ショート
鎌倉殿の13人で吹き荒れた粛清や乱。
上総介広常暗殺以降を語路合わせてみました
「火事はひき、畑が平らに。話題のジョーク」
火事は→梶原景時の変
ひき→比企能員の変
畠は→畠山重忠の乱
平らに→平賀朝雅(ひらがともまさ)
話題の→和田合戦
ジョーク→承久の乱
上総介広常暗殺も入れると
「数ある火事ひき、畑は平らに。話題のジョーク」
本編動画も作りますんで、そちらもよろしくお願いします
※クイズ形式にすると1分では足りないので、この形にしました。
ショート
鎌倉殿の13人で出てきた後鳥羽上皇。彼がつくった武士団はどれ?
1,西面の武士
2,北面の武士
3,のぶしこぶし
4,滝口の武士
正解は1番の西面の武士。
語呂合わせです
「滝打たれ来た、シロ最後」
滝→滝口の武士
打たれ→宇多天皇
来た→北面の武士
シロ→白河上皇
最→西面の武士
後→後鳥羽上皇
ということで
滝口の武士は宇多天皇
北面の武士は白河上皇
西面の武士は後鳥羽上皇
がつくりました
つまり。
後鳥羽上皇が作ったのは、西面の武士です。「院」を守るために置かれました
ちなみに承久の乱の後、西面の武士はなくなりました。つまり本当に「最後」になっちゃったんです。
本編動画もよろしくお願いします
(注)白い犬(ワンちゃん)と、滝に打たれた人をセットにしたイメージ画像でお願いします。たとえば、イラスト屋などの画像などで滝に打たれてる人の画像と、白い犬の画像を組み合わせて作っていただければと思います。
ショート
「鎌倉殿」終わってしまいましたね。源氏の頼朝の系譜の語呂合わせです
※ここに系譜図入れてください
「常に真ん中の信義家。親の為、朝より果実を」
「常に」→経基
「真ん中の」→満仲
「信義家」→頼信、頼義、義家
「親の為」→義親、為義
「朝より」→義朝、頼朝
「果実を」→頼家、実朝
頼朝は清和天皇からつながる清和源氏です。清和源氏は、足利尊氏や武田信玄なんかも出ています
ポイント
はじめの経基・満仲以外は、頭に「頼」がついていたり、頭かお尻に「義」がついてます。
「頼義」「義家」は「義」が被っているので、「よりよしいえ」と覚えるといいかもです。
本編動画も作りますんで、よろしくお願いします
※クイズ形式ですと1分では足りないので、この形にしました。
ショート
問題
壇ノ浦の戦い、屋島の戦い、一の谷の戦い
順番に並び替えると、どうなる?
正解は
一の谷→屋島→壇ノ浦の戦いの順番。「イヤだ」の順です。
語呂合わせ
「細工もヤダし、誠意を見せろ」
さ→侍所設置
い→一の谷の戦い
く→公文所設置
も→問注所設置
ヤ→屋島の戦い
ダ→壇ノ浦の戦い
し→守護・地頭をおく
誠意→頼朝征夷大将軍に
※もっと色々と詰め込んだ語呂合わせもあります。
本編動画も作りますので、そちらで紹介しますね
ショート
問題
壇ノ浦の戦いの舞台はどこ?
1,讃岐
2,長門
3,摂津
正解は
2番の長門。今の山口県下関市。
語呂合わせ
「切磋な一夜だ」
「せっ」(摂津) → 「一」(一の谷)
「さ」(讃岐) → 「夜」→(屋島)
「な」(長門) → 「だ」(壇ノ浦)
「切磋な」と「一夜だ」が対応してます
※日本語で「切磋な」なんて言い方はしませんけどね(笑)。
順番は、一の谷→屋島→壇ノ浦で「イヤだ」と覚えるといいかもですね。
本編動画も、よろしくお願いします
ショート
問題
侍所の初代長官は誰?
