「占守島の戦い」って知りませんでした・・・。
読み方は「しゅむしゅとう」と読みます。パソコンで漢字変換してくれません;;;
先日、靖国神社の遊就館を拝観致したとき、「ご自由に・・・」という印刷物を
片っ端からいただいて参りました。
その中の一枚に「占守島の戦い」というものがあったのです。
<占守島の戦いとは>
日本が終戦を迎えた昭和20年8月15日から3日経った8月18日に、天皇の詔勅に従い武装解除を進めていた、千島列島最北端の島『占守島』の日本軍に対し、ソ連が突然上陸、攻撃をかけてきた戦いのことです。
日本軍は一度解除準備を進めていた武装を改めて行い、峻烈な激戦の末にソ連軍を水際に追い詰め、まさに殲滅しようとした時に「戦闘を停止し、自衛戦闘に移行すべし」との方面軍命令があり、日本軍は命令に従い、軍使の派遣・停戦交渉・武器引き渡し交渉の末、再度の武装解除を行い、戦いは21日に終結し、ソ連軍の南下は24日以降になりました。
ソ連は日本のポツダム宣言受諾、降伏を知りながら、なぜ終戦後3日も経ってから戦争を仕掛けてきたのでしょうか?それは当時のソ連の首相であったスターリンの領土拡張方針に基づく北海道北部の占領計画上にあったと思われます。「占守島は一日で占領する」と豪語していたソ連軍を占守島の日本軍は一週間も足止めし、ソ連軍の南下を遅らせ北海道北部の占領計画を阻止した結果にもつながったのです。
わたしたちは、家族と国を思う純粋な心と信念をもって、終戦3日後に戦って逝った占守島の若者たちのご冥福を祈るとともに、彼らのことを決して忘れることは出来ません。
と、前説に書いてあります。
占守島は、上図の上の方の赤い部分です。
左下の、北海道に赤線がありますが、そこまでがソ連の占領予定線。
この戦いで両方の国で大勢の兵士が犠牲となりました。
終戦時、占守島には2,500人ほどが缶詰工場で働いていましたが、そのなかには約400人の若い女子工員も混じっていて、参謀長と世話役の大尉は、「このままでは必ずソ連軍に凌辱される被害者が出る」と、相談し、島にあった独航船20隻に約400人を分乗させ、北海道に向けて出港させたそうです。
5日後に無事北海道に着いたそうです。
戦争はダメです。美化するつもりもありませんが、そういう「事実」があったことはちゃんと認識しなければいけないなと、思います。
私は知らなさ過ぎですねー。
