大ピンチ!
まだ、夜も明けきらない、早朝5時。
私がいつものように、自転車で仕事場に向かっていると、
こんな時間には不釣合いな、車が何度もエンジンをふかしている音が聞こえてきた。
よく見ると、道路の脇に止まっているように思えた、前方の車。
前の車輪が片方だけ、溝の中に落ちて傾いていたんだ。
そこはけっこう細い道路で、ちょうど交差点になっている場所。
うーん、どうやらこの車、ここで曲がろうとして、
誤って、タイヤを溝に落としてしまったようだ。
うーん、ドジだなあ。
とはいえ、見てしまったからには、黙ってこのまま、通りすぎるわけにも行かないぞ。
そこで私は、窓を叩いて、大丈夫ですか?と声をかけたんだ。
顔を上げたのは、三十代くらいの男性。
すでにその表情は焦燥しきっていて、私をみると、
まるで天使でも見たかのように、顔が輝きだした。
ああ、心細かったんだなあ。
なんといっても、こんな時間だもん。
助けを求めるにも、人の姿も見当たらないない。
しかも、ここはどちらかといえば、人があまり使わない裏側の通り。
きっと、本当に困ってたんだぜ。
だって、私が窓を叩くまで、車のことに必死で、ぜんぜん私のことに、
気づいてさえ、いなかったみたいだもん。
で、その男性、すごい勢いで車から出てきたかと思ったら、
どうして、こんなことになってしまったか、という説明を、
前置きもなしに、延々と話しはじめたのだった。
私、まだ、手伝うとも、助けるとも、いってないんだけどなぁ・・・・・・。
ま、声までかけておいて見捨てるわけにもいかないから、いいけどさ。
それはいいんだけど、説明をしながら、
なぜか、その人が私の腕をつかんで離そうとしないのが、
少し気になってしまった。
心細かったんだなあ、本当に。
わからなくは、ないけどさぁ。
「実は、ここでタイヤを落としてしまって・・・・・・」
うんうん。
「もうずっと、上がれないか、試しているんですけど・・・・・・」
だめだったんだね。
「なんとかこの辺りまでは上がってくるんですけど・・・・・・」
ああ、もう少しなんだ。
そうか、そうか。
わかったよ。
これも何かの縁だし、助けるからさ。
助けるから、もう、そろそろ手を離してくれよっ!
だって、その男性、説明している間も、ずっと私の腕を握ったままなんだもん。
まったく、いい年した男が悲しそうな顔をするな!
情けない声をだすなっ!
だから、身体を寄せてくるなーっ!
まったく、朝から男に寄ってこられても嬉しくもなんともないぞっ。
とにかく、私から提案をして、
一方が車でエンジンをかけ、もう一方が落ちたタイヤを持ち上げることで、
外に出せないか、試してみることにしたんだ。
男性は私にそう言われると、
「わかりました、やってみます。ありがとうございます」
と、まるで、大きな会社にあいさつ回りをしている途中の平社員みたいに
何度も頭を下げて、車に乗り込んだ。
うーん、いくら他に助けてくれそうな人がいないから、て
明らかに年下の私に、そこまで頭下げなくてもさあ、と思ったんだけど、
ま、今はそのことは、置いておこう。
とにかく、そうして何度か試してみると、車はかなり、いい動きを見せだした。
運転席で男性も、これまで一人でやっていたときにはなかった
手ごたえを感じているようで、かなり興奮しているみたいだ。
タイヤは何度が空転したあと、私が持ち上げた分、
僅かに溝をこすって、上へ登ろうとする。
でも、車体の重みが結局、勢いに勝って下にドスン、と落ちてしまう。
たしかに、もう少しだ。
もう少しなんだけど、でも、何度やっても、そのもう少しが、うまくいかない。
ここまでくると、私はもう、全身、汗でびっしょり。
当然だよなあ、だって、一人で車をずっと支えようとしているんだもん。
あーあ、一応、私、これから仕事なんだけどなぁ・・・・・・。
でも、車の男性は、もう、あと少しだということに必死で、
失敗するたびに、
「もう一度ですね。いいですか?」
と、また、すぐにエンジンをかけてスタートする。
私も仕方ないから、タイヤを持ち上げる。
そうしないと、タイヤはすごい勢いで空転して迫ってくるから、
傍にいる私は危険なんだ。
だから、男性がエンジンをかけたら、いやでも、持ち上げるしかない。
そんなことをさらに何度か繰り返しているうちに、
私は、車をうまく持ち上げるためのコツに、気がついたんだ。
重要なのは、車が溝を捉えたときだ。
一度捕らえたら、タイヤを、溝に接着させ続けることが大切なんだ。
一度でもタイヤが空転すると、すぐにドスンと落ちてしまう。
ということは、重要なのは、持ち上げている私じゃない。
運転している男性だ。
常に溝に接着させられるように、タイヤの向きを変えていくことが重要なんだ。
私がそのことをいうと、理解してくれたようで、
早速やってみます、と乗り込もうとした。
ちょっと待った!
ずっと傍でみていた私のほうが、どうタイヤを変えていけばいいか、
よくわかるはずだそ。
それで、運転を変わりましょう、私は申し出たんだ。
すると、その男性、とたんにちょっと、表情を曇らせてさ、
「あの、傷、つけないでくださいね・・・・・・・?」
お、おまえなーっ!
思いっきり、溝に落としておいて、無傷で済んでいると思ってるのか!
傷なんて、もう充分、警察の車とカーチェイスでもしたのかってくらい、
山のように、ついてんだよぉっ!
と、言いたかったんだけど、よく考えると、
今はまだ太陽も昇っていなくて、あたりは薄暗かったから、
きっと、この男性はまだ、それに気づいていないんだろうなぁ。
それで、私はそのことについては、なにも言わずに
黙って車に乗り込むと、早速、自分の考えた方法がうまくいくか、
挑戦してみることにした。
やってみると、わずか二回目の挑戦で、見事、脱出成功!
わっはっはっ。
どんなもんだい。
当然、車を支えていた男性も喜んで、私の手を握って
今にも振りまわしそうな勢いで、何度も頭を下げてお礼をいってきた。
ま、なんだか色々とあったけど、最後はうまくいったんだから、
これでヨシとしよう。
そこで、私たちはお互いをねぎらって、そのまま別れたんだけど、
最後に男性が残していった一言が、私にはとても気になってしまった。
「おかげで、傷もつけることなく、無事に車を出せましたっ!」
・・・・・・うーん、まあ、いいか。