そういえば関東ローカル ①
前回、第1回の放送から、と書いておきながら、今回はいきなり番外編。
実は、【夢で逢えたら】には全国放送がされる前、関東ローカルでのみ
放送されていた、もう1つの【夢で逢えたら】が存在している。
1988年の10月から始まったこの番組は、放送時間が木曜日の26時
という、とても深い時間帯に放送されていた番組だった。
まずは、こちらの【夢で逢えたら】から、簡単に紹介しておきたい。
その前に、そもそもこの番組が放送を開始した当時、ダウンタウン、
ウッチャンナンチャンという2組のお笑いコンビは、いったい、どんな状況
にあったのかについても、明記しておこう。
まず、ダウンタウンは、すでに関西でいくつもの出演番組を抱えていると
いう状況だった。
【4時ですよーだ】のような、自分たちがメインを務めるレギュラー番組も
持っていて、いくつもの漫才コンクールで最優秀賞、新人賞を獲得するなど、
関西においてはすでに高い知名度と人気を誇っていた。
しかし東京では、【笑っていいとも】の前身番組であった、
【笑ってる場合ですよ!】の、『お笑い君こそスターだ!』というコーナーで、
5週を勝ち抜いてチャンピオンになり、そのことで当時の東京のテレビ関係者
に注目されるようになっていたものの、その後、いくつかの番組に露出は
するが、レギュラーと呼べるような番組までは持っていない状況だった。
対して、ウッチャンナンチャンは、番組が始まるわずか3年前にコンビを
結成したばかりの新人で、1988年4月に、【お笑いスター誕生!】の
オーディションを受け、見事出演を果たすが、それが2人にとっての、
テレビデビューでもあった。
ちなみにこのとき、初めてオーディションを受けにいった2人は、番組の
プロデューサーの前でネタ見せをしているダウンタウンを目撃し、すで
に同番組で見て、2人のことを知っていたウッチャンナンチャンは、
「うわ、本物だ」、と思った、と後に語っている。
実際に会話などは交わしていないものの、実質的に2組のコンビの最初
の出会いだった。
この、【お笑いスター誕生】でウッチャンナンチャンは見事、優勝も果たす
ものの、コンビとしてはそれ以外にテレビの仕事も一切なく、ようやく手に
入れた【オールナイトフジ】の仕事も、「面白くなかったため」(本人たち談)、
わずか半年でクビになっていた。
つまり、番組が始まる時点では、2組は東京においてはまだ、ほとんど
無名の新人といっていい状況だった。
そんな中で、そこに野沢直子、清水ミチコという、やはり、当時新人で
あった2人を加えて、深夜とはいえ、まったく新しいお笑い番組として
【夢で逢えたら】をスタートさせることになった理由とは、いったい、
なんだったのだろうか。
これについては、【夢で逢えたら】を作りだしたそもそもの発案者で、番組
のプロデューサーでもあった佐藤義和が、それ以前にディレクターとして
製作当初から携わった番組、【オレたちひょうきん族】の放送回数が、
300回を迎えようとしていたのを期に、
「そろそろ、次の時代のひょうきん族を作らなければいけない」
という思いから構想を練りはじめた、と自身のコラムの中で述懐している。
また、当時の構成作家や、出演者自身でさえ、知らされていなかった
という、この6人からなるレギュラー陣の選考についても、やはり自身
が当時、プロデューサーを務めていた番組、【冗談画報】が大きな役割
を果たした、と告白する。
< そういえば関東ローカル ② > につづく。