1,三善康信
2,和田義盛
3,小泉進次郎
正解は2番の和田義盛。
語呂合わせ。
パターン①
「見よ、門を!怖れ多くも和田侍だ」
見よ、門を!→三善康信は問注所の初代長官
怖れ多くも→大江広元は、公文所の初代長官
和田侍だ→和田義盛は、侍所の初代長官です。
パターン②
「わさびの多くは三文」
わさびの→和田・侍所
多くは→大江・公文所
三文→三善・問注所
ちなみに侍所と公文所の長官は「別当」といいますが、問注所の長官は執事。
ややこしいですね。
こんがらがったら、
「羊の門番」→「執事の門番」→「執事は問注所」と覚えましょう。
本編動画もよろしくお願いします
※俳優さんの横田英二さん、栗原英雄さん、小林 隆さんなどの写真を使ってくださいませ
ショート
鎌倉殿の13人にも出てきた慈円。彼の書いた歴史書はどれ?
1,吾妻鏡
2,大鏡
3,愚管抄
答えは3番の愚管抄です。
語呂合わせ
「ジ・エンド。天才の求道」
ジ・エンド→慈円
天才→天台宗の
求→愚管抄
道→道理
慈円は天台宗の僧。愚管抄を書きました。これは「道理」をもって書かれたはじめての歴史書です。
武家社会の慣習を「道理」といいます。
ちなみに、吾妻鏡は幕府の正史です
本編動画もよろしくお願いします
1分以内で収まる
ショート
後鳥羽上皇の命令でできた歌集はどれでしょう?
1,古今和歌集
2,新古今和歌集
3,金槐和歌集
答えは2番の新古今和歌集
語呂合わせ
「おしんこの定価、言えたか。仕事番」
おしんこ→新古今和歌集
定価→藤原定家
言えたか→藤原家隆
仕事番→後鳥羽上皇
新古今和歌集は、後鳥羽上皇の命によって、藤原定家・藤原家隆らが歌を選んでできた歌集です
「おしんこの定価、言えたか、後鳥羽院」と覚えてもOKです。
ちなみに定家の「家」。家隆の「家」と、「家」でしりとりになっているから、「定家隆(さだいえたか)」と覚えてもいいかもしれませんね
ちなみに金槐和歌集は、実朝の和歌集です
本編動画もよろしくお願いします。
ショート
後鳥羽上皇が、承久の乱後に流されたのはどこ?
1,隠岐の島
2,佐渡
3,鬼が島
答えは1番の隠岐の島。ちなみに
土御門上皇は土佐へ、順徳天皇は佐渡へ流されました。
「鳥」が「羽」で「沖の島」へ飛んでった、みたいなイメージで、後鳥羽上皇は沖ノ島と覚えましょう。
土御門上皇は土佐へ。土御門の「土」、土佐の「土」で覚えやすいかも。
順徳天皇は佐渡へ。
佐渡と言えば金山が有名なので、「佐渡の純金・佐渡の順徳」と覚えるといいかもですね。
本編動画もつくりますんで、よろしくお願いします
本編動画
鎌倉殿の13人。ついに終わってしまいましたね。
鎌倉ロスのハテナ君です。
今日は、鎌倉殿にちなんだ語呂合わせをいくつか紹介しますね。
「合戦の語呂合わせ」「初代長官」「源氏の系譜」ほか色々です。
まずは、頼朝の行動から。
<石橋山の戦い以降の語呂合わせ>
パターン①
「細工もヤダし、誠意を見せろ」
さ→侍所設置
い→一の谷の戦い
く→公文所設置
も→問注所設置
ヤ→屋島の戦い
ダ→壇ノ浦の戦い
し→守護・地頭をおく
誠意→頼朝征夷大将軍に
梶原景時を演じた中村獅童さん、いい味だしてましたね。
石橋山の戦いで大敗を喫し、平氏の追討に怯えながら洞窟に身を隠すことになった頼朝。
この時は、わずか5,6騎だったといいます。
そんなときに、平家側の武将、梶原景時が洞窟の中にいる頼朝を見つけながらも、わざと逃がしました。
これがきっかけで、その後、梶原景時は、頼朝が信頼を置く部下になりました。
