最後に思う。
自分で、自分自身の性格を完全に理解するなんてことは、
すごく難しいのだと私は思う。
だって、大抵の場合、私たちは
人に対してはどこまでも辛辣な評価をすることができるのに、
自分にだけは、どうしても甘い評価を下してしまいがちな
生き物だからだ。
他人を非難することほど、簡単なものはない、
ということを、私たちは忘れてはいけないんだと思う。
なぜならそれらは、自分自身の感情や行動と照らし合わせて、
比較することができるからだ。
その上で、自分と相容れることが決してないものを
私たちは拒絶するのだし、非難というものは、
その延長線上にある行為のことなんだと思う。
他人への非難は、だから簡単にできてしまう。
でも、自分自身についてはどうだろう。
他人を非難するのと同じくらい簡単に、私たちは
自分自身のことも非難できるだろうか。
他人の場合は、自分を指針とすればいい。
すごく簡単だ。
自分にとって気に入らないことをする人は、
非難に対象にすればいい。
または、自分では認められないことを平気でする人を、
軽蔑すればいい。
でも、その自分自身は、一体なにを手本として評価を
下してあげればいいのだろうか。
両親?
家族?
友人?
学校の先生だろうか?
他人への評価は、それが気になったときにすればいい。
テレビを見ていて。
私生活の中で。
インターネット上で気になる発言を見つけて。
常に自分以外のすべての人間に気を配って
生きている人なんていないんだ。
でも、自分自身はどうだろう。
私たちは、常に自分自身と一緒だ。
手本とする人も、比較すべき何かもない中で、
私たちは、自信を持って自らを本当に正しく評価して
あげられているのだろうか。
私は、自信がない。
そこまで自分に厳しくして生きられる勇気もない。
だから、せめて。
他人を非難したい気持ちが沸き起こったとき、
私は自分に聞いてみるんだ。
あなたは、なぜ、今それを非難したいの?と、
ただ、相手に仕返しをしたいから?
自分が優越感に浸りたいから?
楽しいから?
楽になりたいから?
そして、最後に思うんだ。
じゃあ、あなたはそれと同じくらい、自分には厳しくできている?
ああ、できてない。
私もやっぱり、まだまだ未熟な人間だ。
そう思うと落ち込むのだけど、少し嬉しくもなる。
なぜなら、人を非難する気持ちも大抵は、
そのときにはもう、なくなっているからだ。
情けない自分を思い知って、
それでも他人を非難しようなんて気持ちに
なれるほどの図々しさは、私にはまだ、ないみたい。
うーん、でも、これって喜ぶべきことなのかなあ・・・・・・。
難しい問題だぞ。