はじめに
「名誉殺人(Honor Killings)」という言葉を一度は聞かれたことはあると思う。
その定義は厳密に定まっているものではないが、一般的に、「不貞」を働いた者を「名誉」の名のもとに殺害する行為であると解されている。「不貞」、すなわち婚前に異性と性交渉をした者、恋愛関係を持った者、或いは不倫などの行いをした者を、男性や家族、親族、或いは地域社会の「名誉」を汚した、辱めたとして、殺害するという因習である。
男性も一部にはいるが、被害者の大多数は女性となっている。日本においてもセクシュアル・ハラスメントやDVなど、改善、解決を図らねばならない問題は山積しているが、名誉の名のもとに女性を死に至らしめるという因習は、私たちの想像を絶するものだ。
世界の中でも特に苛烈な女性差別の問題であると考え、まとめてみた。
1、名誉殺人の事例
まずいくつかの事例を紹介する。これらはもちろん氷山の一角でしかないが、こうした実態こそが問題を考える上での出発点であるということ、そして、これらが現在進行形の問題であることを踏まえた想像力を持つことのふたつが大切ではないかと考えている。
(事例1)スアド
『生きながら火に焼かれて』という書籍がある。これは名誉殺人の奇跡的生存者が自身の体験をまとめた数少ない記録である。著者スアド[1]は、中東シスヨルダン[2]の小規模な農村に生まれた。彼女を含めた姉妹は、幼い頃より大量の仕事[3]をこなさなければならず、また父親から日常的に暴力を振るわれる生活を送っていたという。むろん母親もその暴力の対象であった。
少女はひとりで外出してはならず、与えられた服を文句ひとつ言わず黙って着るしかなく、自らの結婚相手を決める男性同士の話し合いに意見をすることもできない。女性には自由が皆無だった。いや自由というより、存在と生命が軽視される、極端な男尊女卑思想が深く根付いている社会であることがこの本から読み取れる[4]。
スアドの父は絶えず繰り返していた。「娘は牛や羊の様な家畜以下であり、全く役に立たない存在」であると(P30)。村にいた当時から数十年経ったスアド本人の実感としても同様であるが、それは牛も子羊も殴られることはなかったからである。その一方で、実弟アサドは大切に育てられ、自由に外出でき乗馬をし、通学するなど、姉妹とは対照的な人生を送っていた。
名誉殺人と直接関連するところだが、この村でも女性には性道徳なるものが異様なまでに重視されていた。結婚前に男性と恋愛関係を持つことはもちろん、交流することなど論外であり、話をしたり、視線を合わせるだけで「シャルムータ」、すなわち娼婦のようにみなされる(P9)。また、適齢期になっても結婚していない女性は異端者扱いされる。結婚しても、それは女性が父親から他の男性の「所有物」になることを意味しており、本質的な男女構造に変わりはない。とはいえスアド本人としても結婚を望んではいた。しかし父親が了承せぬまま月日が過ぎ、彼女には焦りが生まれる。
そんな状況下の17歳頃の時、スアドはファイエツという近くの男性に恋をし、彼が結婚の約束をしたこともあって、遂に三度の性交渉にまで及んでしまった。その結果彼女は妊娠してしまう。パニック状態に陥った彼女はファイエツに対し、父に一刻も早い結婚の申し立てをするよう求めたが、彼は躊躇した。それどころか彼女との性交渉を求めた彼は、最終的にスアドを見捨て逃亡したのだった。
絶望的な状況に陥った彼女は必死に隠そうと様々な策を講じたが、ついには妊娠していることを見破られる。その後家族会議で「死刑」が決定された。義理の兄によって執行されたその手段とは、火あぶりであった。その時の様子は次の様に描写されている。
「突然、頭がひやっとしたかと思うと、髪の毛が燃えはじめた。すぐに火をつけられたのだとわかった。私は必死になって両手で頭を叩きながら駆けだした。狂ったような叫び声をあげながら、がむしゃらに走った。ひたすら走った。」(P140)
彼女はその後、福祉団体の献身的なスタッフのジャックリーヌや医師の尽力などによって奇跡的に一命を取り留めることができた。しかし、あごが胸に接着し、耳は形を留めていないというほどの重度の火傷を負った。その影響はヨーロッパで「第二の人生」を送っている現在でも残っている。
