておられるが、人の心がいかにわからないかということを、確信をもって知っているところが、専門家の特徴である
『こころの処方箋』の「1.人の心などわかるはずがない」に記されている一節である。
私もそう思う。
大学で、心理学を専攻していて、更にそこで「心理学が好き」になった。
大学には、真面目に勉強する人もいれば、大学はただの進学先であって義務教育同様にただ席に座って試験を受けるだけの学生もいる。
私が大学で心理学を専攻していたと知っている友人や知人は、「あんどは、心理学の先生だね」なんて言う。
河合先生が書いているように…なんて言ったらおこがましいけど、私も言われるんだよね。
「心理学を勉強したら人の心が分かるんでしょ?」
…「心理学の先生」とおだてられた後にこう言われてしまうと、ツラいものがある。
私は、河合先生みたいに綺麗な言葉で、みんなのもつ心理学のイメージが違うということはできなかっただろうけど…
学部生の時から、「心なんて読めない」と思ってた。
学部時代は、「心理学を勉強することでむしろ人の心が読めなくなった」と思ってた。
これは、私は専門家なんて立派な人間じゃないけど、心理学をかじった人間として「人の心がいかにわからないか」ということを、なんとなく感じ取っていたんだと思う。
ならば、なぜ心理学という学問があるのだろうか…
心理学を学んでも心がわからないということは、学問として意味がないのではないだろうか…
でも、「心がわからない」というのは、まだ仮説でしかない。…つまり、「わかる可能性もわずかながらある」…のかもしれない。
だから学者は研究する。
「どこかでわかることができるはずだ」と、きっかけを探したりカテゴライズしたり観察したり…
でも、「現段階」では「まだわからない」まま。
人の心ほど不規則なものはない…
誰にだって好みやこだわりはあるから、そこに規則性を求めるけど、誰にだってその時間、ほんの一瞬の気分でその規則がいっぺんに覆されることがある。
だから、「○○な人は△△」なんてステレオタイプは信用ならない。
…というのが、私がまさに気分屋で、大好きなものでも、手をつけたくない時があって拒否する時があるからだ。
…こういう時に効果や影響の名前がスッと出てこないのが私の悪い癖だ。
ネーミングに意味がないと思っているから、理論や理屈だけ身につけて…
「だから暗記が苦手なのだ」…と、自分に言い訳をしてたりする。
ぁ、ちょっと脱線した。言いたいことがあったけど、その言葉を忘れたもんで。
…話を戻す。
「ステレオタイプは信用ならない」と書いてるけど、それは正確に書けば「現代のステレオタイプは信用ならない」となる。
将来には心理学はもっと発展して、「人の心がわかる学問」になっているかもしれない。
そのための段階がいまの心理学研究なのか…なんてことを言って、心理学の意義について自問自答で終わろうとしているのだけれど。
河合先生が生きておられる間には、「人の心がわかる学問」が誕生することはなかった。
でも、その言葉も極論であって…
いまの心理学は、先生が生まれた頃、心理学に興味を抱く前よりはずっと「人の心がわかる学問」になったのではないかと、私は思うのだけれども。
だから、心理学者の皆さんの研究に期待して…正確な「人の心図鑑」を作ってもらいたいと思っております。
結局は人任せ\(^o^)/
私は、気をつけていることがあって…
知識を得て間もない時、そしてその知識に慣れた時が一番危ないと思ってる。
誤った知識を持ってしまったかもしれない、その知識に甘えて知ったかぶってしまうかもしれない、ある限定の知識に偏って物事を考えてしまうかもしれない。
もちろん、河合先生みたいに立派な先生となればいいけど、多くの知識を得ようと探究するあまり、周りが見えなくなる危険性というのもあるけど、そこに至る人は少ないと思うんだよね。
「いや、我こそは!」なんて言ってる人は、まさに知識に甘えてる人だろうよ。…なんて、偏見かな?
そういうわけで、今日は心理学について長々と語ったわけだけど、これはあくまで私の持っているイメージだから。
「いまは人の心がわかる心理学なんて存在しない、けど、それを実現するための研究は続いている」ということ。
私だって、人の気持ちも自分の気持ちも分かんないんだから!
勉強不足なだけかもしれないけどな、というかそれしか考えられないけどな\(^o^)/
…という、一般平均より少しだけ心理学を勉強していて、河合隼雄先生を敬いながらも、先生にははるか及ばないけど心理学を趣味としている人間の戯言ですので。
…「戯言」という表現は少し下げすぎたか?
ん、まぁ~、趣味だからさ。
なんとな~くサラ~ッと読んで、ふ~んって思っても思わなくてもいいんで、ぁ、あと、人に言ったりしなくていいんで!!ぅん、むしろ言うな!!!!!
テキト~に頭の片隅に…頭の中の一番使わないであろう引き出しに…今後開くか開かないかも分かんないような引き出しにグリグリッと押し込んじゃってくださいな。むしろその引き出しに鍵かけてしまえ!
…とかいうような…ホント、そんなレベルの話なんで。
なんで今なのか…
まだ言葉を直せる部分もあるだろうに…
今日を選んだ理由は分からないけど、でも心理学に飢えてるからなのかな…なんて(苦笑
でも、こんな私の小さくて大きな趣味の話を…
こんなに長いのに読んでくれてありがとうございました!