自分自身。 | 初心者同志

自分自身。

1年が終わる前に、その年の大反省会をする人もいるだろうけど、

そんなとき、できたら今の自分を反省するだけじゃなく、

【始まり】の自分を見つめ直す作業もしてほしい。


ふとすると、見失いそうになる、自分の【始まり】の姿だ。



よく人は、失敗をした人に対して、「気にするな」と言う。

「また、次やるときに成功すればいいじゃないか」と言う。

「今の失敗は忘れろ」「前を向いていきなよ」、なんて言う。


はたして、本当にそれは正しいのだろうか。


私は、そう思わない。


失敗は、抱えるべきだと思う。

忘れるべきじゃないと思う。


もちろん、誰か別の人のせいにしたり、

自分の、日ごろの行いのせいにしたりするべきでもないと思う。


失敗以外でも、挫折したこと、やろうと思いながら結局できなかったこと、

やってみたけど、思うような結果が出なかったこと。


そういったものは、すべて忘れて、新しくやり直せば、

すべては済んでしまうのだろうか。


時々、「失敗をいつまでも、引きずってても仕方ないだろ」

なんて言う人がいるが、私はそれを聞くと、

それはあまりに物事を簡単にしすぎだよ、と思ってしまう。


はたして、失敗とは、忘れるべき過去、なんだろうか。

失敗を引きずる行為は、無駄なことでしかないのだろうか。


だってさ、たとえ失敗であろとも、それは自分自身が起こした行動の

結果なんだよ。

だったらそれは、自分自身の一部ということだ。

それを簡単に、いらないって捨て去ってしまうことが、本当にいいことだと言えるのだろうか。


自分の身に起きたことを、次々と過去にしていくってことは、

新しいことを、どんどん自分自身に貼り付けていくってことだ。


自分の中に最初からあったものの上に

どんどんと重ねていってしまったら、

本当の自分を必要としたとき、いったいどこから、それを見つけだせばいいのだろう。


私たちは、当たり前のようにやってくる毎日を、

当たり前のように過ごしていくうちに、今の自分に慣れていく。

あらゆることが、すべて【つづき】【終わり】だけで出来ているのだと、

思いかけてしまう。


でも、それは違うはずだ。

今の自分になったのだって、元の自分のどこかに、

そうなる理由の、何かがあったからなんだ。


人にとっての終わりが、【死】なのか、【人生に満足した瞬間】なのか、

【できることを全てやり尽くした時】なのか、それは私にはわからない。

私は、【終わり】には興味がない。

それは、他人が決めたらいいと思う。


でも、【始まり】だけは譲れないのだ。

たとえそれが、記憶しておくのも辛いような失敗であろうとも、

私がしたことの一部であるなら、私はそれを抱えようと思う。


なぜなら、私には、私自身が必要だからだ。


あまりにも当たり前なことだから、私たちはそのことをついつい、

忘れてしまっているのかも知れない。


でも、もし、悩んだり、どうしたらいいのか、わからなくなるようなことがあったら、

試してみる価値はある思う。


本当に必要なのは、新しい時間でも、次のチャンスでもない。

自分自身なんだということを。


ただ、それも、時と場合によるってことを、忘れちゃいけないかも知れない。


「確かに偽装表示するように指示したけど、それだって自分自身を1番大切したからなんだっ!」

えーい、見苦しいっ!