■新自由主義政策の3つの特徴
学問的な定義の前に、新自由主義が現実の政策にどのように影響を与えているのか?どういう効果を与えたのか?という観点で書いてみます。

新自由主義政策の特徴は以下の3つです。

【1、労働法制、企業法制の規制緩和】
例:
労働者派遣法改定(1996、1999、2003など)※どんどん対象業種が拡大されていった
純粋持ち株会社の解禁(1997)
大規模小売店舗立地法(1998)
労働基準法改定(1998など)
新会社法施行(2006)

【2、福祉予算の抑制、削減】

→資本の負担を軽減し、企業の国際競争力を高めること、また、社会保障分野に民間企業が進出し、利潤獲得の場にすることが狙い。
 

例:
健康保険の本人負担2割に引き上げ(1997)
健康保険の本人負担3割に引き上げ(2003)
障害者自立支援法(2006)
後期高齢者医療制度施行(2008)

【3、官から民へ(民営化)】

→企業の進出する市場を拡大することが狙い。
 

例:
構造改革特区制度(2002)
独立行政法人制度(2001~2003)
郵政民営化(2005)
市場化テスト(2006)
水道民営化

■新自由主義とは何か?
次に、新自由主義の辞書的な定義は何か?という話に移ります。
D.ハーヴェイ『新自由主義---その歴史的展開と現在』が最も学術的な書籍と思われますが、その中で、新自由主義は次のように定義されています。

「新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制限に発揮されることによって人類の富と福利が最も増大する、と主張する政治的経済的実践の理論である。国家の役割は、こうした実践にふさわしい制度的枠組みを創出し維持することである。」

 

(´Д`)

 

よくわからない。。。
 

ということで、歴史的な経緯を踏まえて、追ってみることにしましょう。

 

■自由主義と新自由主義の違い
新自由主義の「新」とは何でしょうか?経緯をたどってみましょう。

【ステップ1】
哲学者ジョン・ロック
→人間は生まれつき自由で可能性に満ちた存在であり、いかなる人間にも自由な意思と選択で生きる権理(自然権)があると主張しました。これは当時の絶対王政に対する強烈な対抗思想でした。

 

経済学者アダム・スミス
→国家主導の経済に対し、個人による自由な経済活動を主張しました。
「各個人が自分の利益を追求して市場で自由に競争すれば、(神の見えざる手によって)自然と需要と供給のバランスがとれ、社会も安定する」と説きました。レッセ・フェールという言葉が非常に有名ですよね。市場には「自動調整機能」があるのだから、国家が余計な干渉をしない方が経済はうまく回るという考え方です。

ジョン・ロック、アダム・スミスが主張した「自由」とは、主に「個人の」自由でした。
つまり、そもそもの自由主義とは、個人の自由を主張するものです。

これが原型でしたが、資本主義が発展するにつれて、誰の自由なのか、その中身が変貌していくこととなります。

【ステップ2】
スミスのあと、資本主義は急速に発展しました。その中で貧富の格差が拡大し、恐慌も発生。
企業は巨大化し、20世紀前半のアメリカでは、大企業を放任すると逆に自由競争を阻害するとして、独占企業の活動を規制するような法制がつくられていきました。
政策に最も大きな影響を与えたのは、ケインズです。

経済学者ケインズ
→『自由放任の終焉』を著し、肥大化してきた自由放任主義を「怪物」と表現し批判しました。
恐慌を市場の失敗とし、雇用を確保するには国家による介入が必要だと説きました。例えばニューディール政策はそれに基づいた政策として最も有名です。

また、イギリスを中心に、社会主義を目指していた勢力との対抗を意識し、国家の役割を貧富の格差の是正や社会保障の整備におく、「福祉国家」論が登場しました。これが資本主義国の中に広がっていきます。