もっとも、「愚管抄」という歴史書によると、このとき、すでに梶原景時は、頼朝の部下になっていたようなので、創作話なのかもしれないですが。
侍所と言えば横田栄司さんの和田義盛。豪快でいかにも鎌倉武士といった感じでしたね。公文所・問注所の初代長官もまた語呂合わせます。
もう少し出来事を入れた語呂合わせがこちら。
パターン②
「寒富士の中、行くのもヤダし守れ、王政」
寒→侍所おく
富士→富士川の戦い
の
中→義仲、京へ
行→一の谷の戦い
く→公文所設置
の
も→問注所設置
ヤ→屋島の戦い
ダ→壇ノ浦の戦い
し
守れ→守護・地頭おく
王→奥州藤原氏&義経を滅ぼす
政→頼朝、征夷大将軍になる
富士川を挟んで向かい合った源氏と平氏。
平氏の大将維盛は、猛者として知られる武将に問います。
「坂東武者で、お前ほど弓の強い剛の者はどれほどいるのか」。
家臣は言います。
「私ていどの者でしたら、坂東にはいくらでもおりまする。我ら平氏は戦で身内の者が亡くなれば、通夜をし葬式をし弔いますが、坂東武者は親が死のうが、子が死のうが、その屍を超えて戦うのでございます」
その恐ろしい噂は兵たちの間にも広まっていきました。
「なんと、親兄弟の屍を足蹴にして戦うとは」
「恐ろしいことよ」
ある晩。
一羽の水鳥がさっと富士川の水辺から飛び立ちました。
また一羽。さらに一羽。
そして水鳥は大群となって一斉に水を蹴って夜空に舞い上がりました。
すでに恐怖におののいていた平氏軍には、このときの轟音が源氏の来襲に聞こえました。
「夜襲だ」
水鳥の羽音を源氏の夜襲と勘違いし、平氏は戦わずして敗走しました。
その後、平清盛は病にかかり、高熱にうなされました。
平家物語によれば、「水も喉を通らず、体が火をたいたように熱く、清盛の近くにいるとその熱さに耐えられない」「比叡山より千手井(せんじゅい)の水をくみ出して石の湯船に入れ、その中に入れると、水が沸き上がって湯になった」とあります。
「ぐおおお、熱い、熱い」
水をかけられても、焼けた鉄に水をかけるが如くよりつかず、たまに当たった水は炎となって燃え上がり、黒煙が屋敷中に充ちたとあります。
「わしが死んでも葬式はいらぬ。わしの墓に頼朝の首を捧げよ」
清盛はもがき苦しみ、跳ねまわりながら息を引き取りました。64歳でした。
京の人々は「悪業の報いがきた」とささやきあいました。
清盛の死因は、マラリアではないか、と言われています。
もっとも、夏ではないので、マラリアとは別の病気かもしれませんが。
清盛が亡くなると、源義仲が京へと攻め込みました。
平氏は袖を涙で濡らしながら、女官、子供らとともに都を落ちていきます。
その義仲も、頼朝の命令で義経に討たれます。
義経は、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いで平氏を追い滅亡させます。
しかし、義経は、頼朝の許可なく後白河法皇から官位をもらってしまったために、頼朝の逆鱗に触れ、追われる身となってしまいました。
「義経を追う名目」として、朝廷に認めさせたのが守護、地頭の設置です
守護は国ごとにおかれ、悪い奴をつかまえたりして国を守りました。
地頭は、荘園や公領で、年貢を取り立てました。
PS 清盛は、じつは結構優しい人物だったようです。召使にも親切にし、人柱の慣習をやめ、情け深い人だったようです。
<戦の語呂合わせ>
次は、一の谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いの語呂合わせです。
順番は「イヤだ」で一の谷→屋島→壇ノ浦です
じゃあ、それぞれ戦った舞台はどこでしょう?
