ニイナは、匿名の手紙の主がまたなにか言ってくるのを待つことにした。
そして、当分この手紙のことはだれにも黙っていよう、と決めた。
学校では授業になかなか身が入らなかった。
ニイナは突然、先生はどうでもいいことばかりしゃべっている、と気がついた。
どうして先生は、人間とは何かとか、世界とは何かとか、世界はどのようにしてできたかとか、
そういう話をしてくれないのだろう?
学校でもどこでも、みんなどうでもいいようなことにかかずらっている。
学校の勉強よりもずっと大切な、
考えなくてはならない大きくてむずかしい問題があるのに-----こんな気持ちは初めてだった。
ああいう問いに答えた人なんているのかしら?
ニイナは、不規則助動詞の変化をとなえるよりもそっちを考えるほうが大切だ、と思った。
最後の授業の終わりのチャイムが鳴ると、ニイナはあっというまに校門を飛び出した。
ジャスミンがあわてて追いかけてきた。
少しして、ジャスミンがたずねた。
「今夜、トランプしない?」
ニイナは肩をすくめた。
「そうねえ、わたしもう、トランプ飽きちゃった」
ジャスミンはびっくりしたようだった。
「飽きちゃったって?じゃあ、バドミントンする?」
ニイナはアスファルトを、それから友だちを見つめた。
「そうねえ、わたしもう、バドミントンも飽きちゃった」
「じゃあ、いいわよ!」
ジャスミンの声にとげとげしい響きがあった。
「何が急にそんなに大切になっちゃったのか、話してくれてもいいと思うけど」
ニイナは首を横にふった。
「それは・・・・・秘密なの」
「へーえ!あなた、だれかさんのこと好きになったんだ!」
話しがとぎれたまま、二人は並んで歩いていった。
サッカー場まで来た時、ジャスミンが言った。
「わたし、サッカー場をつっきるわ」
“サッカー場をつっきる”のはジャスミンの近道だったけれど、ジャスミンが近道をするのは、
お客があるとか歯医者の予約があるとかで、いそいで帰らなければならない時だけだった。
ジャスミンを傷つけてしまって、つらいな、とニイナは思った。
でも、なんて答えたらよかった?
わたしはだれかってことと、世界はどうやってできたのかってことで急に忙しくなったから、
バドミントンをする暇がないって言う?
そんなこと、ジャスミンはわかってくれただろうか?
なによりも大切なのは、そしてなによりも当然な問題にとりくむのが、
どうしてこんなにやっかいなのだろう?
郵便箱をあける時、ニイナは胸がドキドキしてくるのがわかった。
ちらっと見たところでは、口座通知と母宛の大きな茶封筒が何通かあるだけだった。
つまんないの。
ニイナは見知らぬ差出人の手紙がまたきていることを、心から待ち望んでいたのだ。
門をしめながら、ニイナは大きな封筒の一つに自分の名前があることに気がついた。
裏側には「哲学講座 親展」と書いてある。
ニイナは砂利道を走っていって、バッグを階段の上に置いた。
そして残りの郵便物を玄関マットの下につっこむと、庭を横切ってほら穴の隠れ家に向かった。
この大きな手紙は、どうしてもあそこで開かなくては。
レオがついてきたが、どうしようもない。
でも、猫はぜったいにおしゃべりしないから大丈夫。
封筒にはタイプで打った大判の紙が三枚入っていた。
クリップで止めてある。
ニイナは読みはじめた。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
哲学とはなにか?
親愛なるニイナ
世の中にはいろんな趣味があるものです。
古いコインや切手を集めている人はざらだし、手芸に凝る人もいます。
暇さえあればスポーツに打ちこむ人もいます。
読書好きもけっこういます。
けれども、何を読むかはじつにさまざまです。
新聞かマンガしか読まない人もいれば、小説ファンもいる。
天文学とか、動物の生態とか、科学の発見とか、いろんなテーマに手を伸ばす人もいる。
もしもわたしが馬や宝石の愛好家だったとして、
ほかのすべての人と趣味の話で盛り上がるとは期待できません。
わたしがテレビのスポーツ番組には目がないとしても、スポーツなんかつまらないと
言う人がいることは、まあ、そんなものだと思うしかない。
すべての人に関心のあることなんてあるだろうか?