村ではスアドだけが被害者となったわけではない。彼女の妹が弟アサドによって電話コードで絞殺された可能性も指摘されている(P34-36)。また、近所のスエイラという女性が兄二人に自宅に侵入され頭部を切り落とされたということも書かれている。二人は体は地面に残したまま、切り落とした頭を持って村じゅうを歩き回った。彼女が不倫をしているのではと疑っていた夫は、その死体を見て喜んだのである(P63)。
日々繰り返される差別と暴力、そしてその最悪、最終的な形といえる殺人行為。女性の権利や尊厳がここまで否定されている現実がある。
次に、『名誉の殺人』という書籍から一例を取り上げたい。この本の最大の特徴は、ジャーナリストである著者、アイシェ・ヨナルが、「殺人罪で服役している男性を刑務所内でインタビューし、同時に家族や周辺の人々にも入念に取材して、犯行に至るプロセスを克明に記録し、殺した側の悔い、孤独を浮き彫りにしているところ」(P327)であり、被害者側の視点で全て書かれている『生きながら火に焼かれて』とは異なる性格をもっている。10の事例が取り上げられているがその全てを引用することは分量的に困難なので、一例のみを紹介する。
(事例2)ゼフラとメフメト・サイト
二つ目の事例は、3歳上の姉ゼフラを殺害したメフメト・サイトの話である(第三章)。「彼は自分の姉を殺したことに誇りをもっている男」であり、「殺人の熱烈な擁護者」であり、「名誉の殺人を、社会のモラル低下を修復するために必要だと見なしていた」(P88)。
姉弟はトルコ東南部の町アンテプに、香草商人の子として生を受けた。ゼフラを含む三姉妹は「敬虔な母親には似ず、朗らかで明るい心を持つ父親に似て育った」一方、息子たちは「家族というものの保守的伝統に固執しており、日陰に残された花のように、青白く、むっつりした男たちに成長した」(P94-95)。
年長の者から一人ずつ結婚していき、優れた家事技能をもっていたゼフラも実家を出ることとなる。しかしながら彼女の夫は、「お金になる職もなく、自分の精力をすべてセックスに注ぎ込んだ」。ゼフラは三人の娘を産んだのだが、夫は「息子を産まないことへの罰として、暴力とセックスを一体化させた。(中略)貧しさの責任を、立て続けに三人の娘を産んだ妻にもっぱらなすりつけた」のである(P100-101)。
逆説的ながら、「暴力とレイプが収まると彼女は以前よりも自分の身の不幸が気になり始め」、「子ども時代を過ごしたつましい家を、絶望しながらも恋いこがれるようになった」(P101)。当然ながらというべきか、兄弟は実家へ戻ることに断固として反対であったが、彼女は結果的にその声に反逆した。
しかしこのことは「ウイルスのように近所中に広まり」、兄たちは逆上した弟メフメト・サイトに「義務を果たせ」と命じる(105)。その「義務」が何かは彼にとっても暗黙の了解であった。「一家にとって、夫の同意もなしに家庭を放棄した女は耐えがたかった。町の人々の目には、離婚したり夫を亡くしたりした女は売春婦と変わりないのだった」(P106)とあるように、このアンテプの町でも女性に対する姿勢は厳しいものがあった。
メフメト・サイトは実家にのりこみ、姉を母親の前で罵倒し暴行した。だがゼフラの考えは変わらず、夫のいる家庭に戻ることは「たとえ殺されても」と言い、断固として拒否したのである。当時の弟の心理状態は次の様に書かれている。「その言葉は挑発だとメフメト・サイトにはわかった。だが、彼は殺したりしないとゼフラが考えていることもわかっていた。その日から、姉の挑発は彼の心に突き刺さったままだった。体を流れる血、それまでの人生が蔑まれ、力が失われていくかのようだった。お前は本当に引き金を引きたいか。彼は何度も何度も自問した。そうしたくはなかった。自分はやりたくはないのだが、ゼフラにはやればできるということを見せたかったのだ。ゼフラは、こういった彼の心のうちを知らなかった。彼女は即死だった。」(P108)
自首のさい、「警察は彼を運命の犠牲者だと言いながら丁重に扱った」という。「運命の犠牲者」は「本当の犯罪者」とは区別される。「大家族の名誉を守ったのであり、それがためにみな、敬服しながら彼を扱った」。
終身刑を宣告されはしたが、服役中の彼は「道徳」が衰退し、「伝統」が蔑ろにされているとますます確信するようになった。だが、日中その持論を監獄にいる囚人らに展開する彼は、もはや姉の顔を思い出すことができず、夜ごとにつきまとう悪夢からは逃れられない人間にもなっていた。