【ステップ 3】
しかし、、、、、

もうけを最大化したい大企業にとって、このような規制が行われることや、高い税負担をしなければならない「福祉国家」は邪魔な路線でした。

20世紀後半、石油危機を経て経済の低成長期に入ると、ケインズ主義や福祉国家を批判し、市場原理主義を唱えて国家の介入を否定する考え方が、アメリカのシカゴ大学を中心に増大しました。学者としては、ミルトン・フリードマンなどが有名です。これが新自由主義の源流と言われています。

この考え方に基づき、各国で新自由主義政策が実行され始めました。イギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、日本の中曽根政権が有名です。

まとめると、「自由主義」と「新自由主義」の共通点(類似点)は、市場原理主義を絶対化し、国家の介入を否定する点にあります。

しかし、現代においては、個人の自由は基本的には保障されています。いま、「国家からの自由」「市場の自由」を声高に主張するものは、自らの「自由」に足かせをかけられていると感じているもの、すなわち大企業となるわけです。

【まとめると…自由の主体が異なる!】
以前の自由主義:個人の経済的自由
新自由主義  :大企業、特に多国籍大企業の自由
→身もふたもない言い方をすれば、新自由主義の本質は、「大企業のもうけの自由」と言えます。


■新自由主義は個人の自由を侵害する
大企業のもうけが追求されるだけであれば問題ないのでは?という話にもなると思いますが、忘れてはならないのは、新自由主義は個人の自由を侵害するということです。

大企業が利益を最大化する行為を放置すれば、失業や貧困、環境問題など様々な弊害が生じ、人々の自由を侵害してしまうのです。

 

例として非正規雇用を挙げたいと思います。
「自由な働き方を望む若者もいるから」と政府は言いました。「縛られない、自由な働き方」ともてはやされたこともありましたが、実際には、企業がコストカットをするために導入した雇用形態です。非正規雇用では、低賃金のために残業や休日出勤、あるいはダブルワークをしないと成り立たず、そのために時間を奪われています。また将来設計も不安定なままにならざるを得ません。

このように、個人の自由を尊重するかのようにして大企業群の自由が拡大されてきました。この点を見落とすと、脱落した個人に「自己責任論」を押し付けることになりがちです。

新自由主義は、果たして「人類の富と福利がもっとも増大する」という効果をもたらしたと言えるのでしょうか?

 

その答えは現実が示しています。
新自由主義政策を徹底させた1990年代以降の日本社会の現実は、大企業と富裕層に富が集中する一方で、働く人々を含む広範な人々には貧困をもたらしました。

 

これは自己責任で片づけて良い問題ではありません。社会の問題であり、これを財界と一体となって推進してきた政治の責任と言えます。

 

■新自由主義からの転換を!!
いまや新自由主義は、それを推進してきた財界でさえ、手放しに喜び推進できるものではなくなってきています。

経団連が2020年に出した新成長戦略という文書の中に大変興味深い記述があります↓

 

資本主義は、「大転換期」を迎えている。かつては、世界各国において、人々の生活の基礎条件の充足に向けて、異なるイデオロギー同士が対立し、その過程で資本主義は進化してきた。

そのひとつの帰結が、1980年代以降に台頭した「新自由主義」であり、「小さな政府」のもとでの自由かつ活発な競争環境の確保は、経済の一層の発展に一定の貢献を果たした。しかしながら、利潤追求のみを目的とした各種フロンティアへの経済活動の拡大は、環境問題の深刻化や、格差問題の顕在化等の影の部分をもたらしたことを忘れてはならない。


こうした流れのなかで、デジタル化、グローバル化の進展もあいまって、行き過ぎた「株主至上主義」への反省、社会課題への意識の高まりが顕在化している。

 

このように書いてあったことは私としても非常に驚きでありました。

新自由主義を推し進めてきた当事者がこのように負の側面を見過ごせないと言っていることは重要と思います。

また、岸田文雄現首相は、自民党総裁選時には新自由主義からの転換を述べていました(就任後、手のひら返ししたが)。

このように、新自由主義からの転換は止められない流れとなっています。

しかし、国民が黙っていて社会が好転することはまずあり得ません。それは歴史を見ても明らかです。本当の転換には運動が必要でしょう。