だれにでも、世界のどこに住んでいる人にでも、あらゆる人間がかかわらなければ
ならない問題をあつかうのが、この講座です。
生きていく上でいちばん大切なものはなんだろう?
もしも、飢えている人びとにたずねたら、答えは食べることですね。
同じ質問を凍えている人にしたならば、答えは暖かさです。
さらに、一人ぼっちでさびしがっている人にたずねたとしましょうか、
答えは決まってますね、ほかの人びととのつきあいです。
けれども、こういう基本条件がすべて満たされたとして、
それでもまだ、あらゆる人にとって切実なものはあるだろうか?
哲学者たちは、ある、と言います。
哲学者たちは、人はパンのみで生きるのではない、と考えるのです。
もちろん、人はみな、食べなければならない。
愛と気配りも必要です。
けれども、すべての人びとにとって切実なものはまだある。
わたしたちはだれなのか、なぜ生きているのか、
それを知りたいという切実な欲求を、わたしたちはもっているのです。
わたしたちはなぜ生きているのか、ということへの関心は、だから、
たとえば切手のコレクションのような、
いわば「ひょんなきっかけではまってしまう」興味とは別物です。
この問題に関心をもった人は、
わたしたち人間がこの惑星に生きてきたのとほとんど同じくらい
長いこと議論されてきたことがらにかかわることになる。
宇宙と地球と生命はどのようにしてできたのか、ということは、このあいだの
オリンピックでだれがいちばんたくさん金メダルをとったか、
ということよりもずっと大きな、ずっと大切な問題なのです。
哲学の世界に入っていくいちばんいい方法は問題意識をもつこと、つまり、
哲学の問いを立てることです。
世界はどのようにつくられたのか?
今ここで起こっていることの背後には意志や意味があるのか?
死後の命はあるのか?
どうしたらこういう問いの答えが見つかるのか?
そしてなによりも、わたしたちはいかに生きるべきか?
こうしたことを人間はいつだって問いかけてきました。
人間とは何か、世界はどのようにしてできたかと問わなかった文化はありません。
哲学の問いは、それほどいろいろと立てられるものでもありません。
いちばん大切な二つの問いはもう立てました。
ところがそれにたいして哲学の歴史が教えてくれる答えは、それこそさまざまです。
だから、問いに答えようとするよりも問いを立てる、このほうが哲学に入っていきやすいのです。
今でも、一人ひとりがこれらの問いに自分流の答えを見つけなければなりません。
神はいるかとか、死後の生はあるかとかを、事典で調べることはできない。
事典は、わたしたちはいかに生きるべきか、ということにも答えてくれない。
でも、生命や世界について自分なりのイメージをもとうとするなら、
ほかの人たちの考えを知ることは助けになります。
真理を追い求める哲学者たちの営みは、そうですね、
ミステリー小説にたとえるといいかもしれない。
殺人犯はアンソニーだ、と言う人もいれば、ニックが犯人だ、
いや、イワンだと、意見はてんでんばらばらです。
現実の事件なら、いずれ警察が解決してくれるでしょう。
もちろん、警察も謎がとけなくて事件は迷宮入りということもある。
それでも謎にはかならず答えがあるのです。
だから、問いに答えるのがむずかしくても、問いには一つの、
そう、たった一つの正しい答えがあると考えることはできる。
死後に人はなんらかの形で存在するとか、いや、そんなことはない、とかね。
ところで、古来からの多くの謎は科学が解いてきました。
昔は、月の裏側がどうなっているかは大きな謎でした。
これは議論したぁらといって解決できる問題ではなかった。
答えはそれぞれのファンタジーにゆだねられていた。
けれどもこんにち、わたしたちは月の裏側のありさまを知っています。
わたしたちはもう、月に兎が住んでいるとか、
月はチーズでできているとか、信じることはできません。
