こちらの意図と違う意図をもって学校の先生が来るとき…って話ですけどね…
ここでいう意図って、つまり、少年の処遇のことです。
少年審判では、多くの場合、家庭裁判所が前もって調査をしてあって、少年の処遇をどうするかはすでに一応の結論を決めています。
これは、一応の結論であって、もちろん審判をやってその結論が変わるときもある…って話は前にしました。
(例えば → こんなとき )
変わるときもありますが、一応、結論は決めてある…一方で学校が違う意見をもっている…
具体的にいうと、こっちからみれば、別にどうってことのない事件で、少年を少年院に入れるまでもない事件…なのに、学校が「その生徒を少年院に入れて欲しい」と考えている…
時々あったパターンです…
かなり具体的な形で学校が意見を申し入れてくることは、あります。
「もう、学校ではその生徒の面倒をみきれない…少年院に入れて欲しい」
そういった意見を家裁に表明するするために、審判当日、先生方が家裁にいらっしゃる…そういうことも、ありました。
少年院送致って決定、そうやすやすと出るもんじゃないんです。
だからこそ、厳しい審判を求めて、審判廷で少年や親の面前でそのことをことさら強調する先生も、いました。
しかし、それでも、保護観察の審判をすることは多いです。
いわば、「その生徒を少年院に入れて欲しい」という先生の前で「だめです」と審判するわけですからね…ここに裁判官対学校教師の図式ができあがります。
こっちも、根拠なくそういう結論を出しているわけではありませんし、せっかく先生方が来たわけですから、「今後はこうやってこの生徒をみてはどうか」という提案を心がけていました。
多くの場合は、その提案は、少年や親の発言の形をとって、黙示的に提示する形をとりました。
少年や親と、学校とが、対決姿勢になっていることも多いですからね、ここは神経使います。
…中学生を保護観察にするときに、よくありました。
学校もね、大変だなと思いますよ。
自分が中高生の先生をするなんて想像もできません。本当に大変な仕事だと思う。
少年非行に対する責任について、学校を糾弾したがる人がいますが、そういう考えは、わたしにはあまりないです。
ただ…
審判廷に入ってから、少年の処遇について「少年院にぜひ!」と発言てしまう点は、どうなんでしょうか…。
気持ちは、わかる。
実によくわかる。
しかし、裁判官としては、そういった先生の発言を期待して審判廷に入ってもらうわけではないんです…
じゃどんな期待をしているか?