そういえば関東ローカル ② | 初心者同志

そういえば関東ローカル ②

【冗談画報】とは、1985年10月から深夜0時25分にフジテレビで放送

されていた番組。

”笑いと音楽の融合””テレビとライブの融合”を標榜としていて、毎回

スタジオにお客を入れ、ライブハウス風に何もないステージの上で、お

笑いに限らない幅広いジャンルから、まだ世間一般ではほとんど認知

されていないような新人ばかりを呼んで、自由にパフォーマンスを披露

させるという、とても珍しい番組だった。


当時の出演者を見てみると、いずれもまだ無名だった、あの米米クラブ

がいる、いとうせいこうがいる、てつ100%がいる、中島らもがいる、と、

その先見性には思わず唸らされてしまうような、錚々たる顔ぶればかり。


この番組に、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、野沢直子、清水ミチコ

もそれぞれ個別に出演しており、【夢で逢えたら】が関東ローカルとして

開始されるまでに、全員がそれぞれ2回ずつ、出演を果たしていた。


当時、新番組を構想していたプロデューサーの佐藤義和は、この番組に

出演していた6人を見て、それぞれに出演を打診。

新人の芸人たちによる番組だから、敢えて番組の製作自体も、新しい人

に任せようと、同番組のディレクターをしていた、星野淳一郎、吉田正樹

という2人に、全面的に番組を任せることにする。


それが、【夢で逢えたら】の始まりだった。


番組のタイトルである【夢で逢えたら】は、1966年までNHKで放映され

ていた音楽バラエティー、【夢で逢いましょう】から。

この番組は生放送で、唄、ダンス、朗読、コントなどを披露していくという、

当時のNHKにあっても非常に珍しい形態をした番組で、あの坂本九も

参加していて、番組内で『上を向いて歩こう』や、『こんにちは赤ちゃん』

といった名曲が生み出されたことでも有名。

フジテレビで【笑っていいとも】【オレたちひょうきん族】といったバラエティ

番組に携わってきた佐藤義和にとって、この番組は〝バラエティの原点〟

であり、【夢で逢えたら】を作るうえでも大いに参考にしたということを、

後に本人が明かしている。

つまり、【夢で逢えたら】が番組当初から、コントだけでなく、音楽との

関係も深めていくことになるのは、このタイトルがつけられた当初から、

すでに決定づけられていたことだったのかも知れない。


ちなみに、【夢で逢えたら】が放送を開始した以降に、たびたび使われ

るようになっていく言葉に、


『お笑い第3世代』


と呼ばれるものがある。


これは当時、計算され尽くしたドリフの笑いに対して、アドリブで作り

出されていくひょうきん族の笑いがあり、そのどちらにも含まれない、

新しいお笑いを作り出している芸人たちの台頭を指して、使われだした言葉。

ネット上ではこの言葉を用いながら、第1世代がこの人たち、第2世代は

この人たちを指す、という書かれ方をされることがあるけれど、じっさい

にはこの『第3世代』と呼ばれるようになる以前に、具体的な誰かが該当

していた、ということではなく、『ドリフ世代』『漫才ブーム』『ひょうきん世代』

というように、その時代のお笑いの1つのムーブメントを総称するために

生み出された、新しい用語だった。


さらにもう少し詳しく調べてみると、この、『お笑い第3世代』がよく使わ

れるようになる少し前の段階に、もう1つ、当時のお笑いブームを総称

していた言葉が、とくに関東圏には存在していたことがわかる。

【夢で逢えたら】が放送を開始するより少し前、1988年の前半ごろに

放送されていたいくつかの情報番組では、それ以前から登場してきて

いた新しい芸人たちのことを、


『お笑いニューウェーブ』『都会派』『シティ派』


などと呼称していて、そう呼ばれる芸人たちの定義として、主に

〝師匠がいない〟〝下積み経験がない〟〝普段の日常を笑いにしている〟

の3つをよく上げていた。


その代表格として常に挙げられているコンビが、


ウッチャンナンチャン

ピンクの電話

ふらみんご

B21スペシャル

ABブラザーズ

ダチョウ倶楽部

シューティング

松竹梅

チャイルズ


といった人たちなのだが、今、改めて見てみると、この人だれだろう?

というコンビ名も、中に若干混ざっていることに気がつく。


これは、一時期『ニューウェーブ』などと呼ばれていた、新人のお笑い

芸人たちが、『第3世代』と呼ばれるようになるころには、すでにその

何組かは存在感を失っていて、本当に人気を得られるコンビというのが

絞られていた、ということであり、実際、元ABブラザーズの中山秀行は

その当時のことを回想し、


「コンビ結成直後は、テレビをやれば、翌日からは毎日のように

ファンレター山のように届くし、ライブをやればチケットはあっと

いう間に売り切れるという、すごい状況だった。

でも、あるとき、第3世代と呼ばれるお笑いの波が来て、ダウンタウンとか

ウッチャンナンチャンという人たちが活躍しだすと、仕事が一気に

減ってしまって、僕らはあっという間に古臭くなっっちゃったんです」


とインタビューで語っている。


また、当時ラ・ママ新人コント大会を主催するなどして、当時から事務所の

垣根を取り払って、新人のお笑い芸人たちの活動を支援していた渡辺正行も、

そういった、新人芸人の新しいムーブメントを紹介している番組の中で、


「漫才ブーム時代は面白いことがすべてで、面白ければテレビにも

出られた。でも、いまは面白いのは勿論だけど、テレビにどう使って

もらえるか、というキャラクター性も重要になっている」


などと語ってもいる。


まさに、そんなテレビに使ってもらえる芸人として、当時の【夢で逢えたら】

のメンバー6人が集められた。


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そして、ついにはドリフや、ひょうきん族と比較されるような、『第3世代』という

言葉を生み出すまでの、新しいお笑いの流れを作り出していくことになるのである。




< そういえば関東ローカル ③ > につづく。