今から二千年以上も前の古代ギリシアの哲学者は、
人間が「なんかへんだなあ」と思ったのが哲学の始まりだ、と考えました。
人が生きているというのはなんておかしなことだろう、と思ったところから、
哲学の問いが生まれた、というのです。
それは手品に似ています。
わたしたちは手品を見て、どうしてそんなことになるのか、さっぱりわけがわからない。
それであとから、どんなからくりであの手品師は二枚の白い絹のスカーフを
生きた兎に変えてしまったのだろう、と首をひねります。
多くの人びとにとって、世界はちょうど、手品師が今の今まで空っぽだった
シルクハットからふいに取り出した兎のように、まるでわけがわからない。
兎についてなら、手品師がわたしたちの目をだましているのだ、ということははっきりしています。
でも世界となると、話はちょっとちがってくる。
わたしたちは、世界はまやかしなんかではないと知っている。
なにしろ、わたしたちはこの大地を走りまわっているのだし、
わたしたちが世界の一部だからです。
つまり、わたしたちがシルクハットから取り出された白兎だというわけです。
白兎との違いはただ一つ、
兎は自分が手品に一役買っているとは知らない、ということだけです。
わたしたちはちがう。
わたしたちは、自分たちがなにか謎めいたことがらに参加していると知っていて、
すべてはどんな仕組みになっているのかつきとめたいと思うのです。
追伸 白兎は全宇宙になぞらえたほうがいいかもしれない。
わたしたち、ここにいるわたしたちは、兎の毛の奥深くでうごめく蚤です。
けれども哲学者たちは、大いなる手品師の全貌をまのあたりにしようと、
細い毛をつたって這いあがろうとしてきたのでした。
ちょっと面食らったかな?ニイナ。この続きはまた今度。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
ニイナはすっかりボーッとしてしまった。
そうよ、面食らっているわ!こんなに息をつめて何かを読んだことは、これまで一度もなかった。
この手紙をくれたのはだれ?
いったいだれなの?
ルーシー・ハドソンにバースデイ・カードを送ったのと同じ人、というのはありえない。
なぜなら、カードには切手とスタンプがちゃんとあったもの。
でもこの茶封筒は、二通の白い封筒と同じように、
郵便局を通さずに直に郵便箱に入れられていた。
ニイナは時計を見た。
まだ三時十五分前。
母が仕事から帰ってくるのは二時間も先だ。
ニイナはもう一度、郵便箱に走っていった。
もっと入っていたりして?
またニイナ宛ての茶封筒が見つかった。
ニイナは辺りを見渡した。
だれもいない。
森の入り口まで走っていって、道の真ん中であちこちをうかがった。
けれども、人っ子一人見つからない。
ふいに森の奥で、小枝がポキッと折れる音がしたように思った。
でも気のせいかもしれないし、見に行っても仕方がない。
だれかが立ち去ろうとしていたとしても、追いすがるのはもう無理だった。
ニイナは玄関をあけて、通学バッグと母にきた手紙を床に置いた。
そして自分の部屋に行って、
綺麗な石がいっぱい入った大きなクッキーの缶から石を床にぶちまけると、
二通の大きな封筒を入れた。
それから缶を抱えて、もう一度、庭に走っていった。
その前にレオに餌をやった。
「レオ、ごはんよ、レオ!」
ふたたびほら穴に腰をおろしたニイナは、封を開いて、タイプ書きの手紙を読みはじめた。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
おかしなもの
また会いましたね。
たぶんもうわかったと思うけど、このささやかな哲学講座はちょうどよい分量ずつ届きます。
ついでにもう少し案内をしておきます。
いい哲学者になるためにたった一つ必要なのは、驚くという才能だとは、もう言いましたっけ?
