新しい話。古い本。 | 初心者同志

新しい話。古い本。

最近、古い海外小説を、

新しい人間に訳させて、改めて発売しているのを

よく見かける。


面白いなあ、と思うのだけど、

同時に、少し不思議なことがある。


私が初めてそれを気にしたのは、

書店で、「ライ麦畑でつかまえて」の新訳本と題されたものが

出ているのを見つけたときのことだった。


訳者は「ねじまき取りクロニクル」などでも

お馴染みの、村上春樹。


村上春樹という人は、以前から翻訳の仕事もしていた人だ。


それに、古い作品のほとんどは、表現や言葉も

当時の古い感覚のままで、訳されていることがほとんどだから、

改めて翻訳されることにも、私は違和感はあまりなかった。


ただ、その後も、村上春樹訳で、たて続けに、

「グレート・ギャッツビー」「長いお別れ」といった作品が

発売されて、あれ、ちょっと待てよ、と思ったんだ。


というのも、この新訳と呼ばれる仕事が、

有名な作品ばかりでされていることが、なんだか、

ああ、凄くもったいないなあ、て思ったのだ。


だってさ、村上春樹という人が

改めて過去の海外小説を翻訳するとなれば、

その作品は弥が上にも注目されることになるはずなんだ。


それはつまり、日ごろ、ほとんど紹介されることも、

注目を浴びることもない海外小説に日が当たる、

ということでもあるはずだ。


にも関わらず、改めて翻訳されるのが、


「ライ麦畑でつきまえて」

「グレート・ギャッツビー」

「長いお別れ」


というのは、ちょっと有名な作品すぎる気がするんだよなぁ・・・・・・。


もちろん、作品としての面白さに文句はないんだけど、

今、改めて翻訳しなくても、充分な名作として、

すでに残っている作品ばかりなんだ。


これって、普段からよく漫画を読んでいる人に、

自信満々で、


「ドラえもん」

「ちびまる子ちゃん」

「ワンピース」


を、薦めるようなものだよ。


映画だったら、


「ターミネーター2」

「タイタニック」

「ハリーポッター」


を、薦めるようなものだもん。

これ、面白いんだよ!と手渡したりでもしたら、

人が人なら、私はバカにされたんだ、と思って、

怒って、投げ返してくるかも知れないぞっ。


村上春樹という人が、改めて翻訳をして本を出すという

のであれば、もっと、知られていないような、

隠れた名作を新訳してくれないかなあ、というのは、

きっと、とても贅沢な思いなんだろう。


それは分かる。


分かるのだけど、なんとなく、本屋に行くたびに、

国産の小説や、漫画、雑誌などに比べて、

格段に扱いの小さい、海外小説の売り場スペースを

見るたびに、心を痛めずにはいられない私としては、

やはり、どうしても思わずにはいられないのだ。


でも、やっぱりそれは、贅沢なのかもしれないなあ・・・・・・。