ueberlegt euch mal
一問目は女の子に質問です。
Q1.
夜、終電間際の女性車両に、間違えて男の人が乗ってきました。本人は気づいていない様子。さぁ、こんなときあなたならどうしますか?
1. 別に悪気があるわけではないと思うので、放っておく。
2. 嫌だなぁ・・・と思いながら、できるだけその人から離れる。
3. いつか気がつくだろうと、しばらく観察してみる。
4. 「間違ってますよ」と教えてあげる。
5. その他
二問目は皆様へ。
Q2.
前を歩いている人が携帯を取り出そうとポケットをガサゴソしたら、紙くずがポトリと道路に落ちました。本人は気づいていません。さぁどうする?
1. 「あらら」と思って通り過ぎる。
2. 「落ちましたよ!」と教えてあげる。
3. 自分で拾ってゴミ箱へ。
4. ちょっと蹴って道の隅に追いやっておく。
5. その他
ちょっと考えてみてくださいな。
Q1.
夜、終電間際の女性車両に、間違えて男の人が乗ってきました。本人は気づいていない様子。さぁ、こんなときあなたならどうしますか?
1. 別に悪気があるわけではないと思うので、放っておく。
2. 嫌だなぁ・・・と思いながら、できるだけその人から離れる。
3. いつか気がつくだろうと、しばらく観察してみる。
4. 「間違ってますよ」と教えてあげる。
5. その他
二問目は皆様へ。
Q2.
前を歩いている人が携帯を取り出そうとポケットをガサゴソしたら、紙くずがポトリと道路に落ちました。本人は気づいていません。さぁどうする?
1. 「あらら」と思って通り過ぎる。
2. 「落ちましたよ!」と教えてあげる。
3. 自分で拾ってゴミ箱へ。
4. ちょっと蹴って道の隅に追いやっておく。
5. その他
ちょっと考えてみてくださいな。
あらかじめ
私の考えは、金子先生のあの本を参照してもらうのが一番わかりやすい!
ということで、今回の最終発表に関係しそうな部分を引用するので、ちょっと読んでみてくださいな。
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ボランティアとは、その状況を「他人の問題」として切り離したものとはみなさず、自分も困難を抱えるひとりとしてその人に結びついているという「かかわり方」をし、その状況を改善すべく、働きかけ、「つながり」をつけようと行動する人である。p65
ボランティアを個人がひっそりとやる、大勢に影響のない「小さな美しいこと」と捉える従来の考え方はとらず、ボランティアをもっと広く深い可能性を持ったものとしてみる。ボランティアの提示する関係性、つまり個人や社会への「かかわり方」と「つながりのつけ方」は、社会を多様で豊かなものにする、新しいものの見方と、新しい価値を発見するための人々の行動原理を提示するものであり、社会の閉塞状況を打破するための「窓」になるのではないかと思っているのだ。p69-p70
個人的利益の追求を、人々が当然のことと考えるという社会的合理は、たかだか二百年ほど前に形成されはじめたものである。p73
資本社会主義においては、生産者は初めから、自分の必要のためにではなく、ほかの人の必要のために、つまり、市場のために、そこで他律的に価値を評価される商品を生産する。こうして世界市場の網の中へすべての人が組みこまれ、労働は商品となり、すべての人が市場に深く依存することになる。p75
昔は、村落の長とか、封建制度の下での国王とかによる統治が行われ、その範囲は個人の生活にも及んでいた。それが、近代になると、個人的要素は薄まり、行政機関とか大企業という大組織が支配するようになった。その支配は法や規則にのっとったものになった一方で、「お役所的」とか「よそよそしい」と形容されるような管理様式が現れてきたのである。ウェーバーのいうところの官僚制を構成するのは、集団的規律を身につけた専門的職業人であり、その特徴は、職業的禁欲と事務的態度である。ここで、禁欲というのは、公私の区別をつけること、命令に服従すること、組織に献身的態度を示すこと、そして、全体として、その人の感情、主観的判断、自発性、個人としてのイニシアティブを意識的に抑制し、機会のように行動することを指している。分業によって生じた専門化のプロセスは、個人が限定的な活動にしか従事しないこと、また、その専門性に基づいて職業的活動とおれに伴う責任の範囲が機能的に限定されていることを意味する。これらが、先に指摘した、「よそよそしさ」に代表される事務的態度につながっているというわけだ。p79-80
世界中に住む人々は、住んでいる国とか生活程度、職業や人種が何かということにかかわらず、すべて、地球という限りある生活空間を共有しているという意味で、密接な相互依存関係によって結ばれている。(中略)「個」と「全体」の関係性という観点からすると、マルクスやウェーバーら「先人」の指摘を含めて、次のようなことが言えるのではないだろうか。近代以前の社会、とくに、市場経済が発達する以前の社会においては、個と個は生活共同体の中で互いに依存する関係にあり、個は全体に従属していた。近代においては、個と個の相互の依存度は低まり、また、個は全体からの従属から解き放たれ、独立性を獲得したかに見える。しかし、それは厳しい条件付きの独立—経済や社会を運営・管理する「官僚システム」によって規定される行動様式に従っている限りにおいての独立—にすぎない。獲得したとみえた独立は、個の孤立と、巨大システムへのいっそう深いレベルでの従属との引き換えに得られたものであったというわけだ。「宇宙船地球号」的発想は、個と全体に関する新たな考え—新しい価値観といってもいいだろう—をもたらしているのではないだろうか。つまり、従来のように独立と従属を対立させるのではなく、個と個は互いに依存しながら全体を構成しているという社会の捉え方だ。現代社会における相互依存の特徴は、交通機関や情報通信技術の発達によって個人がきわめて広い範囲の、それこそ見ず知らずの人や状況と間接的な依存関係にあるということだ。p86-87