まだだったら、ここで言っておくね。
いい哲学者になるためにたった一つ必要なのは、驚くという才能だ。
赤ん坊はみんな、この才能をもっています。
これははっきりしている。
生まれてほんの数ヶ月で、赤ん坊はま新しい現実へと押し出されます。
けれども、大きくなるにつれてこの才能はだんだんとなくなっていくらしい。
どうしてそうなるのかな?
ニイナ・ミヒロ・オーセンは、この問いにに答えられるかな?
まあ、いいでしょう。
とにかく、もしも小さな赤ん坊に話ができたら、きっと、
なんておかしな世界にきてしまったのだろう、と言うんじゃないかな。
なぜならわたしたちも知っているように、話はできなくても、赤ん坊は辺りを指さして、
部屋にあるのもに興味津々でさわるものね。
言葉が出てくると、犬を見たりするたびに立ち止まり、言います。
「ワン、ワン!」
赤ん坊がベビーカーの中でピョンピョン飛びはねて腕をふりまわすのを見たことがあるでしょう。
「ワンワン、ワンワン!」とね。
年上のわたしたちは赤ん坊のはしゃぎようを、ちょっぴり大袈裟と感じます。
わたしたちはわけ知り顔で、
「そう、ワンワンだね」と言います。
それから
「さあ、もうおりこうさんにお座りしなさい」なんて。
わたしたちはそんなに嬉しくないのです。
犬ならもうとっくに見たことがあるから。
この突拍子もない反応は、
子どもが犬とすれちがってもう嬉しくて我を忘れるなんてことにならなくなるまで、
おそらく数百回は繰り返されます。
象でもカバでも同じことです。
そして、子どもがちゃんと言葉を覚えるずっと前に、
あるいは哲学的に考えることを知るずっと前に、世界は慣れっこのものになってしまう。
もしもニイナがわたしの言うことにキョトンとしたとしたら、残念です。
まさかニイナは、世界をわかりきったものだと思っている人の仲間ではないよね?
これはわたしにとって切実な問題なのです。
親愛なるニイナ。
だから念のため、哲学講座の本題に入る前に、
想像のなかで二つ、体験してみましょう。
さあ、想像してみて。
ニイナは森を散歩しています。
突然、行く手に小さな宇宙船を見つけます。
宇宙船の上には一人の小さな火星人がよじ登って、ニイナをじっと見下ろしている・・・・・。
さあ、そんな時、ニイナなら何を考えるだろう?
まあ、それはどうでもいいとして。
でも、自分を異星人みたいに感じたことはない?
ほかの惑星の生物に出くわすなんて、そんなにありそうなことではない。
ほかの惑星に生命が存在するかどうかもわからないし。
けれども、ニイナがニイナ自身に出くわす、ということはあるかもしれない。
ある晴れた日、ニイナがニイナ自身を全く新しく体験してハッとする、
ということは、ちょうど森を散歩している時なんかにね。
わたしっておかしなもの、とニイナは考える。
わたしは謎めいた生き物、と・・・・・・。
ニイナは、まるで何年も続いたいばら姫の眠りから目覚めたように感じる。
わたしはだれ?
ニイナはたずねる。
ニイナは、自分が宇宙のある惑星お上をゴソゴソ動き回っている、ということは知っている。
でも宇宙とはなんだろう?なんであるのだろう?
もしもニイナがこんな自分に気がついたなら、ニイナは自分自身をさっきの火星人と
同じくらい謎めいたものとして発見したことになるのです。
いえ、宇宙からやってきたものを見てびっくりするほうが、まだましなくらいだ。
ニイナはニイナ自身をとびきりおかしなものとして、
とっくりと深く感じるのです。
わたしの話についてきている?ニイナ。
もう一つ想像の体験をしますよ。
つづく
そして、当分この手紙のことはだれにも黙っていよう、と決めた。
学校では授業になかなか身が入らなかった。
ニイナは突然、先生はどうでもいいことばかりしゃべっている、と気がついた。
どうして先生は、人間とは何かとか、世界とは何かとか、世界はどのようにしてできたかとか、
そういう話をしてくれないのだろう?
