世の中にはあいまいな事がたくさんあって、それが善か悪か判断しがたいものがある。
善か悪かの概念すら当事者の解釈によって変化するものであるから当然であるといえば当然である。
しかし、このようなあいまいな問題について追求することを自分なりにしなければ「自己」というものもあいまいな存在になると思う。

自分が何を選ぶかがアイデンティティーであり、選択が自己主張であると思う。

と、今置かれている立場から主張してみたのだけれども、逆に支配者側、権力者側からの立場からみたらどうだろう?
支配者はその権威を維持する為には従順な大衆が必要であり、自分の考えに従い先導できる世の中にしたいはずである。だからメディアを使い考えない人々をつくりだしている。「衣食住」という抽象度の低い欲望に縛り付けておけば消費も増える、バラエティーをみせて仮想空間での楽しみに縛りつければ考えない人間につくれる。思考能力が低く言う事を聞く大衆を作りたいのである。
それゆえ自己主張は必要ない。

私は世の中に対して反発している訳ではないので攻撃的な意味合いから自己主張が必要だと言っているのではなく、支配者が作り出した社会で「自己の存在」を感じることの為には自己主張が必要だと言いたい。
でないと社会的洗脳が解ける死ぬ前に「なんの為に生きたのか?」が分からないような気がする。

だからあいまいな問題こそ考える価値があると思う。