梅雨で大雨に見舞われているところがありますが、みなさんのところではどうでしょうか。



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親がなかなか変われない原因のひとつに両親の不和がある…と前回書きました。


少年自身、問題を変えられずに非行を繰り返す…ってよくあるんですが、その審判のたびに来る親もちっとも変われていない…っていうこと、ホントによくあるんです。


もちろん、努力を重ねて苦悩している親もいて、頭が下がる思いをすることもありますが、これはまた少数派です。


で、一向に変われない親が審判廷に入る場合、たいがい、わたしたちうまくいってませんオーラが、お父さんからもお母さんからも、漂っていたりします…。




少年審判では、いとも簡単に反省を口にする少年がいます。

もうね、繰り返し家裁に来ていて、いよいよヤバいのに、気易く「もう反省したのでだいじょうぶです」なんて言っちゃうんですよ。


親の場合、もう大人なので、少年のように気易い約束をされても困るのですが、「ウソでいいからだいじょうぶって言ってくれ」と思うような場面で、そういった簡単な言葉さえ言えない…という方にも困ってしまいます。あ、もちろん親として心配するあまり気易い言葉が出てこない…っていうならいいんです。困るのは、相手(配偶者)のせいで自分の人生めっちゃくちゃ…って思っているので、そういった親の責任を踏まえた言葉なんて言えっこないっていう方です。


そんなヒドイ配偶者なの?…と思ってその配偶者さんの方をみると、こちらも同じように思っている顔をして固まっている…




そこで、書こうと思っているのはその不和の原因の話なんですが、裁判所の部屋では、お互い、相手のせいでこうなったとおっしゃる…


相手のせいで夫婦仲がぎくしゃくした

相手のせいで子どもがちゃんと育たなかった



この構造はデフォルメしているので、毎度、審判廷の中での両親の相互攻撃の形になってますが、親の離婚後の子どもの非行で、片親だけが審判に来ているような場合でも、あり得ます。

未だに相手のせいにしている…





経験的にみると、お互いの指摘は、あながち間違ってないと感じることが多いです。


確かに、お父さんは家族をちょっと放置してるね…

確かに、お母さんのお父さんや子どもに対するスタンスは近すぎるね…


とか、例えばそんな具合に感じるのです。それはそれで、

 不和の原因

ということができます。


しかし、そういう表面的なところを原因として改善に取り組めるのか?というと…できる人もいますが、できない人も多いです。

ま、そのへんはもう家裁の手続では直接的にはみえないところですけどね、親の問題は結構みえているのに改善されないケースでは、もはや

 誰のせいか?

という問題のとらえ方自体が適切でないんですよきっと。


それはもう、その家族全体の生命力というか治癒力というか回復力というか家族観というか…人間観…?…そういったものが足りないせいだと思う。

あくまで誰かに責任の所在を求めたいなら、それは夫と妻の両方にある。そういう相手を選択して結婚したのは自分だから。

じゃそもそも結婚で間違ったならおしまいか…というとそうではないはずなんですが、動けない。お互いが動けない。お互いが「どうして自分だけが…」なんて思ってる。それはもうその夫と妻の両方が、そもそも人生を生きるに当たって大切なはずの何かが足りないからでは?…と思います。



こうやって夫婦の不和の原因を眺めてみると、それは、両親が子どもの非行化を目の当たりにして一向に変われないでいる原因にも共通するように見えます。