罪悪感Ⅱ。 | 初心者同志

罪悪感Ⅱ。

ここからは、本日二回目更新。


ふとしたことから興味をもった、まだサービス間もないオンラインゲーム。

その名も、「MHF」

モンスターをハンティングする一人のハンターとなって、

その世界を生き抜いていくゲームなんだって。


何も知らないまま、無料という言葉にも誘われて

早速始めてみた私の眼前に広がったのは、

人を寄せ付けることを拒絶した過酷な大自然。

そして、そこに生きる巨大なモンスターたち。

ただし、スタートしてすぐ現れたのは、あくまでも草食。

しかも、子連れで、ほぼ無害。

どんな恐ろしいモンスターが出てくるのかと身構えていた私は、

ほっと安心、さっきまでの緊張もどこへやら。

その美しい景色と、和むモンスターたちの行動に、癒されて、のんびり。


と、思ったんだけどさ・・・・・・。

ゲームの世界は、そんな安心しきってい私に、容赦ない要求を突きつけてきたんだよ。


ああ、全部はとても書ききれない。

詳しくはこちらから 読んでよね。


というわけで、私にとても複雑な思いを抱かせた、

ちょっとこれまでとは違う、不思議なゲーム「MHF」


その不思議な思いとは、

モンスターを倒したときに生まれた、罪悪感という感情だった。


でも、それで、少し私は思ったんだ。

こういったゲームでは、何かを倒して自分を強くしていくというのは、ほとんど日常だ。

そのことに疑問を感じることなんて、ほとんどない。

ましてや、モンスターを倒す度に罪悪感を感じていたら、

先に進まなくなってしまうようなゲームの方が、ずっと多いんじゃないかなあ。


小学生の頃、実家のすぐ目の前にはキレイな川があって

私は渓流釣りによくいっていた。

それを教えてくれたのは、基本的には全て父親だったんだけど、

そこで父は私に、自分で釣った魚は必ず自分で最後まで面倒を見るように、

と教えた。


それはつまり、釣った魚はすべて自分の手で捌いて、自分で調理をする、ということだ。

そして、もちろん、食べるのも自分。


言葉にすると、これくらい、別に大したことじゃない、と思えるかも知れない。

でも、ただ言うのと、実際にやるのとでは大違い!

これって、恐ろしいことなんだよ・・・・・・。


たとえば、想像してみて欲しい。


さっきまで元気に飛び跳ねていた魚のからだに、

私は自分の手で包丁をいれていく。

魚は当然、あの丸い可愛い目でこっちを見ている。

釣ったばかりだから、押さえつけていても激しく暴れて、すぐ逃げ出そうとする。

それを無理やり押さえつけ、なんとか包丁を刺し込むと、

包丁の刃は身を次々と裂いて、ブスッブスッと硬い手ごたえが返ってくる。

次から次へと溢れてくる鮮血は、手をどんどん真っ赤に染めて、

濡れたところは血液の温さで生温かくなっていく。

ようやく内蔵部分にたどり着くと、それをかきだして、中を水で洗う。

とりだした内臓はまだキレイなピンク色で、ピクピクと動いていたりする。


最初は、どうして、こんなことをしないといけないのか分からなくて、

釣った魚を自分で捌かないといけないくらいなら、

釣り自体をやめたいと思ったことが何度もあった。

実際にそう父にいって、釣りにいくのをやめていた時期さえある。


でも、あるとき、食卓にのぼっている魚料理を見て、父と、


「これも魚だぞ」


と話した。

それで、はっとしたんだ。

そうだ。

これも、実は元々は生きていた魚だ。

最初から死んでいたわけじゃない。

私がやらなくても、誰かが生きていた魚を料理しているから、

私は魚を食べられるんだ。

これって、魚だけじゃない。

肉だって、全ての食べ物だって同じことなんだ。


自分がやろうと、人がやろうと、私が食べることを続けることに変わりはない。

だって、何も食べないで生きていく人間なんていないんだもん。

だったら、自分の手でやることを躊躇ってちゃダメだ、て思ったんだ。

全部、人任せにしてはだめなんだ。


よく、料理をしたことがない人が魚をさわると「キモチ悪い」といったりする。

私はキモチ悪い、とは思わない。

その魚は私のお腹を満たしてくれるんだもんな。

自分を生かしてくれる命に”キモチ悪い”なんて、失礼だよ。


でも、それから自分で魚を捌くようになって、それが当たり前になってからも、

たったさっきまで生きていたものを自分の手で調理することに、

恐ろしさや、罪悪感が消えることは決してなかった。


で、私が今回遊んだ「MHF」の話。

モンスターをハンティングして、そこから肉を剥ぎ取って、焼いて食べる!

ものすごく乱暴なように思えるこのゲームのシステムだけど、

実は現実の世界でついつい忘れがちになりそうな、

とても大切なことを、表現しているのかもしれない。


つまり、それは何かといえば、


自分が生きていくために、別の生き物の生命を絶たないといけない、

という事実は、とても恐ろしいのだということ。


でも、だからこそ、自分が色々なものによって生かされているということを、

しみじみと感じることができるんだ、ということだ。


そんなことを考えながら「MHF」を遊んでいたら、私はすっかり疲れてしまった。

ゲームはやっぱり、頭をカラッポにして、ただ楽しむくらいのほうが

いいのかも知れない。


でも、遊び終えたあと、何も残らないようではやっぱり寂しい気もする。

この「MHF」の場合は一体どっちなんだろう。


そのためには、もう少し遊んでみるのがいいかも知れないな。


なんて思ったのは、ただ私がこのゲームを気に入ってしまって、

なにか遊び続けるための理由が欲しかっただけなんだろうか。


ああ、ゲームにハマルって、こういうことかも知れないなあ・・・・・・。


MHFss02

上手に焼けるかなあ・・・・・・。