学校でもどこでも、みんなどうでもいいようなことにかかずらっている。
学校の勉強よりもずっと大切な、
考えなくてはならない大きくてむずかしい問題があるのに-----こんな気持ちは初めてだった。
ああいう問いに答えた人なんているのかしら?
ニイナは、不規則助動詞の変化をとなえるよりもそっちを考えるほうが大切だ、と思った。
最後の授業の終わりのチャイムが鳴ると、ニイナはあっというまに校門を飛び出した。
ジャスミンがあわてて追いかけてきた。
少しして、ジャスミンがたずねた。
「今夜、トランプしない?」
ニイナは肩をすくめた。
「そうねえ、わたしもう、トランプ飽きちゃった」
ジャスミンはびっくりしたようだった。
「飽きちゃったって?じゃあ、バドミントンする?」
ニイナはアスファルトを、それから友だちを見つめた。
「そうねえ、わたしもう、バドミントンも飽きちゃった」
「じゃあ、いいわよ!」
ジャスミンの声にとげとげしい響きがあった。
「何が急にそんなに大切になっちゃったのか、話してくれてもいいと思うけど」
ニイナは首を横にふった。
「それは・・・・・秘密なの」
「へーえ!あなた、だれかさんのこと好きになったんだ!」
話しがとぎれたまま、二人は並んで歩いていった。
サッカー場まで来た時、ジャスミンが言った。
「わたし、サッカー場をつっきるわ」
“サッカー場をつっきる”のはジャスミンの近道だったけれど、ジャスミンが近道をするのは、
お客があるとか歯医者の予約があるとかで、いそいで帰らなければならない時だけだった。
ジャスミンを傷つけてしまって、つらいな、とニイナは思った。
でも、なんて答えたらよかった?
わたしはだれかってことと、世界はどうやってできたのかってことで急に忙しくなったから、
バドミントンをする暇がないって言う?
そんなこと、ジャスミンはわかってくれただろうか?
なによりも大切なのは、そしてなによりも当然な問題にとりくむのが、
どうしてこんなにやっかいなのだろう?
郵便箱をあける時、ニイナは胸がドキドキしてくるのがわかった。
ちらっと見たところでは、口座通知と母宛の大きな茶封筒が何通かあるだけだった。
つまんないの。
ニイナは見知らぬ差出人の手紙がまたきていることを、心から待ち望んでいたのだ。
門をしめながら、ニイナは大きな封筒の一つに自分の名前があることに気がついた。
裏側には「哲学講座 親展」と書いてある。
ニイナは砂利道を走っていって、バッグを階段の上に置いた。
そして残りの郵便物を玄関マットの下につっこむと、庭を横切ってほら穴の隠れ家に向かった。
この大きな手紙は、どうしてもあそこで開かなくては。
レオがついてきたが、どうしようもない。
でも、猫はぜったいにおしゃべりしないから大丈夫。
封筒にはタイプで打った大判の紙が三枚入っていた。
クリップで止めてある。
ニイナは読みはじめた。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
哲学とはなにか?
親愛なるニイナ
世の中にはいろんな趣味があるものです。
古いコインや切手を集めている人はざらだし、手芸に凝る人もいます。
暇さえあればスポーツに打ちこむ人もいます。
読書好きもけっこういます。
けれども、何を読むかはじつにさまざまです。
新聞かマンガしか読まない人もいれば、小説ファンもいる。
天文学とか、動物の生態とか、科学の発見とか、いろんなテーマに手を伸ばす人もいる。
もしもわたしが馬や宝石の愛好家だったとして、
ほかのすべての人と趣味の話で盛り上がるとは期待できません。
わたしがテレビのスポーツ番組には目がないとしても、スポーツなんかつまらないと
言う人がいることは、まあ、そんなものだと思うしかない。
すべての人に関心のあることなんてあるだろうか?