語呂合わせです
「切磋な一夜だ」
「切磋な」の「摂津、讃岐、長門」と「一夜だ」の「一の谷、屋島、壇ノ浦」が対応してます
「せっ」(摂津) → 「一」(一の谷)
「さ」(讃岐) → 「夜」→屋島(屋島)
「な」(長門) → 「だ」(壇ノ浦)
ということで、
一の谷が摂津。今の兵庫県
屋島が讃岐。今の香川県。高松市
壇ノ浦が長門。今の山口県下関市
です
日本語で「切磋な」なんて言い方はしませんけどね。
壇ノ浦の戦いで、幼い安徳天皇が海の底に沈んでいくシーンに胸が痛くなりました。
「海の底にも都はございます」と安徳天皇を抱え入水した祖母・二位の尼
安徳天皇は、そのときまだ6歳でした
<頼朝の血筋>
※系譜図入れる
頼朝の血筋の語呂合わせです
「常に真ん中の信義家。親の為、朝より果実を」
「常に」→経基
「真ん中の」→満仲
「信義家」→頼信、頼義、義家
「親の為」→義親、為義
「朝より」→義朝、頼朝
「果実を」→頼家、実朝
頼朝が武士たちに担ぎ上げられたのも、負けてもさらに味方が増えたのも、頼朝個人の力もあったかもしれませんが、いちばんは源氏の嫡流という血筋のおかげなんですね。
頼朝は清和天皇の血をひく清和源氏。
清和源氏には、他にも、足利尊氏や武田信玄といった層々たる人物が出ています。
ポイント
はじめの経基・満仲以外は、頭に「頼」がついていたり、頭かお尻に「義」がついてます。
「信義家」の部分の「頼義」「義家」ですが、「よりよしいえ」と覚えると頼義・義家って感じで覚えられるかなと思います
<初代長官の語呂合わせ>
次は、鎌倉幕府の初代長官の覚え方です
侍所は、武士を統括する役職
公文所はお金を扱ったり、事務的な文書を書くところ
問注所は裁判なんかをしたところ
その初代長官の語呂合わせです
2パターンつくりました
パターン①
「見よ、門を!怖れ多くも和田侍だ」
見よ、門を!→三善康信は問注所の初代長官
怖れ多くも→大江広元は、公文所の初代長官
和田侍だ→和田義盛は、侍所の初代長官です。
パターン②
「わさびの多くは三文」
わさびの→和田・侍所
多くは→大江・公文所
三文→三善・問注所
ちなみに侍所と公文所の長官は「別当」といいますが、問注所の長官は執事。
ややこしいですね。
こんがらがったら、こう唱えましょう。
「羊の門番」→「執事の門番」→「執事は問注所」
ということで「見よ、門を!怖れ多くも和田侍だ」か「わさびの多くは三文」。お好きな方でどうぞ
<粛清や乱の時系列語呂合わせ>
「火事はひき、畑は平らに。話題のジョーク」
火事→梶原景時の変
ひき→比企能員の変
畑が→畠山重忠の乱
平らに→平賀朝雅(ひらがともまさ)
話題の→和田合戦
ジョーク→承久の乱
平氏を倒した後には、粛清の嵐がおこります。
上総介広常暗殺が暗殺され、梶原景時も、比企能員も討たれました。
そして、畠山重忠や、和田義盛も討たれ、平賀朝雅(ひらがともまさ)も敗死しました。
ドラマだと平賀朝雅は暗殺されてますけど、史実では合戦をして負けて死んでしまったんですね。
その後、承久の乱がおこります。
このチャンネルの語呂合わせは高校レベルでつくってますんで、上総介広常暗殺は入れなかったんですけど、もし上総介広常も入れると
「数ある火事ひき、畑は平らに。話題のジョーク」
って、感じになります。
<慈円の語呂合わせ>
ドラマではいつも後鳥羽上皇の傍にした僧侶の慈円。
山寺 宏一さんが演じてましたね。
慈円の語呂合わせです
「ジ・エンド。天才の求道」
ジ・エンド→慈円
天才→天台宗の
求→愚管抄
道→道理
慈円は天台宗の偉い僧侶。
慈円が書いた歴史書が「愚管抄」です。
これは、「道理」をもって書かれたはじめての歴史書です
武家社会の慣習を「道理」といいます。
ちなみに、幕府の正史は吾妻鑑です
<摂家将軍の語呂合わせ>
3代将軍実朝が亡くなりました。
さて、次の将軍はどうしたらいい?