被害者にとって悲劇であるということに加えて、殺害後「名誉」は守られたことにはなるだろうが、それが果たして家族にとって本来的に幸福なものと言えるのだろうか。それで問題の解決となるのだろうか。
(最近の事例)
その他最近の事例として、家族をはじめとした周囲に結婚を反対されたサウジアラビアの女性(22)がイエメン人男性(25)とイエメンに駆け落ちした結果、不法入国罪で裁判にかけられ、強制送還の危機に瀕しているというニュースがあった(2013.11.25)。サウジアラビアに送還された場合、家族に殺害される可能性があるといい、名誉殺人を想起させられると同時に、この問題がまさに今も根強く存在しているのだと考えさせられた。
2、名誉殺人の概要
以上ふたつの事例を挙げたが、次に、名誉殺人の全体像について簡単ではあるが見ていくことでこれがどの様な因習なのか見ていこう。
あらためて名誉殺人とは、(婚前に性交渉をしたことから、隣人の異性と話をしたこと、などまで理由は様々で広範囲ではあるが、それらをまとめて一般的な言い方をすれば)「性道徳」を破った者を、「名誉」を守るために殺害するという因習である。
名誉殺人は、社会的に異を唱えることがタブーとなっているため、仮に一命をとりとめた者であっても、スアドの様に自らの身を危険にさらしてまで公の前でその体験を証言しようという者は少ない。そのこともあり統計などを用いた具体的数値によってこの問題を論じるのは困難だ。
国連人権高等弁務官事務所の2010年の調査によると、名誉殺人の被害者は年間で5000人にのぼるとされ、また国連人口基金の推定でも同様に年間5000人である(アイシェ・ヨナルP326)。スアドによれば、年間6000人にのぼるとなっているが、実際には事故や自殺を装ったもの、また法体系が整備されていない地域での事例もあるため、現実にはこれらの数よりもさらに多くの被害者がいると考えられる。
名誉殺人は、地域としては、「中東、アフリカ、南アジアのほか、欧州や南米の一部の国など世界各地で報告されている」(ヨナルP325)。そのなかでも特に中東のイスラム文化圏で発生数が多い。「イギリスやデンマークなどの中東からの移住者が居住している移住地域でも行われている」(伊津見温子)ともいう。そのためか、イスラム教の教義に根拠が存在していると考えられることがあるが、実際には関係はなく地域、民族としての風習であると考えた方が適切なようだ。
例えば、『名誉の殺人』の訳者である安東建は、「トルコでの名誉の殺人に手を染める男たちは、貧しいが敬虔なイスラム教徒だ。だが、イスラムという宗教が、その犯罪を起こさせているわけではない。名誉の殺人はイスラム教成立以前から存在し、男性が女性や子供を支配する家父長制と古い部族社会の悪弊が犯罪をもたらしている。その悪弊の根底にある貧困も見逃せない。」(P326)と述べており、背景の複雑さを伝えている。
また、ヨナルは「殺人の動機として宗教が引き合いに出されても、宗教権威者たちは沈黙し続けてきた」とし、この沈黙が「「不道徳な」女性たちへの殺人に対する是認とも解釈されてきた」と述べ、「沈黙は幇助」としてこれらを厳しく批判している[5]。
[1] 安全上のため偽名を使用している。「「名誉の殺人」に時効はない。殺しそこねたと知れば、家族はどこまでも彼女を追ってくるだろう。実際、家族のもとから逃れてひっそりと暮らしていた女性が、数年後に家族の手で殺されたというケースも珍しくないという。」(P313)
[2] ヨルダン川西岸地区。パレスチナ自治区の一部を形成する。
[3] 羊、山羊を草地に連れていくこと及びその監視、乳しぼり、洗濯、炊事、井戸への水汲み、厠洗いなど多岐にわたる。
[4] スアドは母親が、自身が出産した赤ん坊(女児)に羊の皮を押し付けて殺害したのも目撃している(P25-26)。これにより少なくとも七人が命を失っている。
[5] ただし「生きながら火に焼かれて」の著者スアドの救出に尽力し、書籍にも「証言」を寄せているジャックリーヌは、「イスラム教やキリスト教の指導者や学者たちも、「名誉の殺人」はコーランや福音書とはまったく関係がないと機会あるごとに説明を繰り返している。」(P308)と述べている。食い違いはあるがいずれも宗教起因説を否定するものではある。