だれにでも、世界のどこに住んでいる人にでも、あらゆる人間がかかわらなければ
ならない問題をあつかうのが、この講座です。
生きていく上でいちばん大切なものはなんだろう?
もしも、飢えている人びとにたずねたら、答えは食べることですね。
同じ質問を凍えている人にしたならば、答えは暖かさです。
さらに、一人ぼっちでさびしがっている人にたずねたとしましょうか、
答えは決まってますね、ほかの人びととのつきあいです。
けれども、こういう基本条件がすべて満たされたとして、
それでもまだ、あらゆる人にとって切実なものはあるだろうか?
哲学者たちは、ある、と言います。
哲学者たちは、人はパンのみで生きるのではない、と考えるのです。
もちろん、人はみな、食べなければならない。
愛と気配りも必要です。
けれども、すべての人びとにとって切実なものはまだある。
わたしたちはだれなのか、なぜ生きているのか、
それを知りたいという切実な欲求を、わたしたちはもっているのです。
わたしたちはなぜ生きているのか、ということへの関心は、だから、
たとえば切手のコレクションのような、
いわば「ひょんなきっかけではまってしまう」興味とは別物です。
この問題に関心をもった人は、
わたしたち人間がこの惑星に生きてきたのとほとんど同じくらい
長いこと議論されてきたことがらにかかわることになる。
宇宙と地球と生命はどのようにしてできたのか、ということは、このあいだの
オリンピックでだれがいちばんたくさん金メダルをとったか、
ということよりもずっと大きな、ずっと大切な問題なのです。
哲学の世界に入っていくいちばんいい方法は問題意識をもつこと、つまり、
哲学の問いを立てることです。
世界はどのようにつくられたのか?
今ここで起こっていることの背後には意志や意味があるのか?
死後の命はあるのか?
どうしたらこういう問いの答えが見つかるのか?
そしてなによりも、わたしたちはいかに生きるべきか?
こうしたことを人間はいつだって問いかけてきました。
人間とは何か、世界はどのようにしてできたかと問わなかった文化はありません。
哲学の問いは、それほどいろいろと立てられるものでもありません。
いちばん大切な二つの問いはもう立てました。
ところがそれにたいして哲学の歴史が教えてくれる答えは、それこそさまざまです。
だから、問いに答えようとするよりも問いを立てる、このほうが哲学に入っていきやすいのです。
今でも、一人ひとりがこれらの問いに自分流の答えを見つけなければなりません。
神はいるかとか、死後の生はあるかとかを、事典で調べることはできない。
事典は、わたしたちはいかに生きるべきか、ということにも答えてくれない。
でも、生命や世界について自分なりのイメージをもとうとするなら、
ほかの人たちの考えを知ることは助けになります。
真理を追い求める哲学者たちの営みは、そうですね、
ミステリー小説にたとえるといいかもしれない。
殺人犯はアンソニーだ、と言う人もいれば、ニックが犯人だ、
いや、イワンだと、意見はてんでんばらばらです。
現実の事件なら、いずれ警察が解決してくれるでしょう。
もちろん、警察も謎がとけなくて事件は迷宮入りということもある。
それでも謎にはかならず答えがあるのです。
だから、問いに答えるのがむずかしくても、問いには一つの、
そう、たった一つの正しい答えがあると考えることはできる。
死後に人はなんらかの形で存在するとか、いや、そんなことはない、とかね。
ところで、古来からの多くの謎は科学が解いてきました。
昔は、月の裏側がどうなっているかは大きな謎でした。
これは議論したぁらといって解決できる問題ではなかった。
答えはそれぞれのファンタジーにゆだねられていた。
けれどもこんにち、わたしたちは月の裏側のありさまを知っています。
わたしたちはもう、月に兎が住んでいるとか、
月はチーズでできているとか、信じることはできません。
