【夢で逢えたら】全放送完全レビュー。② | 初心者同志

【夢で逢えたら】全放送完全レビュー。②

1970年代、フジテレビで【夢で逢えたら】が放送を開始するより20年前

のテレビ界は、ドリフターズの【8時だョ!全員集合】が絶大な人気で日本

中を席巻していた時代だった。

この番組は、現在では到底考えられないような、国民的な人気を博した

お笑い番組で、最高視聴率50%、平均視聴率も30%以上を常に記録し

つづけるような、お化け番組だった。

 

しかし、そんな圧倒的な支持を獲得しつづけたこの番組も、その他の様々

 

な番組と同様、長くつづいていく中で人気が徐々に低迷していくことは、

避けることができなかった。

とくにそれは、【8時だョ!全員集合】の裏番組として、1981年にフジテレビ

【オレたちひょうきん族】の放送を開始すると、より顕著になっていく。

 

【オレたちひょうきん族】と、【8時だョ!全員集合】がまったく同じ時間に

放送されていた期間は、わずか4年程度である。

しかしその4年間は、【8時だョ!全員集合】の視聴率が下がりつづけ、

【オレたちひょうきん族】の視聴率が上がりつづけた期間だった。

両番組の視聴率はあっという間に逆転し、【オレたちひょうきん族】は、

その時代の国民的大バラエティだった、【8時だヨ!全員集合】をついに、

放送終了へと導くことになるのである。

 

まさに、新しい、”次の時代のお笑い番組”として、当時の視聴者に

 

【オレたちひょうきん族】が選ばれていった時期だった。

 

そんな【オレたちひょうきん族】が終焉を迎えることになるのは、放送

開始から8年を経ていた1989年10月、【夢で逢えたら】が放送

を開始してわずか半年のころ。

 

そもそも、【オレたちひょうきん族】、とは、当時の漫才ブームによって、

一気に注目されだしていた漫才師たちを東西問わずに集結させ、

今までにない番組を作ろうという思いから生み出された、まったく新し

い形のバラエティ番組だった。

そんな番組が終わることは、まさに、”1つのお笑いの時代の終焉”を、

象徴するような出来事だったのだ。

 

【夢で逢えたら】で、ディレクターを務めることになる吉田正樹は、それ

以前には、【オレたちひょうきん族】でずっとADを務めており、番組が

終了した当時のことを、

 

「当時携わっていたスタッフはみんな、【オレたちひょうきん族】だい

たいのことをやってしまった、という思いがあって、お笑いの世界で、

できることは、もう何もないなあ、というくらい気持ちだった」

 

と、後に回想している。

 

ドリフターズの番組が終わり、あのひょうきん族までが終わった。

 

次代のお笑いは、いったい、どんなお笑いになるのだろう。

 

そんなことが、少しずつ世間で注目されるようになっていた時代。

 

そんな中で、【夢で逢えたら】は放送を重ねていくことになるのである。

 

出演者はまだ当時、ほとんど無名といってもいい、新人の6人。

 

閉じられたスタジオの中で、次々とショートコントを披露していくという、

今までにない番組のスタイル、そして深夜の11時半という番組の放送

時間と、ただでもいくつかの悪条件を抱えてのスタートだった。

 

すでに【8時だョ!全員集合】などの洗礼を受け、小さな子供のころから

様々なお笑い番組を見て育った人たちにとって、そんな【夢で逢えたら】

は、当時はまだ、新鮮すぎて、若々しすぎて、荒削りすぎただろうことは、

想像に難くない。

 

かと思えば、いざ放送を開始してみれば、第1回の放送ですでに16.8%

という視聴率をとっていた、という事実も存在している。

 

後々に、”伝説の番組”なんて呼ばれるようになることも含め、なぜ、

 

この時の【夢で逢えたら】は、こうも最初の段階から、そこまでの注目を

浴びることなったのだろう。

 

それはやはり、当時の”新しい世代”を果敢に取り込んでいったから以外

 

に考えられない。

 

新しい次のお笑いが切望され、世間一般で、それらを生み出すことになる

のはいったいどんな人間なのか、と思われていたとき、多くの人たちは

まだ、過去に人気を獲得した人たちが再び作り出した番組に注目していた。

ドリフターズであれば、志村けんや加藤茶という2人が新しい番組を始め

ていたし、ひょうきん族からも、明石屋さんまや島田紳助、山田邦子と

いった顔ぶれが、それぞれに自分の番組を始めていたときだった。

 

しかし、そうしたお笑いに影響を受けなかった若い人たちもいた。

 

そのときのダウンタウンや、ウッチャンナンチャンと同世代、あるいはそれ

よりも更に下の世代だったそんな人たちこそが、

 

”自分たちが共感できる、新しいお笑いの人たち”

 

として積極的に、【夢で逢えたら】を歓迎していったのである。

 

 

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新しいお笑いをためらうことなく受け入れた、新しい人たち。

 

そうした人たちの絶大ともいえる支持を、結果的に【夢で逢えたら】は、

 

ほぼ一身に受け止めることになる。

しかも、それに決して迎合することなく、自分たちが目指す番組の形を

愚直なまでに崩すことなくやり続けていくことで視聴者の期待に応えていっ

た結果、番組はさらに多くの視聴者を獲得していくことになるのである。

 

前述した、小松純也が語った、視聴者が番組に持っていた”愛”とは、

 

そうした過去にはなかった番組を望んだ、新しい世代の人たちが番組

を視聴しながら、熱狂的に送りつづけた、新しいお笑いに対する”熱”

あり、当時の出演者、内村光良が、

 

「番組は、このまましておいたほうがいい」

 

 

と語る理由も、たとえ今、番組がDVD化がされても、そんな当時の

 

”熱さ”までも、そのまま再現することはできないだろうから、というような

思いが込められているように感じられる。

伝説だとか、奇跡的だとか言われることもある、この番組の真実の姿

は、当時のそんな時代の”熱さ”を抜きにしては、語れないものだからだ。

 

そうは言っても、【夢で逢えたら】を、当時ほとんど見たことがない人に

 

とっては、いったいどんな番組だったのか気になるという人も多いはず。

そこで、運良く譲っていただけた全放送分のビデオテープを振り返りながら、

この【夢で逢えたら】という

番組の真相に、少しでも迫ってみたい思う。

 

次回より、放送回の紹介レビューを掲載していく予定。