そうして摂関家から招かれたのが幼き三寅様です。
摂家将軍の語呂合わせです
「苦情常に償います」
苦情→九条
常に→頼経(4代将軍)
償います→頼嗣(5代将軍)
ということで、九条頼経→頼嗣です。
摂関家から来た幼き三寅様は後に4代将軍となります。
元服後の名前は、九条頼経。藤原頼経でもOKです。
しかし、大人になり、物事が分ってきて邪魔になってきた九条頼経を、幕府は追い出してしまいます。
次に迎えたのが、また摂関家からきた九条頼嗣です
<皇族将軍の語呂合わせ>
「こうもぞくぞく。胸の高まり。これ久しぶり」
こうもぞくぞく→皇族将軍
胸の高まり→宗尊親王
これ→維康親王
久しぶり→久明親王
摂家将軍、頼経・頼嗣の後は、皇族から呼ばれた皇族将軍が立ちます。
宗尊親王→維康親王→久明親王とつづきます。
では、九条頼経・頼嗣→宗尊親王・維康親王、・久明親王を通してみます
「苦情常に償います。胸のたかまり、これ久しぶり」
苦情常に→九条頼経
償います→頼嗣
胸の高まり→宗尊親王
これ→維康親王
久しぶり→久明親王
どうもありがとうございます。
これからも、こうした解説や語呂合わせ、どんどん作っていきますんで、チャンネル登録してお見逃しないようお勧めします。
2弾目もつくりますんで、ぜひまたよろしくお願いします
2つめのyoutube(来週用)
鎌倉殿で覚える語呂合わせ2段目です
今日も、鎌倉殿にちなんだ語呂合わせをいくつか紹介しますね。
幕府のしくみ、承久の乱、歴代執権などいろいろ。
まずは、主な執権の語呂合わせです。
<主な歴代執権>
問題
次の執権を順番に並び替えられるかな?
時政、時宗、泰時、高時、時頼、義時、貞時
はい。覚え方です
「正義は安さより胸の抵抗」
正→時政(初代)
義→義時(2代)
安さ→泰時(3代)
より→時頼(5代)
胸の→時宗(8代)
抵→貞時(9代)←貞時の貞は「てい」とも読んでください
抗→高時(14代)
<承久の乱>
次は後鳥羽上皇のおこした承久の乱の語呂合わせです。
後鳥羽上皇は、多芸多才で武芸にも優れていました。
和歌に優れてて、笛や琵琶の演奏、蹴鞠や、囲碁などのゲーム、はては盗賊を自ら捕まえてしまうほどの豪の人で、相撲や水泳、弓馬にも優れていました。
でも、なんでもできちゃう多才な人だったからこそ、朝廷を差し置いて鎌倉が力をつけていくことに我慢できなかったんでしょうね。
承久の乱をおこして敗れてしまいます。
負けた時のいいわけが、また酷いんです
一生懸命に尽くしてくれた武将が戦の情勢を報告しに行ったのですが、すでに負けそうだったため、門を閉じたまま彼らを入れようとしなかったんです。ドラマでは対面したシーンになっていましたけどね。
彼らは、門を叩いて罵りました。
「こんな臆病者の言うことを聞いたせいで、身をあやまったわ」
後鳥羽上皇は、さらに鎌倉に
「此度のことは、私の家来どもが勝手にやったことで、私の本意ではない」
といった手紙をおくり、自分のために戦った家来を討てとの院宣を出したのです。
後に北畠親房や、新井白石も、歴史書で後鳥羽上皇を、徹底して酷評してます
<西面の武士>
この後鳥羽上皇、院の警備をするとの名目で「西面の武士」をおきました。
もっとも、この頃から、鎌倉幕府を倒そうという気持ちがあったのでしょうね。
「西面の武士」に似ているもので「北面の武士」「滝口の武士(滝口の武者)」というものもあります。