今から二千年以上も前の古代ギリシアの哲学者は、
人間が「なんかへんだなあ」と思ったのが哲学の始まりだ、と考えました。
人が生きているというのはなんておかしなことだろう、と思ったところから、
哲学の問いが生まれた、というのです。
それは手品に似ています。
わたしたちは手品を見て、どうしてそんなことになるのか、さっぱりわけがわからない。
それであとから、どんなからくりであの手品師は二枚の白い絹のスカーフを
生きた兎に変えてしまったのだろう、と首をひねります。
多くの人びとにとって、世界はちょうど、手品師が今の今まで空っぽだった
シルクハットからふいに取り出した兎のように、まるでわけがわからない。
兎についてなら、手品師がわたしたちの目をだましているのだ、ということははっきりしています。
でも世界となると、話はちょっとちがってくる。
わたしたちは、世界はまやかしなんかではないと知っている。
なにしろ、わたしたちはこの大地を走りまわっているのだし、
わたしたちが世界の一部だからです。
つまり、わたしたちがシルクハットから取り出された白兎だというわけです。
白兎との違いはただ一つ、
兎は自分が手品に一役買っているとは知らない、ということだけです。
わたしたちはちがう。
わたしたちは、自分たちがなにか謎めいたことがらに参加していると知っていて、
すべてはどんな仕組みになっているのかつきとめたいと思うのです。
追伸 白兎は全宇宙になぞらえたほうがいいかもしれない。
わたしたち、ここにいるわたしたちは、兎の毛の奥深くでうごめく蚤です。
けれども哲学者たちは、大いなる手品師の全貌をまのあたりにしようと、
細い毛をつたって這いあがろうとしてきたのでした。
ちょっと面食らったかな?ニイナ。この続きはまた今度。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
ニイナはすっかりボーッとしてしまった。
そうよ、面食らっているわ!こんなに息をつめて何かを読んだことは、これまで一度もなかった。
この手紙をくれたのはだれ?
いったいだれなの?
ルーシー・ハドソンにバースデイ・カードを送ったのと同じ人、というのはありえない。
なぜなら、カードには切手とスタンプがちゃんとあったもの。
でもこの茶封筒は、二通の白い封筒と同じように、
郵便局を通さずに直に郵便箱に入れられていた。
ニイナは時計を見た。
まだ三時十五分前。
母が仕事から帰ってくるのは二時間も先だ。
ニイナはもう一度、郵便箱に走っていった。
もっと入っていたりして?
またニイナ宛ての茶封筒が見つかった。
ニイナは辺りを見渡した。
だれもいない。
森の入り口まで走っていって、道の真ん中であちこちをうかがった。
けれども、人っ子一人見つからない。
ふいに森の奥で、小枝がポキッと折れる音がしたように思った。
でも気のせいかもしれないし、見に行っても仕方がない。
だれかが立ち去ろうとしていたとしても、追いすがるのはもう無理だった。
ニイナは玄関をあけて、通学バッグと母にきた手紙を床に置いた。
そして自分の部屋に行って、
綺麗な石がいっぱい入った大きなクッキーの缶から石を床にぶちまけると、
二通の大きな封筒を入れた。
それから缶を抱えて、もう一度、庭に走っていった。
その前にレオに餌をやった。
「レオ、ごはんよ、レオ!」
ふたたびほら穴に腰をおろしたニイナは、封を開いて、タイプ書きの手紙を読みはじめた。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
おかしなもの
また会いましたね。
たぶんもうわかったと思うけど、このささやかな哲学講座はちょうどよい分量ずつ届きます。
ついでにもう少し案内をしておきます。
いい哲学者になるためにたった一つ必要なのは、驚くという才能だとは、もう言いましたっけ?
