松竹氏除名問題にかかわって2記事書きましたが、その後改めて考えてみたことを書きます。
「異論を言ったから除名ではない、異論を「党外で」言ったから除名なのだ」、と説明されています。しかし、京都の除名処分書では、(1)と(2)で彼の主張内容に踏み込んで批判していますし、藤田論文でもそうですし、田村さんの会見でも、そもそも離党しているレベルの人、と述べています。
これは、除名の判断基準に、綱領や規約からの逸脱レベルも含まれていると考えられます。(例えば「共産党は政党助成金を受け取るべきだ!」みたいな本を書いて除名になるとは思えません。)
ですから、「“異論を党外に持ち出した”“異論があるなら党内でやってよ”というルール違反の点に尽きるのだ」という説明と理解は誤っていると思います。
なのに、「異論を持ったから除名ではない。党外から攻撃した(異論を言った)ことが問題」という説明で通そうとするのが矛盾なのです。(しかも、「攻撃」という言葉で片付けようとするのでなおさら混乱を招く)。
その上で、規約の(控え目にいっても)不透明な運用の問題もあります。
私としてはもともと9条護憲派というわけではなくて、学生時代に松竹さんの著作を読んでかなり琴線が触れたりもしましたが、松竹さんをなんとしても擁護したいから今回の除名処分に反対というわけではありません。問題としては、説明と規約の運用があまりにも雑で、物事を整理せず感情的に行っているようにしか見えないことが内外に不信感を抱かせているのではないか?ということです。それはTwitterを見ても明らかです。
党員個人が「こういう事情があるから彼は除名になっても当然だ/仕方ない」と自分に閉じた理解で納得するのは構いませんが、組織の不健全な運用を許すことは全く違う話です。混ぜてはいけないと思います。
私は以前から規約の文言と解釈を不信に思っていたところがあり、中央委員会に手紙を出そうと以前から思っていました。つい後回しにしてしまい、出さずに経過して、このタイミングで一気に噴出したという流れもあります。
規約ひとつとっても解釈の幅が大きいわけですから、「攻撃」で片づけず、丁寧な説明と事実認定がほしかったです(別途、規約の見直しも必要だと思います。ここは声を大にして言いたい)。
論理をすっ飛ばして最初から必殺技の除名を行使し、理解できない側が悪いような態度をとるとか、反共という言葉を安易に持ち出すのは非常に内向きでセンスが悪いなとガッカリすると同時に、党幹部の硬直性ゆえに、交代が必要だとも感じたりしています。
とにかくこの問題が頭から離れません。まだ考え中ですが、非常に困惑しています。