北面の武士は白河上皇、滝口の武士は宇多天皇がおきました。
語呂合わせです
「滝打たれ来た、シロ最後」
滝→滝口の武士
打たれ→宇多天皇
来た→北面の武士
シロ→白河上皇
最→西面の武士
後→後鳥羽上皇
ということで
滝口の武士は宇多天皇
北面の武士は白河上皇
西面の武士は後鳥羽上皇
ちなみに承久の乱の後、西面の武士はなくなりました。つまり本当に「最後」になっちゃったんです。
<新古今和歌集>
後鳥羽上皇は、ドラマでも和歌を通して、実朝と交流がありましたよね。
後鳥羽上皇は歌の実力もピカ一。
藤原定家・家隆親子に命じて「新古今和歌集」を作らせます。
語呂合わせ
「おしんこの定価、言えたか。仕事番」
おしんこ→新古今和歌集
定価→藤原定家
言えたか→藤原家隆
仕事番→後鳥羽上皇
「おしんこの定価、言えたか、後鳥羽院」としてもいいかもです。
後鳥羽上皇が命じて、藤原定家・家隆親子が歌を選んだんです。
ちなみに定家の「家」。家隆の「家」と、「家」でしりとりになっているから「さだいえたか」とすると、ちょっとおぼえやすくなるかもしれないですね。
ちなみに実朝の和歌集は、金槐和歌集です。
後鳥羽上皇は、承久の乱後に隠岐の島に流されます。
土御門上皇は土佐へ、順徳天皇は佐渡へ流されました。
語呂合わせ
「鳥」が「羽」で「沖の島」へ飛んでった、みたいなイメージで、後鳥羽上皇は沖ノ島と覚えましょう。
土御門上皇は土佐へ。土御門の「土」、土佐の「土」が同じですね。
順徳天皇は佐渡へ。佐渡といえば金で有名なので、「佐渡の純金・佐渡の順徳」。順徳天皇は佐渡に流されました。
<六波羅探題>
承久の乱の後、京都に六波羅探題がおかれました。
六波羅探題は、京都で朝廷を監視する役目です。
これまでの「京都守護から六波羅探題」と名前が変わったんですね。
承久の乱を平定しに京へと向かう泰時と時房。
彼らは、承久の乱を平定し、そのまま六波羅探題として京都に残ったんです。
京都の北側と南側を見るということで、2人が任命されたわけなんです。
ちなみに、泰時は義時の息子。
時房は義時の弟。
だから、泰時と時房は、おじさん・甥の関係になりますね。
語呂合わせ
「承久後、泰時房が京都でロック」
承久後→承久の乱後
泰時房が→泰時と時房
京都で→京都守護
ロック→六波羅探題
「京都でロック」で「京都守護から六波羅探題」と名前が変わり、「泰時房」の泰時と時房が、その六波羅探題に任じられた
というわけです
<連署・評定衆>
その後、義時が死んだという話を聞き、泰時は急ぎ鎌倉へと戻りました。
義時の葬式には間に合いませんでしたが、泰時は、義時のあとを継ぎ3代執権となりました。
泰時は思いました。
「執権が独裁するような政治ではいけない」と。
そして言いました。
「執権を助ける役職<連署>をつくりました。時房おじさん、連署になって私を助けてください」
こうして時房が連署になりました。
さらに泰時は言います。
「これからは、大事なことは、執権と連署と、有力御家人で話し合って決めることにします。この有力御家人を評定衆と呼びます」
こうして、泰時が置いたのが評定衆です。
評定衆は11人の有力な御家人が任命されました
この話し合いの機関を「評定」といいます。
評定は、「執権」、「連署」と、11人の重臣御家人「評定衆」の13人で行われたんですけど、頼朝が亡くなったあとの13人の合議制を参考にしたのでしょうね
これを現代の内閣に例えてみると、こうなります。
