久々の更新になってしまいました。

今月頭に大学の修了審査があって、1月からその準備に追われていた・・・というのはただの言い訳で、本当は書きたいと思えるほどのアイデアを思いつかなかったからなのですが、なんとか重い腰を一生懸命上げてテーマを絞り出しました。

 

試験の話はまた後日、結果が出た頃にじっくりと振り返るとして、今日は「信用と信頼」というテーマで少し考えていきたいと思います。

 

○信用と信頼

何か物事や他者を信じるのに、「信用」と「信頼」という二つの言葉を使います。

この二つの言葉が、似ているようで異なる意味を持っているということを、まずはきっちり定義しておきます。

 

「信用」とは、相手を信じることに、何らかの条件をつけることです。

英語でいうCredit(クレジットカードのクレジット)と同じで、相手を信じることに対して、何らかの対価を要求している状態をいいます。

 

担保があるから、金を貸す。

ほめてもらえるから、頑張る。

好きでいてくれるから、一緒にいる。

これらは全て「信用」に基づく関係です。

 

ビジネスの関係は、おおよそほぼ「信用」で出来上がっています。

相手が何か自分のために働いてくれる保障がなければ、こちらも働く気はしないでしょう。

「契約」とはそのために生まれた仕組みです。

 

一方、信頼とは、相手を信じることに、一切の条件をつけないことです。

金の貸し借りで言えば、たとえ相手に何の担保もなくても、返してくれることをただ信じて金を貸すようなことです。時に裏切られる可能性もありますが、根拠など何もなくても、それでもなお相手を無条件に信じ続ける。これが「信頼」に基づく関係です。

 

○自分自身への「信頼」

なぜいきなり「信頼」なんて話を始めたかと言うと、人前で演奏するのに、自分自身を「信頼」することほど重要なことはない、と考えているからです。

 

大切な演奏会を目前にした奏者に「自分を信じて!!」なんてエールを送ることがあります。

仮に、ここで自分を「信用」している人がいたとしましょう。その人の頭の中は、おそらくこうなっています。

 

「自分は上手く演奏できるはずだから、演奏しよう」

 

・・・なにか、おかしな雰囲気を感じないでしょうか。上手く演奏できる保障がないと、演奏できないのでしょうか。

上手くいくことを条件にして自分を信じると、上手くいかない自分を許容できなくなります。

その結果、本当に上手くいかなかった時、予定通りのパフォーマンスができなかった時に、「これは違う!!」という強烈な自己否定が始まります。

 

これを「信頼」に変えると、こうなります。

 

「上手くいくかどうかは知らないが、演奏しよう」

 

こうすると、未確定である「結果」、つまり未来に左右されることなく、今やるべき「演奏」に集中することができるようになります。上手くいったかどうかは演奏し終わってみないとわからないし、聞いている人の受け止めもおそらくバラバラなので、ひょっとしたら終わった後もわからないのかもしれません。

そんな「結果」を対価にして自分を信じるよりも、ただ今自分がここにいて、演奏する、演奏して良い存在であることを信じるのです。

 

演奏というのは、多かれ少なかれ色々予想できないことが起こるものです。

もちろん事前の準備は大切ですが、本番の舞台の上では今この瞬間に全力をかけることと、どうあったとしてもただ「自分を信じて」演奏するだけ、なのです。

 

○問題を「自分事」にできる

「信用」に基づく関係は、自分の前に相手があります。

まず、相手が自分のために何をしてくれるかによって、相手を信じるかどうかが変わるからです。

 

仕事ならそれは大事なことだと思いますが、プライベートな対人関係にこれを持ち出すと大変です。

なんせ、全ての人への対応を「自分にとって何をしてくれる人か」を基準に考えるのですから、それは相当自己中心的な接し方になるでしょう。

 

これを信頼に変えると、まず自分から相手に何ができるかという視点に切り替わります。

まず信じる。相手に興味を寄せる。そして、その相手のために自分なら何ができるかを考え、実践する。たとえ何の反応も見返りもなかったとしても、それでもなお信じ続ける。

どうしようも無くなったら、「自分とは関わりが持てない他者だった」ということで、関係を断ち切ることも可能です。

 

自分に何ができるかを考えることで、むしろ他者への信頼の第一歩になるというのは、面白い考えです。

 

残念ながら、他人は自分のために生きてはくれません。

自分のためになることをやってくれているように見える人がいたとしても、それはそのことがその人にとって何か有益な意味を持つからであって、純粋に自分のためだけにやっていることはあり得ないのです。(誰一人として悪を欲するものはない(ソクラテス))

であれば、どんな相手であってもまず自分に何ができるかを考えた方が、ずっと建設的だと思います。

 

○アドラー心理学における「仕事/交友のタスク」

上記の話は決して私のオリジナルではなく、アドラー心理学の考え方を下敷きにして書いています。

信用と信頼の話もアドラー心理学では頻出ですが、それに加えてアドラー心理学が対人関係をどのように見ているかを、少しご紹介しておこうと思います。

 

アドラー心理学では、人が人生の過程において向き合うべき対人関係の課題をいくつかにわけ、まとめて「人生のタスク」と呼びます。

ここでいう対人関係の課題とは、対人関係の「距離」や「深度」とでも思うとわかりやすいです。

 

私の愛読書、「嫌われる勇気」の記述をもとに、内容を簡単に説明します。

 

一つ目は「仕事のタスク」。

仕事のタスクは、もっともハードルが低い対人関係です。

「成果というわかりやすい目標があるので、少しくらい気が合わなくても協力できるし、協力せざるをえないところがあります。そして、「仕事」の一点において結ばれている関係である限り、就業時間が終わったり転職したりすれば、他人の関係に戻れます。」(岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』(2013年)ダイヤモンド社,p.112)

 

二つ目は「交友のタスク」。

交友のタスクは、仕事のタスクから一歩進み、個人的な関係を築きあげることを言います。「仕事のような強制力がないだけに、踏み出すのも深めるのも難しい関係」(前掲書, p.114)で、築き上げるのには勇気が要りますが、そうやって築いた関係だからこそ、友人関係はかけがえのない財産と言えるのでしょう。

 

こうしてみると、二つのタスクが先の信用と信頼の話と密接に関わっていることがわかると思います。

自分自身を見る目線としても、他者と向き合う目線としても、信用と信頼の違いを意識することは、自分主体に生きる上で非常に重要です。

 

ところで、アドラー心理学における人生のタスクは、仕事・交友に加えてあともう一つあるのですが、その話はまた後日にしたいと思います。人間関係において目指すべき究極の到達点が、信頼の更に先にある、という話をご紹介する予定です。

 

〜以上〜