この世界で唯一平等なものは時間。これもよく聞くフレーズです。
これ嘘ですよ。「えぇぇ!んな馬鹿な!」って声が聞こえます。
では勝負です。このブログを読んで「そうかも」と思わせたら私の勝ちです。

一日24時間。これは一日を24に分割した基準に過ぎません。ただの基準です。
例えをあげましょう。暖房28度は暑がりの私には暑いですが寒がりのひとには丁度いい。
パスタ100グラムは私は足りませんが小食の人には多すぎる。1000メートルを走れと言われたら運動不足の私には遠く感じますが、マラソン選手には散歩程度。
すべて主観は自分で、基準が主観ではないですよね?

そうです。時間が長いか短いかは自分が決めるのです。24時間はただの物差し。

子供のときは一日が長かったですよね。今は一年があっと言う間。去年と一昨年の違いが分からないとか、悲惨...。これも主観は自分にあるということ。

では子供のときは何故長くかんじたのか?それは初めて見るもばかりで始めての経験ばかりだからすべてが新鮮なんです。その分脳が働いている。一日の密度が濃いから。今は何を見ても無感動、薄い一日、それなら一年アッッッッという間は当然です。

みんなの体感時間は平等ではなくばらばらです。NASAのエンジニアは一般の人の500倍の体感時間があるそうです。

少し難しい話にはいってもいいでしょうか?出来るだけ短くまとめます。
ここから2つお伝えします。
一つは何故年をとるたびに感動がへるのか?
もう一つはどうしたら時間が長く感じられるのか?です。

身体の生理機能の最優先は生命維持です。生命維持とは「昨日と同じように今日もあれ」ということです。(ホメオスタシスと言う)
必然的に昨日と同じような一日ならば生命を維持できると考えるのです。だから自分にとって必要な情報とは昨日と同じ情報ということになります。脳の働きは5%。見えてるものも5%。出勤途中、いつもなにも考えずに会社につくはずです。死なずに目的地につく事が最優先だからです。ここで見えている5%をずらしたらどうなるか。朝露の美しさに気付き、風が運ぶ季節の香りを感じ、子供達の通学を見て微笑む。さらにズラすと、朝露を見て人生の儚さと人生の美しさを感じ、季節の風を感じて地球の温暖化を憂いて、子供たちを見て世界の飢餓で苦しむ子供たちを思い浮かべる。
体感時間は全然違うはずです。
長く生きれば生きるほど5%はずらしにくくなります。錆び付いたネジのように。頑固じじいと頑固ばばあはつまらんです。これが感動がへる理由です。

ではどうしたら長く感じるのか。有名な機能脳科学者の本でありました。
普通の人にもすぐに36倍の体感時間ができると。それは物事を1/6でこなし、頭を6倍つかう。6×6=36。そういう理由でNASAのエンジニアは500倍なんです。なんのこっちゃでしょ?また機会があればブログにのせます。

私がいいと思うのは、幸せの感度を上げること。夕日を見たら涙がでるぐらい、誰かの微笑みで幸せになれるぐらい、これだと毎日感動で刺激的。一日は長く感じます。そして一番はチャレンジすること、これにまさる刺激と感動はないとおもいます。

どうでした?時間は平等でない。感動が多い人生は長い。人生にチャレンジすることがやっぱり人生を楽しむことですよね!!!