加耶山(カヤサン)にある
海印寺に行きました。
韓国の三大寺院は
仏の通度寺(トンドサ)
法の海印寺(ヘインサ)
僧の松広寺(ソンガンサ)
と言われています。
その三大寺院の一つ法の海印寺に行きました。
なぜ海印寺は“法の海印寺“と呼ばれるの?
それはこれです。
これ、お経を彫ってある版木です。
八万有ります。
『凄い!! でも、何故八万なの?』
『仏教の経典の数がどれくらい有るのか知ってる?』
『あっ!わかった!八万!』
『当たり! 』
仏教の経典は八万四千も有るんです。
般若経、華厳経、法華経、大日経、…………
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
………………………
などなど、延々と~~
仏典というのは凄い数ですね。
仏書と呼ばれるものには、
経、律、論
の3種があります。
経~お釈迦様の教え
律~仏教徒としての行動規範
論~経や律に対する研究や解釈
この3種を総称して三蔵と呼びます。
“三蔵”
“サンゾウ” 何処かで聞いたような~
『あっ、三蔵法師!』
そうです。あの“孫悟空”に出てくる“三蔵法師”の“三蔵”はここから来ています。
“西遊記”の主人公、唐の玄奘三蔵は、この三蔵に精通しているという意味において三蔵法師と呼ばれました。
経・律・論の三蔵を全て集めた仏教の全集のことを『大蔵経』と言います。
(一切経とも言います。)
ここ海印寺にその大蔵経があるのです。
正式名称を「高麗八萬大蔵経」と言います。世界遺産です。
仏教の経典の総集ですね。
高麗八萬大蔵経は、現存する大蔵経でも
最高のものと言われています。
モンゴルからの侵攻の危機にあった高麗が、国家繁栄を願い1236年に版木製作に着手。
15年の歳月をかけ1251年、当時の都のあった江華島で完成。
1398年に版木は海印寺に移された。
これだけのものを、よくぞ作成し運んだものだ、昔の人は凄いです。
驚きと共に感動です。
韓国のお寺は殆んどが自然豊かな山のなかにありますが、ここ海印寺も同じく美しい山のなかにありました。
加耶山、美しい山です。
緑はいいなあ~
ヘインサに登る道の途中、ずらーっと薬草が売られています。
赤いラインを歩いて行きます。
結構な距離ですが、さほど苦になりません。気持ちのいい道です。
ソリキルと呼ばれています。
「音の道」という意味でしょうか。
水の音、風の音、葉がすれの音………
鳥の音、虫の音………
目にも、耳にも自然をいっぱい感じながら登って行きます。
川の水がきれいです。
平日ですが、多くの人がヘインサに向かっています。
道の途中、カフェなどもあります。
⬆この写真は何
「八万大蔵経」を守った英雄
と書いてありますね。
何があったのでしょうか?
★
時は1951年、朝鮮戦争真っ只中の事です。
加耶山(カヤサン)上空に F-51戦闘機四台が飛びました。
編隊長は空軍のキムヨンファン(31)です。
北の人民軍900余名を攻撃しろとの命令を受け出動した道でした。
戦闘機ごとに230㎏の爆弾二個、ロケット弾6個、機関銃1800発を装着していました。
編隊長はその上に 250㎏のナパーム弾まで装着していました。
最初に出動したアメリカ空軍の偵察機が海印寺の前庭に煙幕弾を落としました。
それを標的に爆弾を投下しろとの信号でした。
しかし、キムヨンファン隊長の命令は違いました。
『各機は私の指示なく
爆弾を投下するな!!』
隊員たちは寺周辺の稜線に向かって機関銃攻撃だけをしました。
アメリカ軍からは矢の催促が飛んで来ました。
『寺をナパーム弾と爆弾で攻撃しろ!!
編隊長は何をしているのか!!』
しかし、キムは聞かなかったかのように再び指示を出しました。
『各機は爆弾攻撃をするな!!!』
隊員たちは海印寺から遠く離れた一山越えた所にいた北の人民軍に向かって爆弾を投下しました。
◆当日の夜、
偵察機の操縦士である米軍の少佐とキムとの間に舌戦が繰り広げられました。
米軍の少佐はカンカンです。
米軍
『煙幕弾の白い煙が見えなかったのか?』
キム
『見た。』
米軍
『なぜ、すっとんきょうな所を攻撃したんだ!』
キム
『あそこは寺院ではないか。』
米軍
『国家より寺院が大切なのか?』
キム
『国家より寺院が大切な事があるものか。しかし、共産軍より重要だ。
何よりもあの寺院には共産軍などとは代えられない八万大蔵経という我民族の精神的支柱がある。
共産軍を何百殺したからと言って戦争が終わる訳でもないではないか。』
★
これは軍事裁判ものですね。
軍において命令を実行しなかった訳ですから。
上官の命令に従わなかった場合、軍事裁判では死刑の判決となりますね。
キムは軍事裁判送りとなりました。
軍事裁判でキムが言った言葉が
『寺院を破壊するのに
一日あれば事足りるが、
海印寺のような寺院を建てるのには
千年の歳月が必要である。
パリや京都を考えてみてくれ。
文化財保護のため、
爆撃攻撃からは外したではないか。』
彼は死刑判決を免れました。
が彼は数年後、悪天候の中を飛行中、失踪して亡くなりました。34才でした。
★
この時の彼の決断がなければ海印寺の大蔵経は無くなっていたでしょう。
こんな言葉が書いてありました。
*영혼을 지닌 사람이 되자..
남의 말 한마디에 좌지우지되는 사람 말고..
『英魂をもった人になろう。
人の言葉一つに
右往左往するのではなく。』
次回は海印寺のカフェに行きます。
続く~