こんにちは。

社会人ホルン吹きで、アレクサンダー・テクニーク教師養成課程在籍中のなべけんです。

 

今回は、私が思っているアレクサンダー・テクニークを学んでいる「意味」について、ちょっとお話ししてみようと思います。

教師養成課程がそろそろ3年目くらいになり、大体折り返し地点に差し掛かってきているのですが、振り返ってみると(といってもこれから辿る道の方が圧倒的に長いですが)初期の頃と今とで、ATを学ぶことの意味・意義が変わってきたように思っています。

 

○アレクサンダー・テクニークとの出会いと衝撃

このブログの最初の方の記事(参考記事:私とアレクサンダー・テクニーク〜アレクサンダー・テクニークとの出会い〜他)で書いていますが、私が初めてアレクサンダーに出会ったのは中学の音楽の授業でした。

その時は「なんか特殊な技術があるんだな」くらいしか思っていませんでしたが、その後自分が楽器を始め、色々情報収集する中でアレクサンダーのことを改めて知り、自分の演奏の行き詰まりをどうにかするために実際に教室を訪れるまでには、10年以上の年月がかかりました。

 

正直なところ、アレクサンダーを学び始めた当初、私は結構メンタルズタボロ状態でした。

仕事は軋轢と理不尽に揉まれる毎日で、私生活もトラブル続き、ストレス過多で味覚障害を引き起こす始末。今思えば、人の顔色ばかり伺って自分のやりたいようにやれていなかったことが原因の一つですが、

環境や自分を取り巻く人間関係にも原因があったことは否めません。

 

そんな中で初めて受けたアレクサンダーのレッスンは衝撃でした。

まず「自分は何をしたいか」を問われる。

「自分のやりたいこと」に向かって、「自分の身体・心」を使って、実験をしていく。

失敗してもOK。先生はガイドはするけど押し付けはしない。達成したのは自分自身。

 

あれしろこれしろ、世のため人のためみたいな発想で生きてきた自分にとって、「自分のことをじっくり掘り下げていく」という時間はあまりにも貴重でした。

そして、同じ空間でレッスンを受けている他の方々の空気感の温かいこと・・・。

 

「これが自分の辿るべき道だ」「この学びは自分の人生に必要だ」と確信するまで、時間はそれほどかかりませんでした。

 

○より深く学び、むしろドライになった自分

アレクサンダーに触発される形で、色々と自己啓発系の知識にも触れました。

最もハマったのがアドラー心理学ですが、アドラーの本を初めて読んだ時にも、

「これ、アレクサンダーのレッスンで言ってることと同じじゃん!」

(他人はコントロールできないから自分に目を向けよう、とか)

と思って、今自分が学んでいることは正しいんだと胸が熱くなったのはよく覚えています。

 

で、この学びをもっと深めるには教師資格を取るしかない!と思って教師養成コースに入ったわけですが、1年・2年と経つうちに、自分の中で面白い変化が起こってきます。

 

養成課程に入って最初の1年くらいはアレクサンダーを「人生哲学」とか「生きる上での指針」みたいな随分重たい捉え方をしていたのですが、最近の1年くらいは自分の中で大切なものであることには変わりないものの、「自己探求方法」「やりたいことを実現する方法の一つ」くらいの感じで、トーンが少し下がっているのを感じています。

(やる気がないわけじゃなくて、すこしクールな見方に変わったという意味です。)

 

理由は、自己探求が進んだ結果、「やりたいこと」がよりクリアに掘り起こされたからだと思います。

シンプルにいうと、楽器です。

 

私、楽器をちゃんと勉強したかったんです。

アレクサンダーはアレクサンダーで学ぶとしても、やはりホルン吹きとして一角のものでありたい。

アレクサンダーを通じて「自分のやりたいこと」を掘り下げていった結果、「奏者」としてちゃんとした存在になりたい、という思いが、アレクサンダーをどうこうしたいという思いを越えてよりはっきりと現れました。

結果、働きながら音大に行くという、自分の望みに従った行動もちゃんと取りました。

 

で、楽器の上達のためには色々な方法があるわけですが、アレクサンダーを知ってて上手い人もいれば、知らないけど上手い人もいて、それぞれのやり方で成功しているので、「アレクサンダーを知っている」ことの価値が、自分の中で絶対的なものから相対的なものに変わったのだと思います。

要するに、必要な人に必要なことが届いていれば、まあそれでいいのかな、というくらいの考え方に変わってきました。

 

○今後もきっと色々あるけど、今目指している姿

最初の熱意の塊みたいな状態から、今一歩冷静になった状態で、更なる自己探求と、楽器演奏への活用、そして教える技術(教えられるようになりたいという望みは割とはっきり持っています)を高めるため、私は引き続きアレクサンダーを学んでいます。

ただ、その変化が紛れもなくアレクサンダーを学んできたことによって起こったこと、というのが、また面白いところです。アレクサンダーを学ぶことで、少しずつ自分の望む自分の姿がクリアになっていき、それに向けた建設的な行動・思考が取れるようになることで、アレクサンダーそのものに頼りきりでなくてもやっていけるな、という自信が少しずつ付いてきた気がします。

「アレクサンダーが人生哲学だ!」みたいなことを言ってしまうと、それは自分が受けてきたレッスンとは別物になってしまうので、そういう伝え方は違うかな、と改めて思う次第です。

 

教師になった暁には、目の前の人たちに「自分で自分の望みに向かっていけるよ」ということを伝えたいとは思うのですが、まずは自分が熱意を持っている楽器・音楽について、困っている人・より頑張りたい人をサポートするような役割を持っていきたいと思います。

 

〜おわり〜