5月5日付毎日新聞朝刊一面・四面に寺山さんの記事が大きく掲載されている。寺山修司没後30年。三沢市立寺山修司記念館の記述もある。その頃は短歌をやっていなかったが、小劇場演劇を見たり本を読んだりしていた。仕事休みの朝早く「記念館いよいよオープン」と新聞記事があって、なぜだか慌てて記念館に行くべく家を飛び出し、上野から新幹線で盛岡駅へ出て、盛岡駅在来線ホームの名物蕎麦をすすりながら特急列車に乗り込み、三沢駅に向かい降り立つも、駅に記念館オープンの賑わいさっぱりなく、あれおかしいなと思いながら、記念館への行き方を訊ねた三沢駅近くの本屋の奥さんから「記念館は明日オープンです。折角だからねぶた祭りに行っては。」と告げられ、結局、三沢駅近くの温泉で汗を流して市内のホテルに一泊する仕儀になった。翌朝、オープンしたばかりの記念館に市内中心から10キロほど歩いて行った。林と田圃のなかのその道は車の通りも人の往来も滅多になくて、空気がすごくきれいで美味しかった記憶が鮮明。その日付と記憶をいまだに忘れることができないでいる。
5月5日付毎日新聞朝刊一面・四面に寺山さんの記事が大きく掲載されている。寺山修司没後30年。三沢市立寺山修司記念館の記述もある。その頃は短歌をやっていなかったが、小劇場演劇を見たり本を読んだりしていた。仕事休みの朝早く「記念館いよいよオープン」と新聞記事があって、なぜだか慌てて記念館に行くべく家を飛び出し、上野から新幹線で盛岡駅へ出て、盛岡駅在来線ホームの名物蕎麦をすすりながら特急列車に乗り込み、三沢駅に向かい降り立つも、駅に記念館オープンの賑わいさっぱりなく、あれおかしいなと思いながら、記念館への行き方を訊ねた三沢駅近くの本屋の奥さんから「記念館は明日オープンです。折角だからねぶた祭りに行っては。」と告げられ、結局、三沢駅近くの温泉で汗を流して市内のホテルに一泊する仕儀になった。翌朝、オープンしたばかりの記念館に市内中心から10キロほど歩いて行った。林と田圃のなかのその道は車の通りも人の往来も滅多になくて、空気がすごくきれいで美味しかった記憶が鮮明。その日付と記憶をいまだに忘れることができないでいる。