自由って不思議なものだと思う。自由を求めているがいつまで経っても手にはいらない。
月を追いかけても一向に追いつけない感覚である。

思春期の頃は自由を強く求める時期であるように思う。
束縛からの解放が自由だと思い反抗してみる、選択肢を持つことが自由だと思い知らない世界を覗こうとする。そんなことをしながら大人になる。

大人になってお金を持つようになると更に選択肢が増え自由を得る。

自由への欲望がなくなることは無くもっと自由を求めて社会で生きて行く事になる。もっと、もっと、、、  

そうして自由になりたいと思い自由になれない不自由に陥る。映画「into the wild」という映画がまさにこのことを描いた映画だ。

自由とは?  選択肢が多い事?束縛の反対の意味?ランダム性を持つ事?
明確な答えを持っている人はどれぐらいいるだろう。
  

ここで少し思い出してもらいたい。世界の聖人、偉人達を。例えばマザー・テレサ。彼女のようになりたいと思う人は多いと思う。それは何故だろう?いろいろあると思うが、一つは自由を持っているからではないだろうか。修道女として生きた彼女の人生は制限がたくさんあったはずだ。なのに心に自由を持っていた。何者にも縛られていないあの笑顔に人は引き付けられる。


では彼女が持っていた自由とは何であろうか?それは視点の高さではないだろうか。
高い抽象度から人類を見ることが出来るから自由であったと思う。

それは私たちが蟻を見て不自由に思うのと同じであると思う。しかし蟻からは人間の存在は分からないから自分が不自由だとは思っていない。たくさん餌を集めて住処を広げることが自由だと思っている。

エッジ・オブ・カオスという言葉があるがそんな感じ。混沌の中から生まれる整合性を自分で作り出せれば自由を作りだすことが出来る。

高い抽象度を持てば今すぐにでも人は自由になれる。そのような視点を持ちたいものである。