内閣が「評定」
内閣総理大臣が「執権」
副総理大臣が「連署」
大臣のみなさん方が「評定衆」
ちなみに、総理と副総理・・・・もとい「執権」と「連署」は、北条氏しかなれませんでした。
「執権」「連署」「評定衆」をまとめて、「失恋表」とゴロ合わせてみました。
この「失恋表」で、いろいろなことを話し合って決めたんですね。
御成敗式目(貞永式目)
ところで、そのころは、武士同士で土地をめぐる争いが絶えませんでした。
「このままではいけない」
泰時は御成敗式目という武士の法律を作りました。
「悪口は言うな」
「人殺しをしてはいけません」
といったことが書かれた、武士のはじめての法典です
三代執権の泰時は、清廉潔白な名君と言われました。大飢饉のときには、飢えに苦しむ人々を救うために米を分け与え、人々から尊敬されたとのことです。
ドラマで、次期将軍として迎えられた幼き三寅さまは、泰時が執権になった時に4代将軍となります
語呂合わせ
「安っ。SEX練習の表情」
安っ→泰時
SEX→摂家将軍(摂関家より来た九条頼経、将軍になる)
練習の→連署おく
表情→評定衆おく
<図>参照 下の図(ネットより拝借)のようなものを添付
<鎌倉幕府のしくみ>
鎌倉幕府は、最終的にこういう形の組織になりました。はじめから、こういう形だったんじゃなくって、徐々にいろんな役職が増えて、最終的にこうなったって感じです
合議制・・・今の内閣みたいに、いろいろと話し合って物事を決めるのが「失恋表」でしたね。執権、連署、評定衆です。
ほかの役職も説明していきますね。
まずは中央。
「オレが御家人をまとめていくぜ。警察事は俺にまかせろ。悪いことするヤツはオレが捕まえてやる。いざ戦になったら、オレ様が御家人を仕切っていくぜ」が侍所
「幕府の財布を扱ったり、事務的な文書を書くのは、私にまかせて」公文所です。のちに政所となります。
「何?いざこざ?裁判だったら、私の出番」問注所です。
「最近は土地のもめ事が多いでござる。土地を専門にした裁判は、この引付衆がいたそう」引付衆です。引付衆は北条時頼が執権の時にできました。
次は地方です。
「九州の御家人は、わしが束ねましょう」→鎮西奉行
「奥州の御家人は、拙者に任せよ」→奥州総奉行。
「京都市内の平和はオレが守る。朝廷と幕府の連絡もするぞ」が京都守護。しかし承久の乱後は、朝廷の監視もしなければならなくなって、六波羅探題と名前が変わりました。
守護は国ごとにおかれ、悪い奴をつかまえたりして国を守りました。
地頭は、荘園や公領で、年貢を取り立てました。
語呂合わせ
「失恋表。寒くも引き付け。今日、陳王習字」
「評定」・・・大事なことの話し合いは、「失恋表」つまり執権と連署、そして11名の評定衆で行われました。こちらも「鎌倉殿の13人」と同じく合計13人になっていますね
ハイ、全部まとめた語呂合わせです。
「失恋表。寒くも引き付け。今日、陳王習字」
お偉いさんで話し合って決める評定が、「失恋表」です
失→執権
恋→連署
表→評定衆
「中央の役職が、寒くも引き付け」
寒→侍所
く→公文所(のち政所に)
も→問注所
引き付け→引付衆
「地方の役職が、今日陳王習字」
今日→京都守護(のち六波羅探題に)
陳→鎮西奉行(のち鎮西探題に)
王→奥州総奉行
習→守護
字→地頭
はい、どうもありがとうございます。
次の大河は、徳川家康ですね
楽しみですね
じゃあ、またね。
バイバーイ