まだだったら、ここで言っておくね。
いい哲学者になるためにたった一つ必要なのは、驚くという才能だ。
赤ん坊はみんな、この才能をもっています。
これははっきりしている。
生まれてほんの数ヶ月で、赤ん坊はま新しい現実へと押し出されます。
けれども、大きくなるにつれてこの才能はだんだんとなくなっていくらしい。
どうしてそうなるのかな?
ニイナ・ミヒロ・オーセンは、この問いにに答えられるかな?
まあ、いいでしょう。
とにかく、もしも小さな赤ん坊に話ができたら、きっと、
なんておかしな世界にきてしまったのだろう、と言うんじゃないかな。
なぜならわたしたちも知っているように、話はできなくても、赤ん坊は辺りを指さして、
部屋にあるのもに興味津々でさわるものね。
言葉が出てくると、犬を見たりするたびに立ち止まり、言います。
「ワン、ワン!」
赤ん坊がベビーカーの中でピョンピョン飛びはねて腕をふりまわすのを見たことがあるでしょう。
「ワンワン、ワンワン!」とね。
年上のわたしたちは赤ん坊のはしゃぎようを、ちょっぴり大袈裟と感じます。
わたしたちはわけ知り顔で、
「そう、ワンワンだね」と言います。
それから
「さあ、もうおりこうさんにお座りしなさい」なんて。
わたしたちはそんなに嬉しくないのです。
犬ならもうとっくに見たことがあるから。
この突拍子もない反応は、
子どもが犬とすれちがってもう嬉しくて我を忘れるなんてことにならなくなるまで、
おそらく数百回は繰り返されます。
象でもカバでも同じことです。
そして、子どもがちゃんと言葉を覚えるずっと前に、
あるいは哲学的に考えることを知るずっと前に、世界は慣れっこのものになってしまう。
もしもニイナがわたしの言うことにキョトンとしたとしたら、残念です。
まさかニイナは、世界をわかりきったものだと思っている人の仲間ではないよね?
これはわたしにとって切実な問題なのです。
親愛なるニイナ。
だから念のため、哲学講座の本題に入る前に、
想像のなかで二つ、体験してみましょう。
さあ、想像してみて。
ニイナは森を散歩しています。
突然、行く手に小さな宇宙船を見つけます。
宇宙船の上には一人の小さな火星人がよじ登って、ニイナをじっと見下ろしている・・・・・。
さあ、そんな時、ニイナなら何を考えるだろう?
まあ、それはどうでもいいとして。
でも、自分を異星人みたいに感じたことはない?
ほかの惑星の生物に出くわすなんて、そんなにありそうなことではない。
ほかの惑星に生命が存在するかどうかもわからないし。
けれども、ニイナがニイナ自身に出くわす、ということはあるかもしれない。
ある晴れた日、ニイナがニイナ自身を全く新しく体験してハッとする、
ということは、ちょうど森を散歩している時なんかにね。
わたしっておかしなもの、とニイナは考える。
わたしは謎めいた生き物、と・・・・・・。
ニイナは、まるで何年も続いたいばら姫の眠りから目覚めたように感じる。
わたしはだれ?
ニイナはたずねる。
ニイナは、自分が宇宙のある惑星お上をゴソゴソ動き回っている、ということは知っている。
でも宇宙とはなんだろう?なんであるのだろう?
もしもニイナがこんな自分に気がついたなら、ニイナは自分自身をさっきの火星人と
同じくらい謎めいたものとして発見したことになるのです。
いえ、宇宙からやってきたものを見てびっくりするほうが、まだましなくらいだ。
ニイナはニイナ自身をとびきりおかしなものとして、
とっくりと深く感じるのです。
わたしの話についてきている?ニイナ。
もう一つ想像の体験をしますよ。
つづく