「ヘンダーソン夫人の贈り物」
Mrs. Henderson Presents
動詞を名詞に置き換えただけの軽い邦題だなあと思ってたんだけど、
ちゃんと台詞に出てくるんだよね、贈り物って言葉が。いやあ、失礼しましたヽ(;´Д`)ノ
思い込みだけの思いやりは迷惑もいいところで、
結局彼女は間接的にはそのせいで文字通りの犠牲者となる訳だ。
だから本来ならその人を恨んでもいい筈なんだけど、いや恨まれて然るべきなんだろうけど、
犠牲となった彼女の思いが喩え束の間でも本気であった事を思うと、
いや勿論本気だからこそ悲劇なんだけど、でも、彼女は決してその人を恨まないような気がして、
だから涙が出てしまう。
彼女とその人の、その両方の思いの純粋さに。
その辺の描き方が実に巧みだ。
秘されたままの癒されぬ悲しみに裏打ちされた、劇場オーナー夫人の突拍子もない勇気。
そんな夫人と、一人の人間同士、同志となり、相棒となり、理解者となる支配人。
ああ、こんな仲になる事ができるんだなあ、男と女は。
なんてカッコつけて言ってみたりすれば、
何言ってんの当たり前でしょふっるいわねえ戦後何年経ってるのよ、と
見ているこっちの背中までばんばん叩かれているような気がする。
ひとつではない。
あらゆるものの形は。
ひとつではない。
あらゆるものの見方は。