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こんな感じかしら。とりあえずね。
ということで、今回の最終発表に関係しそうな部分を引用するので、ちょっと読んでみてくださいな。
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ボランティアとは、その状況を「他人の問題」として切り離したものとはみなさず、自分も困難を抱えるひとりとしてその人に結びついているという「かかわり方」をし、その状況を改善すべく、働きかけ、「つながり」をつけようと行動する人である。p65
ボランティアを個人がひっそりとやる、大勢に影響のない「小さな美しいこと」と捉える従来の考え方はとらず、ボランティアをもっと広く深い可能性を持ったものとしてみる。ボランティアの提示する関係性、つまり個人や社会への「かかわり方」と「つながりのつけ方」は、社会を多様で豊かなものにする、新しいものの見方と、新しい価値を発見するための人々の行動原理を提示するものであり、社会の閉塞状況を打破するための「窓」になるのではないかと思っているのだ。p69-p70
個人的利益の追求を、人々が当然のことと考えるという社会的合理は、たかだか二百年ほど前に形成されはじめたものである。p73
資本社会主義においては、生産者は初めから、自分の必要のためにではなく、ほかの人の必要のために、つまり、市場のために、そこで他律的に価値を評価される商品を生産する。こうして世界市場の網の中へすべての人が組みこまれ、労働は商品となり、すべての人が市場に深く依存することになる。p75
昔は、村落の長とか、封建制度の下での国王とかによる統治が行われ、その範囲は個人の生活にも及んでいた。それが、近代になると、個人的要素は薄まり、行政機関とか大企業という大組織が支配するようになった。その支配は法や規則にのっとったものになった一方で、「お役所的」とか「よそよそしい」と形容されるような管理様式が現れてきたのである。ウェーバーのいうところの官僚制を構成するのは、集団的規律を身につけた専門的職業人であり、その特徴は、職業的禁欲と事務的態度である。ここで、禁欲というのは、公私の区別をつけること、命令に服従すること、組織に献身的態度を示すこと、そして、全体として、その人の感情、主観的判断、自発性、個人としてのイニシアティブを意識的に抑制し、機会のように行動することを指している。分業によって生じた専門化のプロセスは、個人が限定的な活動にしか従事しないこと、また、その専門性に基づいて職業的活動とおれに伴う責任の範囲が機能的に限定されていることを意味する。これらが、先に指摘した、「よそよそしさ」に代表される事務的態度につながっているというわけだ。p79-80
世界中に住む人々は、住んでいる国とか生活程度、職業や人種が何かということにかかわらず、すべて、地球という限りある生活空間を共有しているという意味で、密接な相互依存関係によって結ばれている。(中略)「個」と「全体」の関係性という観点からすると、マルクスやウェーバーら「先人」の指摘を含めて、次のようなことが言えるのではないだろうか。近代以前の社会、とくに、市場経済が発達する以前の社会においては、個と個は生活共同体の中で互いに依存する関係にあり、個は全体に従属していた。近代においては、個と個の相互の依存度は低まり、また、個は全体からの従属から解き放たれ、独立性を獲得したかに見える。しかし、それは厳しい条件付きの独立—経済や社会を運営・管理する「官僚システム」によって規定される行動様式に従っている限りにおいての独立—にすぎない。獲得したとみえた独立は、個の孤立と、巨大システムへのいっそう深いレベルでの従属との引き換えに得られたものであったというわけだ。「宇宙船地球号」的発想は、個と全体に関する新たな考え—新しい価値観といってもいいだろう—をもたらしているのではないだろうか。つまり、従来のように独立と従属を対立させるのではなく、個と個は互いに依存しながら全体を構成しているという社会の捉え方だ。現代社会における相互依存の特徴は、交通機関や情報通信技術の発達によって個人がきわめて広い範囲の、それこそ見ず知らずの人や状況と間接的な依存関係にあるということだ。p86-87
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こんな感じかしら。とりあえずね。
メモめも
渋谷を舞台に街づくりを考える。
私の教科書
『ボランティア~もうひとつの情報社会』金子郁容(1992)
高校生のときからのバイブル
人が価値を金銭に換算せずに生産や発展に寄与する資本主義社会
Q1.私はどうして今になって都市に興味を持ちましたか?
A1.お楽しみに。
私の教科書
『ボランティア~もうひとつの情報社会』金子郁容(1992)
高校生のときからのバイブル
人が価値を金銭に換算せずに生産や発展に寄与する資本主義社会
Q1.私はどうして今になって都市に興味を持ちましたか?
A1.お楽しみに。